ドラマ、もう折り返し点まで来ちゃったらしいです。
なにをかくそう、
木曜は猛ダッシュで仕事を終えて帰って、
ドラマを観てるんですが、
毎回、内容を知ってるくせに、
もらい泣きとかしてます。
あのナゾのパラパラは、
原作者的にはゼヒ、
マスターしなきゃいけないんだろうか・・・・
とかいろいろ考えつつ、
もうなにも考えずにパラってるパパイヤさんに笑っています。
でも、今回いちばんの名ぜりふはヤッパリ、
「あーいそがしい!
またゴハン食べらんないよ~~~」
。。。。もう絶対、これだ!!!と強く思いました。
ゴハン命、
という、パパイヤさんの食に対する真剣みをうかがわせました。
・・・職に対しても真剣ですけど。
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ドラマの中で、
パパイヤ向井先生は、
「医者っていう仕事をしていると、
約束は、守れない。
たとえそれが、愛する人との約束でも」
と言います。
・・・・患者さんが急変したから、
愛する人との約束をやぶってしまう。
・・・・患者さんの容態が悪いから、
家族のことは、あとまわしになってしまう。
”どっちが大切”・・・とか、、
てんびんにかけられるものではないのかも、
しれないのですが・・・
一生懸命に仕事をする、
いのちをまもる仕事に、真剣に向き合う、
ということは、
たしかに、とっても大事なことかもしれないけれど・・・
パパイヤ向井先生のそのせりふを、
私はとてもとても、さびしく感じたんです。
私だったら、どうだろう。
患者さんと家族、どっちをとるか。
・・・・申し訳ないけれど、
私だったらきっと、
家族をとってしまうと思う。
私がパパイヤ向井先生の立場で、
愛するかけがえのない妻が倒れたら、
きっとなにも考えず、
病院から出て行って妻のところに駆けつけてしまう気がしました。
これって、医者としては、
ダメなことかもしれないけれど。
・・・・でも、「主治医」の代わりはいるけれど、
「家族」の代わりはいないんです。
愛する人は、自分にとってただ一人のかけがえのない人だし、
その人の幸せが、なにより大切。
家族が倒れたときに、
自分にできるあらゆることをしないまま、
その人がこの世からいなくなったら、
私は一生、自分のことを恨むと思います。
・・・医療行為って、グループワークです。
自分だけが治療をしているんじゃない。
だからこそ、
必要なときには、
他の医師を頼れるんだと思うし、
看護師さんやコメディカルスタッフもいる。
みんなで患者さんをささえているんです。
・・・・こんな見方も、あると思います。
「家族を大切にできない医者が、
患者さんを大切に出来るんでしょうか?」
「自分を支え、陰からまもり、応援してくれている、
愛する家族でさえ大切に出来ない人間が、
目の前の患者さんを、こころから大切に思えるんでしょうか?」
パパイヤ向井先生のようは、なんでもできて、
患者さんからも誰からも頼られている、カリスマ医師。
そんな「なんでも一人でしてしまえる医師」は、
一見、スゴいように思うけれど、
じつはそうじゃないと、私は思います。
だって、その、「なんでもできる医者」が倒れたとき、
まわりはその医者がいなくなってしまった穴を、
どうやって埋めるのでしょう。
その人が突然、なんらかの事情で現場からいなくなったとき、
現場はひどく混乱し、
状況は一気に悪くなってしまいます。
ひとの体力にも、気力にも、
かならず「限界」はあります。
精力的に仕事をこなし、ひとりで一手に引き受けるのも、
たしかにスゴいことだと思うけれど・・・・
でも、それよりもスゴいのは、
「自分がいなくなっても、
十分その穴を埋められるように、
周りを育てる能力のある医者」
なんだと思います。
それが、医療すなわち、チームワーク、の意味だと私は思います。
(・・・今回めずらしく、まじめな記事。)
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それでもやっぱり、