やっとタンザニア入ったがや
タンザニアに入った。意外に超あっさりと。
国境を越えたら気分はいくらか良くなっていた。
一年くらい前に決めた当初のゴールは、ここタンザニアだった。
そのタンザニアに今、いる。
なんだか感慨深いものがある。
自転車を走らせていると同じように自転車に乗った青年が話しかけて来た。
「俺には両親がいない。凄く貧乏なんだ。お金をくれないか?」
「NO.」
「なぜだ?」
「俺もそんなにお金を持ってるわけじゃない。」
「少しでいいんだ。コインでいいから。」
「NO.」
何度かそのような事を言ってくるので、僕は彼を半分無視して追い抜いた。
遠くなった僕の背中に彼は
「Have a nice journey !! (良い旅を!!)」
と言った。
両親がいなくて、貧しくて、お金が必要だったのは本当のことだったのかも知れない。
少しくらいあげたほうが良かったのか。
でもそんな人皆にあげてたらキリが無いんじゃないか。
炭で肉を焼いている屋台の匂いがした。
それは僕に日本の夏祭りを連想させた。
僕はまた、帰ったらそんな日常に埋まって。
彼らのことなんか忘れてさ。
何かを振り切る様に、自転車のスピードを上げた。
キエラと言う町で一番最初に目に入ったホテルにチェックインした。ダブルベッドルームで一泊10000タンザニアシリング(600円位)。
ロビーらしき所で従業員と談笑する。日本の農作物を聞いて来たので答えると、彼はタンザニアで作られている農作物を挙げ出した。
「米だろ、トウモロコシだろ、カシューナッツだろ、バナナだろ、マンゴーだろ・・・」
その姿が映画「フォレストガンプ」で主人公の戦友の黒人バッバがエビ料理の名前を無限に挙げていくシーンを彷彿とさせ可愛くて笑えて来た。
翌日、走っていると子供達がボールで遊んでいるのが見えた。
よく見ていると、それは僕が小学生の頃にやっていたゲーム*と全く同じだった。
(*二人がそれぞれコートを挟むように配置され、コートの中にいる人達にボールを受け止められないように当てるゲーム。ボールを当てられた人はボールを当てた人と交代し、当てる側になる。ドッジボールに似てる。)
不思議だ。こんな地球の裏側で全く同じゲームをしてる子達がいるなんて。
どこかに起源があって世界に伝わったものなのか。
各地で自然発生的に出来たものなのか。
次の日、腹が減ったのでニャマチョマ(炭火焼肉)でも食べようと、店らしき所に入ると、先客が一人いた。
「君の肉が焼けるまで30分くらいかかるから、それまで俺の肉食べていいよ。」
と言う。
彼の名はチャールズ。政府で働いていると言う。
肉を頂きながら、お互いの国の事などを話した。
僕「日本人の多くはアフリカはどこでも危ないと思っています。」
チャールズ「そんなことは無いよ!タンザニアなんて凄くピースフルさ。まあ確かに一部の奴らは悪い。でも日本にも悪いやつはいるだろ?」
僕「確かにそうですね。でも僕も南アフリカに着いた時は、黒い人みんな怖かったです(笑)」
チャールズ「ハハハ!」
店にいた他の人の着メロが鳴った。僕は「ん?」と思ってその音を聞いていた。するとチャールズが
「日本の音楽に似てるだろ。」
と言った。何で僕が考えていることが分かったんだ?
その音は演歌にそっくりだった。そっくりと言うかもう「演歌」そのものだった。
「なんで演歌を知っているんですか?」
「日本の映画を見た時に同じ様な音楽が流れていたからな。」
チャールズからは一緒にいると安心するような大人の安定感が感じられた。こんな大人になりたい。
翌朝、起きた時からいきなり体が重い。まだ治って無いみたいだ。
走り出すと、凄い坂道と無気力感。
出来ればもう一歩も自転車を漕ぎたく無い。
「タフになって日本に帰るんだろ?じゃあ頑張らなきゃ。」
「はい。」
4km続くと聞いていた坂だった。それを越えたら町まで下り坂らしい。
最初は1km走ったら休んでいた。それがやがて600mになり、200mになり、20mになった。
ちょっと進んでは休み。ちょっと進んでは休む。ちょっとでもいいから前に進む。そうすればいつか山は越えられる。
4km越えても山は終わる気配は無く、結果的に6km近くあった。
そこからは夢の様な下り坂。苦労が報われる瞬間。
午後1時頃、ムベヤという町に着いた。
宿の鏡で自分の顔を見る。
血走った目。くっきり黒く浮き出た目の下のくま。
どえりゃ疲れたがや・・・。つい名古屋弁になるほどだがや・・。
【累計走行距離 6820km】
【東北地方太平洋沖地震】
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