小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

小椋聡@カバ丸クリエイティブ工房

兵庫県の田舎で、茅葺きトタン引きの古民家でデザイナー&イラストレーターとして生活しています。
自宅兼事務所の「古民家空間 kotonoha」は、民泊&レンタルスペースとしても活用しています。

毎日放送(MBS)の書籍「わたしたちはどう生きるのか」のネット紹介記事が2つ公開されました。

 

 

丁寧な内容で、なぜ様々な立場の人たちと共にこのテーマの書籍をつくったのか…という意図が、引用も含めてしっかり書いてくださっているので、とても良い記事だと思います。是非、2つとも読んでみてください。

 

https://news.yahoo.co.jp/.../d6756f47456424eee1337712e596...

 

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2305747

 

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2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故から、20年が経過しました。我が家にとって、間違いなく人生の大きな転機になった事故でしたが、事故の直接的な身体的な被害よりも、むしろその後を生きる道のりの中での苦難の方が圧倒的に大変だということに直面した年月でした。

 

しかし、モゴモゴもがきながら歩んできた20年の中で、おそらくこの事故に遭遇していなければ気づき得ることがなかった大切なことを学ばせていただいた年月でもあったと感じています。
そのひとつの到達点として、事故から20年を迎えるにあたって、昨年から約1年間の取り組みを集約した書籍を発刊することができました。

 

脱線事故の被害者のみならず、東日本大震災・大川小学校で小学5年生のときに津波に飲まれ、78人の児童のうち、わずか4人だけが生存したという経験をお持ちの方や、元加害企業の被害者対応をしていた社員、それぞれの事故・災害を取材し続けてきた多数の報道関係者など、様々な視点で「いのちとは」「生きるとは」という根源的なテーマを掘り下げた内容になっています。

この困難な時代を「どう生きるのか」を、読者の皆様と共に考えることができればと願っていますので、是非、お手に取っていただければと思います。

 

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試し読み【刊行に寄せて】

「幸せな人生を送りたい」
この願いは、平等にたった一度しかない人生の中で、世界中の誰もが望むことでしょう。
しかし、私たちが生きるこの世界では、事件事故や災害、戦争や紛争など、個人の力ではどうにもならないことに巻き込まれたり、虐待や貧困、不治の病など、不条理な現実と向き合わなければならないことが数多くあります。そして、私たちの知らないところで、日々、そうした困難な状況に立ち向かいながら生きている方がおられます。私のこれまでの人生の中で、ある日突然そうした状況に追い込まれることになったきっかけは、間違いなく2005年4月25日に遭遇したJR福知山線脱線事故でした。

当時35歳だった私は、現在55歳になりました。あれから20年の年月が経過する中で、東日本大震災や能登半島地震などの大きな震災や西日本豪雨などの水害がいくつも発生し、世界各地での戦争の長期化、新型コロナウイルスの感染拡大による経済状況の悪化など、私たちを取り囲む世界は大きく変化しました。
また、近い将来必ず発生すると言われている巨大地震に関する注意喚起や、近隣諸国との関係性悪化などのニュースが日常的に報道され、日本は急激に閉塞感のある雰囲気に包まれるようになってきました。こうした不安定な時代の変化の中で、それぞれの人が、それぞれの事情を抱えながら日々の命を生きており、私は年齢を重ねると共に「人はどのようにして、この困難な時代の中を生きていくのか」ということを考えるようになりました。
それはおそらく、20年前に最も多くの死傷者を出した2両目の中で生き残ったという経験が無関係ではないでしょう。事故後に経験した様々な困難と同じような境遇にもう一度さらされたときに、「自分は再びそれに耐えて新たな人生を再構築し、生き抜くだけの気力があるだろうか…」という重圧のようなものを感じる一方、有限の命を噛み締めながら生きる意味を与えてもらえたからではないかと感じています。

