一緒に泣いてくれる人がいるのはありがたい。
がん患者の人は、みんな計り知れない不安と闘っていると思う。自分の病気について、なんでも話せる家族、友人の数はそんなに多くないと思う。
私もそう。家族も私の病状を知っているけど、私が落ち込んでいると心配するからと、家族の前では明るくふるまっている。
親しい友人には、がんであることを告白している。でも5年後の生存率の話はしていない。
そんな私をささえてくれているのは、教会の神父様である。神父様は、スピリチュアルのスペシャリストであり、また心理カウンセラーでもあると思う。
カトリック・クリスチャンは、洗礼を受ける前に教会の神父様のもとで、一定期間キリスト教のお勉強をする。その神父様の許しをいただいて洗礼を受けるから、仲の良い神父様がかならずいる。
昨年、病理検査の結果を知らされて抗がん剤治療が決定した時、私はかなり混乱していた。
とにかく死に対する恐怖と抗ガン剤治療に対する不安でいっぱいだった。
ある日、神父様に私の心のすべてを吐き出した。
死にたくない。
結婚できないかもしれない ←お腹に大きな手術跡があって、こんな女をもらってくれる人はいない!と勝手な私の思い込み。
子供ができないかもしれない ←まだお医者さんにこんなことを言われていないのに、また根拠のない私の思い込み。
なんで私がこんな目にあうの!と。
神父様は黙って聞いてくれた。一緒に泣いてくれた。
神父様は泣きながら、「苦しい時は苦しい事ばかりに気が取られてしまうけど、日常のささやかな幸せに目を向けなさい。」と話してくれた。その後はちょっとキリスト教のお話が続いたけど、ここでは省略。
日常のささやかな幸せとは、朝、起きたら庭の花が咲いていた。電車に乗ったらたまたま席が空いていた。そんな小さい事を見つけて喜びなさいと。クリスチャンとしては、こういうのが神様のあなたへ対する愛ですと繋がるんですが。。。ここは気にしないでください。
神父様のお話もありがたかったけど、私は一緒になって泣いてくれた神父様がありがたかった。
心の不安を誰かに打ち明けると、不思議と心が軽くなった。
がんと闘っているみなさんに一緒になって泣いてくれる人がそばにいてくれるようにお祈りしています。