いつぞや、強く思うておるこであると、ありんす!

オタク婚活 で合った古は、「可愛ゐ」であると思われたでござるやったそれがしござるが、「可愛げ」があるでござる女人(にょにん)になりたいでござるであると存念直したでござるいつぞやがそれがし。

「可愛ゐ」であると「可愛げ」似て非なるものでござるであると思ゐませぬや?

「可愛ゐ」と云ふであると容姿や声であると申した‘外的要素‘が印象、天下無双であると存じまする。
・面、可愛ゐ
・着物、可愛ゐ
・声、可愛ゐ
左様な言ノ葉をば耳には、しんす、、「中身、可愛ゐ」であるとは、如何ほどにも云ゐませぬであろう!?

一つ方「可愛げ」と云ふであると外的要素しからば無く、内面よりにじみ出陣じゃーー!!!もがをば指致し候ごとく思ゑるとでござる。
しかして内面より滲み出陣じゃーー!!!もがは、、年齢をば重ねてゐかくであるとも変わらぬものでござるであると思うておるみてす。

外見は、年をば重ねるたびに多少は、変異して参るもが。
なれど内面は、磨けば磨くほど美しくなるし、其れに年齢や外的要素は、ひい切係わり無いのでござりまするよのう。

左様な事をば思案するごとくなり
「可愛ゐね」であると申されるにても「可愛げがあるでござる輩じゃね」であると申されたゐであると思うておるごとくなり申した!
日常的な習慣より培われて参上するものでござるであると存じておるがにて、‘日々精進‘するでござるしやござらんみてしょうね(苦笑)

「可愛ゐ」は、めいくや着物にてこしらえる事も可能ござるが
「可愛げ」は、日々が積み重ね、必定なもが。
其れのみにてに、可愛げをば持った女人(にょにん)でおるこであるとは、難儀であると存じまする、、素敵な色恋をばするでござるべく・素敵な生死をばお送りいたすべくも可愛げがあるでござる輩になりたいでござるでござる。