本書籍は3つの独立した章で構成されており、それぞれの章に、社会に「伝える」役割を担う報道関係者からも寄稿いただきました。取材をとおして様々な人の体験や思いを見聞きしている彼らは、被害者だけでなく、場合によっては加害者(企業)や専門家、一般の方々からの見解も耳にしているので、ある意味、当事者以上に多角的に物事をとらえている存在と言えるかもしれません。今回は、組織人としての観点だけではなく、記者個人としてそれらの事象からどのようなことを学び、それぞれの人生にどう活かしていくのかという視点で執筆していただいています。

第一章「事故を知る」の「JR福知山線脱線事故とそれがもたらした社会的影響」の部分につきましては、元・JR西日本の社員でご被害者対応本部での勤務経験がある高本桂也さんにも執筆の協力をいただきました。
事故後7年目より、当時は仕事の一環で事故後の様々なお世話係として我が家を担当してくださっていましたが、対応本部とは別の部署に異動になった後も、休日には私の講演会や妻の演奏会などにも足を運んでくださっていました。そして、彼が早期退職をした後には個人としての関係を続けており、まさに、公私ともに我が家が事故後の人生を歩む「伴走者」として寄り添い続けてくださいました。今回の執筆については、基本的には私の見解で書き記した内容ではありますが、彼の存在があったからこそ、安心してより客観的な視点で書き進めることができました。この作業をとおして、人と人との出会いのきっかけはどんなかたちであったとしても、生きる上で大切なことを共有できる存在に成り得るということを知りました。
内容としては事故原因だけに留まらず、鉄道が私たちの暮らしにどのような恩恵をもたらしてきたのかという観点と、国鉄分割民営化以降、JR西日本という企業がどのような事業展開を行い、どういった課題に立ち向かいながら社会のニーズに応えてきたのかという視点を織り交ぜながら執筆しました。

第二章「事故を伝える」では、本書籍のもうひとつのテーマである「当事者とは違った視点で物事をとらえ、その人の言葉として語り継がれることの意味」を象徴する取り組みとして、脱線事故から10年目に木村奈緒さんが東京で開催してくださった「わたしたちのJR福知山線脱線事故 —事故から10年展」という展覧会の様子と、トークセッションの採録を収録させていただきました。
10年前の木村さんとの出会いは第二章をご参照いただければと思いますが、彼女と出会っていなければ、20年目を迎えるにあたっての講演会や公開対談、そして本書籍の執筆を複数の立場の違った視点で構築するということには思い至らなかったのではないかと感じています。事件事故、災害などの当事者のみならず、遠く離れた関東圏に住んでいる彼女が、それらの事象を自分事としてとらえ、自らの言葉や方法で、東京で発信をするという思いや勇気にとても心を動かされるものがありました。
また、今回の講演会&公開対談をとおしてつながりを持たせていただくことができた東京地下鉄株式会社(東京メトロ)の安全に関する部署を担当しておられる五十嵐隆男さんにも寄稿いただくことができました。首都圏での重要な公共交通の役割を担う東京メトロは、東京で生活をしている人々が一日に何度も利用し、無ければ仕事も生活も成り立たないほど人々の暮らしの根幹を支える存在です。1995年3月の有毒ガス事件(いわゆる地下鉄サリン事件)と2000年3月に発生した営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故からの教訓を受け、未来の安全を構築する次世代を担う社員に、どのように「安全のバトン」をつなげていくのかという視点で執筆してくださっています。

