北朝鮮工作船との交戦と外交力日経新聞の8月24日付け朝刊一面のコラム「編集手帳」に、掲載されていたコラムには、小生はおおいに興味を引いた。一部加筆訂正の上で引用して紹介する。 戦後日本は他国と一度も戦火を交えることなく、71年間やってきた。だが「交戦」状態になった経験はある。2001(平成13)年12月22日、鹿児島県奄美大島沖でのことだ。海上保安庁の巡視船;4隻が漁船に偽装した不審な船を追い詰めて、「停船させよう」とした時にそれは起きた。甲板で毛布をかぶっていた男らが突然、自動小銃やロケット砲で攻撃してきたのである。海保は「正当防衛行為」で応戦し、戦後初の銃撃戦が繰り広げられた。巡視船は合せて約170発の銃弾を浴びて、海上保安官3人が負傷した。不審船は自沈したが9か月後に引き揚げられ、「北朝鮮の工作船」であったことが確認された。2001年12月、鹿児島県奄美大島沖の東支那海で起きた工作船事件。翌年に北朝鮮が関与を認めたこの事件は、四方を海に囲まれた日本が、周辺国からの強い脅威に晒されている現実をまざまざと見せつけ、日本社会を震撼させた。「日本人の拉致」や「覚醒剤の密輸」にかかわってきた北朝鮮工作船は、この銃撃戦以降、日本近海に姿を見せることはなくなった。銃撃戦では、海上保安官3人が負傷したほか、巡視船も大きな損傷を受けた。工作船は、沈没から約9か月後には海底から引き揚げられたが、政府の当初想定をはるかに超える「重武装船」だったことも判明して、大きな衝撃が広がった。時は移って、海保がいま対応に追われているのは尖閣諸島周辺を航行する中国の公船・漁船である。こちらは「不審」などというレベルではない。白昼堂々、我が物顔で領海に迄入り込んでくるのだ。尖閣の問題で日程調整が難航していた「日中韓の外相会談」が8月24日に東京で開催。「奄美沖のような事態」が、尖閣の海で起きれば、取り返しがつかない。北朝鮮が工作船の運用をやめたのは、「海上保安庁の奮闘」だけが理由ではなかった。「日朝首脳会談を実現させ、工作船の存在を認めさせた外交の力があった」ことを忘れてはならない。