純粋に届けたいと思うことと、有名になりたいと思うこと… | オカハセのブログ

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昔、友人が自身のSNSに「広まることは、いろいろな面での質の低下に繋がることでもあるので、現状で充分なのかもしれない」と書いてるのをみつけて、そうとばかりは言え無いけども、確かに一理も二理もあるなと思った。

広めることと質を保つ事は時には違うベクトルになることが多々ある。
もちろん、時には同じベクトルの時もあるからそういうのは思いっきり広めることも出来る。

違う見方をすると【何のために広げようとするのか?】でも違ってくるのかもしれない。
何かの使命感を持って広める場合には、必ずとはいえないが質を低下するどころか質を上げることもあるかもしれない。
逆に単に有名になりたいとか声をかけて欲しいとか(何も恥ずかしい理由とは言わないし立派な理由だと思う)だけの理由ならば質を低下させることもあるかもしれない。
これは商売でも言えてるのではないかと思う。
単に儲けたいだけの商売と使命感(とまではいかなくても)があるのとでは同じ儲けるでも違ってくると思う。
信念やプライドやポリシーがある場合には人間は儲けても比較的ブレずに良い仕事ができるけど、儲けるために信念やプライドやポリシーを大幅に変えて儲けた場合には人間は【より儲けるにはどうしたらいいか?】と考え、極端な場合には道徳的にも倫理的にも問題のあるやりかたでも【世の中きれいごとでは無い】とか【成功したもの勝ち】という思考に行きやすいのだと思う。芸能界なんかはその様な誘惑が多い世界だと思う。だから芸能界に入りたいとかテレビに出れる有名人になりたいと思う人は、実は神様からはかなりの魂の成熟度を試される修行な気がする。





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