第三章「その後を⽣きる〜わたしたちが生きる社会」では、JR福知山線脱線事故から20年目を迎えるにあたり、当該事故に遭遇した福田裕子さんと私と共に、2011年3月11日に発生した東日本大震災当時、石巻市立大川小学校に通っておられた只野哲也さん、司会・聞き手の木村奈緒さんの3名で、2024年11月3日に日比谷コンベンションホールで開催した講演会&公開対談「わたしたちはどう生きるのか —JR福知山線脱線事故から20年」の様子を掲載しました。
前半は「それぞれの体験」を語る講演会を行い、後半の公開対談では「わたしたちはどう生きるのか」という普遍的なテーマについてディスカッションを行いましたが、講演会当日は時間の都合で多くを語ることができなかった「それぞれの体験」を、改めて3名の登壇者に執筆していただいて収録しました。また、講演会当日に一般来場者としてご参加くださった畑優子さんも、ご自身のこれまでの体験と参加されたときの思いを寄稿してくださいました。
文章を書くという作業は、それまでに自分が経験した事象を思い起こすだけでなく、収まりかけていた当時の心情を掘り起こし、怒りや絶望、悲しみだけではない、恐怖や妬み、諦めなどの様々な葛藤を抱えて生きてきた自分自身と向き合うことに他なりません。そうした苦悩に向き合いつつ執筆してくださった皆様には心より感謝を申し上げると共に、それらの経験が今後の人生を生きる豊かさにつながることを願っております。

JR福知山線脱線事故は関西エリアで発生した事故ですが、今回の講演会&公開対談をあえて東京での開催に設定しました。只野さんが経験された東日本大震災は関西から遠く離れた場所での出来事でしたし、発生した時代やそれを取り巻く社会の在り方、経験したときのそれぞれの年齢なども違っています。しかし、場所や時代、事件事故や災害の内容、立場などが違っても、それぞれがもがきながら歩んできた道程の中で見つけ出した思いは、何か共通した部分があるのではないかと感じています。
それぞれの体験がなければ出会うはずがなかった人たちとの関わりを構築することで、この困難な時代を生きる私たち一人ひとりにとって「いのちとは何か」「生きるとはどういうことなのか」という思いを共有できればと願っています。

一緒に編集作業を行った木村奈緒さんとは、「私たちが死んでいなくなってしまった100年後の世界を生きる人たちにも、生きる勇気を与える書籍にしたい」という希望を語り合いながら制作を進めました。
講演会&公開対談の場に足を運んでくださった方やこの書籍を手に取ってくださった方の中には、私たちが知らない困難な状況の中におられたり、日々の生活の中で満たされることのない何かに苦しんでいる方もおられるかもしれません。
苦悩の真っ只中にいるときには、とてもこの先に希望的な未来があるとは思えず、たった一人で闇の中を彷徨っているように感じることでしょう。そうした皆様や、この困難な時代の中を生きるすべての人たちに、この書籍をとおして、私たちそれぞれが経験した人生の歩みの中から得た「それでも生きることは素晴らしい」というメッセージをお伝えできれば幸いです。

2025年4月1日 小椋 聡

2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故は、多くの人の命を奪い、遺族や生き残った人たち、そしてその家族の人生を大きく変えました。その事故から、2025年4月で20年が経過します。
多数の死傷者を出した1両目に乗車していた福田裕子さんと2両目乗客の小椋聡さんは、その後、負傷者や遺族等の集まりに参加し続けたり、メディアの取材等を継続して受け続けたりして、事故の経験や思いをそれぞれの方法で伝え続けています。

両者は、事故から10年目の2015年4月にライターの木村奈緒さん主催で開催された「わたしたちのJR福知山線脱線事故—事故から10年」において、事故にまつわる絵画作品やパネル等を提供して展示を行い、同日開催されたトークセッションにも参加しました。
この展示会には連日数多くの人たちが来場し、事故を直接経験していない関東圏の人たちに事故の悲惨さを伝えると共に、生きることへのメッセージを伝えました。

こうした思いや経験はJR事故の被害者だけに限らず、様々な困難に直面した人が新たな人生を再び歩み始めるときに生きる勇気を与え、その後の生き方を共に考えるきっかけになるものであると感じています。

事故から20年目の節目を迎えるにあたり、2024年11月3日(日)東京・日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール(大ホール)にて、JR事故の被害者以外に、2011年3月11日に発生した東日本大震災の宮城県石巻市立大川小学校で家族3人を亡くし、自身も津波に飲み込まれた経験をされた只野哲也さん(当時小学5年生)らと共に講演会&公開対談「わたしたちはどう生きるのか —JR福知山線脱線事故から20年」を開催いたしました。
当日は、たくさんの方にご来場いただき温かいメッセージが寄せられましたが、限られた時間の中でしたので、それぞれが体験したことやこれまでのあゆみ、心の変容の足跡などは十分には伝えきれていません。

そうしたことに改めて向き合い、それぞれの被害者だけの視点ではなく、JR福知山線脱線事故や東日本大震災を取材し続けたメディア関係者などの皆さんのコラムと共に、「わたしたちはどう生きるのか」というテーマについて書籍として書き残すことになりました。

 

  

 

【書籍】「わたしたちはどう生きるのか —JR福知山線脱線事故から20年(JR福知山線脱線事故+東日本大震災・大川小学校)」


発行:コトノ出版舎(2025年4月上旬予定)
価格:¥1,800(税込み:¥1,980)
※予約フォームからのお申し込みは送料無料
※お支払いは、書籍お届け時に同封している口座にお振込みください。

 

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《内容》
刊行に寄せて

第⼀章「事故を知る」
「JR福知⼭線脱線事故とそれがもたらした社会的影響」
・伴走者としての思い
①メディアの視点から:産経新聞社
②メディアの視点から:神戸新聞社

第⼆章「事故を伝える」
「わたしたちのJR福知⼭線脱線事故─事故から10年展」
・開催への思い
・展示内容
・来場者からの応答・反響
・トークセッション採録
③メディアの視点から:関西テレビ放送
④メディアの視点から:読売新聞社
⑤メディアの視点から:NHK
⑥公共交通機関の視点から:東京メトロ

第三章「その後を⽣きる(わたしたちが生きる社会)」
・わたしたちが生きる社会
・それぞれの体験から
 福田 裕子(JR福知山線脱線事故1両目乗客)
 小椋 聡(JR福知山線脱線事故2両目乗客)
 只野 哲也(東日本大震災当時 大川小学校5年生)
・公開対談「わたしたちはどう⽣きるのか」採録
・公開対談・参加者からのコメントと寄稿
⑦メディアの視点から:朝日新聞社
⑧メディアの視点から:毎日新聞社
⑨メディアの視点から:NHK

おわりに(佐藤秀明:心理カウンセラー/Team大川 未来を拓くネットワーク顧問)

 

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来年でJR福知山線脱線事故から20年を迎えますが、「わたしたちはどう生きるのか」というテーマで11月3日(日)に日比谷コンベンションホール(大ホール)にて講演会&公開対談を行い、来年、同じテーマの内容の書籍を発行することになりました。

 

これまで脱線事故のことはたくさん取材を受けてきましたし、いろいろ取り組みも行ってきましたが、あれから19年の年月が経過して、JR西日本内でも事故のことを経験していない職員が三分の二を超え、またメディアの記者も当時小学生だった…という方たちが多くなってきました。
自分が望む、望まざるに関わらず、時間はどんどん経過して新たな災害や事件事故は次々と発生し、戦争の脅威や経済状況の悪化など、人それぞれいろんな困難に向き合わなければいけない時代になっています。

 

これまでは自分が大切に思っていた脱線事故のことだけを自分自身が語っていましたが、これからはそれらの経験をとおして知り得たことを、どのようにして次の時代を生きる皆さんと共有するのかということが大切な気がしています。

 

私は戦争を経験していませんが、わずか2世代前の祖父母は青春時代を戦争に翻弄され、戦中・戦後の真っ只中を生きた人たちです。もちろん戦争は経験しない方が良いに決まっていますが、経験をしていない私たちの世代は戦争について語ってはいけないのでしょうか。そうではありません。
私たちの世代は、もしかすると後の「戦前」なのかもしれず、戦争はダメだという思いは経験した人、経験していない人に関わらず、誰もが共通する思いです。直接経験をした人たちの話に比べるとその重さや説得力は違うかもしれませんが、使う言葉やニュアンスがたとえ違っていたとしても、その思いに違いはありません。

 

これまでの19年間、ほぼ途切れることなく何百人もの記者に、毎回2時間半から3時間、長いときは5日間などの取材を受けてお伝えしてきましたが、これから社会の中で起こる様々な事象を世の中に発信する立場の若い記者の皆さんに、悲惨な状況の中ででも、世界は生きるに値する素晴らしい意味があるということを忘れてほしくないなと思っています。

 

JR西日本で、これから後任の指導を担う幹部候補の皆さんを対象にお話をさせていただくことになっています。厳しい話をする場面もあるかもしれませんが、私は彼らを責めるつもりはまったくありません。むしろ今後、どのように人を育てるのかという同志として、加害企業であるあなたたちにしかできなかったことに気づいてもらいたいと思っていますし、これから向き合わなくてはいけない課題などについてディスカッションをしたいと思っています。
私の中では、一方的に自分の体験をお話するという段階はもう終わったように思っていますので、我が家の経験や事故真っ只中の対応をした先輩方の経験をとおして、あなたがこの会社をどうしたいのか、あなたがどう生きたいのかということを考えてもらえる場にしたいと思っています。

 

今回の講演会&公開対談では、1両目に乗車していた福田裕子さんと共に、東日本大震災の大川小学校で78人の子どもたちと共に津波に流され、わずか4人だけ生存されたうちのお一人である只野哲也さん(当時5年生・現在24歳)と共に第一部で講演を行い、第二部では、事故から10年目に東京・駒込で「事故を経験していない私が伝えるJR福知山線脱線事故」というコンセプトで展示会を開催してくれたライターの木村奈緒さんが聞き手になり、「生きるとは」「いのちとは」という課題を共に考えるディスカッションを行います。

 

関西よりも多くの公共交通機関が運行しており、近い将来、いつか何処かで必ず発生すると言われている巨大地震などの災害で被害が甚大になることが予想される東京での開催は、事件事故、災害などの種別の枠を超えた意味があると考えています。
また、様々な体験をとその後の人生を歩んで来られた人たちとの対話の中から、「それでも生きることは素晴らしい」というメッセージを伝えることができる内容にしたいと願っています。

 

 

【取材等のお申し込み・お問い合わせ先】

 

コトノ出版舎」で最初に取り扱う書籍のご案内です。

事故から10年目にどうしても形に残しておきたかった内容ですが、諸般の事情によって実現することができませんでした。そのまま放置したままにすると、将来、絶対に後悔するだろうと思いましたので、自分で出版舎を作って出版をするという方法をとることにしました。この書籍では妻が半分以上執筆していますし、私の直接的な事故体験を伝えるための内容ではありません。これまで、個人での仕事で社会の中で様々な困難の中にいる方たちに接する機会がありましたが、彼らの多くは取材をされるわけでもなく、表立って声をあげられる訳でもなく、声なき声を抱えながら社会の中で苦悶しながら生きています。その最たるものが私の妻の声だと思っています。電車に乗っていた訳ではない彼女が、なぜ生涯治らないと宣告された病気を抱えることになったのでしょう。彼女は心が弱い人なのでしょうか?私はそうは思いません。そのことこそが、この書籍をどうしても残したかった理由のひとつです。

私が会社を辞めて、今、この場所を選んで生活をしているのも、生き急いでいるようにいろんなことに取り組んでいるのも、根っこになっている部分は13年半前のこの事故に起因するものだと思っています。事故から10年目から3年半の時間が経過しましたが、これをやり終えると自分の中での大きな課題がひとつ終わります。

現在困難の中にある方、もしくはこれからいろんな事件事故や災害などで苦しい状況に追い込まれるかもしれない方、苦難の中にいるときはもう二度と笑える日は来ないように思ってしまうものですが、人生は決して捨てたものではないということを感じ取ってもらえたら嬉しく思います。二人でたくさんの時間をかけて作り上げてきた書籍です。ご一読頂けると幸いです。

 

https://kotono-design.com/news/kotono-publishing_futatsuno-kodo_book/