年末の空気を壊したくないかたは読まないでください | オカハセのブログ

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ここのところ記事の内容が重めですが、この記事も全く年末にはそぐわないです(笑)。
尚、いいねボタンは「いいね」しかないので記事によっては押すのを躊躇する傾向がありますが、いいねの中に「酷いね」「大変だね」「困ったね」も含めた「いいね」=「何かを感じたらボタン」のつもりなので、この様なネガティヴな記事でも押して構わないし押して頂けると嬉しいです。


去年の7月の半ばにブログを始めて今日まで続けて来ました。
僕は今までずっと、自分を破壊させないためにあれこれ結果としては無駄なことをやって来ました。そして何をやってもダメと諦めていた時にブログをやる事でひとつの表現手段が生まれて、そこそこ訪ねに来てくれるかたもいて幸せでした。
しかし不安は常にありました。ブログという表現手段がいつまで自分のモチベーションになっていられるのか?という不安です。
この表現手段だって何か問題が起きれば今までやってきた様々なことと同様に見事に崩壊するからです。
みんなが必要として或いは気になって読んでくださる方々のおかげで続けて来られました。途中からアクセス数も増えてきた時もありました。
読んで面白ければ増えるでしょう。
けどここ3ヶ月程のアクセス数は去年の夏に始めた頃の半分に減って来ました。

数字が問題ではないのです。

ただ読んでつまらないとか飽きて来たというのを象徴しているのだと思います。
もっとも自分の自己顕示ばかりのブログなので当然と言えば当然かもしれません。
だけど、このまま行くと自分史のクライマックスの時に一体何人が記事を読んでくれるのか?と考えると「大丈夫か俺のメンタル?」と末恐ろしくなります。
オカリナ動画をアップしてもサックス動画をアップしてもアクセスは上がらないようです。
オカリナを吹いて欲しいという依頼もほとんどありません。オカリナ仲間からも呼んでもらえません。静岡の音楽仲間も離れ気味です。

そういえばそうなんだよな、昔から僕は仲間はずれにされる人なんだよな…
だからこそ音楽でなんとかそこを超えたかったけど無理なのかな?
僕がオカリナを吹いて誰かの役に立っているんでしょうか?

今すぐにブログをやめはしないと思っていますが、独り言にしか感じなくなって、過疎になったら多分この表現手段も終了します。というかその時は終了しても誰も気にしないでしょうね。ならば今やめると言ったら止めてくれる人がいるのでしょうか?寂しく感じる人はいるのでしょうか?
なんだか自分は軟弱なことを言っております。

僕は何か重大な欠陥があるらしく今までの人生で自分から去っていった人は数えきれません。
このブログを始める前に去っていった人もいるし、ブログを始めてから去っていった人も何人かいます。
僕にとっては腑に落ちないけど、相手はもしかするともっと腑に落ちなくてアタマに来てるのかも知れません。
この場を借りてそんな僕の元を去っていったみなさま、本当に申し訳ありません。これでも一生懸命真摯に向き合って生きてるつもりでした。
でもそれは僕の完全な勘違いだったようです。
来年こそはそれを克服するなんてことももう言えません。それは極めて可能性が低いからです。
それにそんな約束したところで誰も期待しないです、僕は多分嘘つきだから。
昔、青森から札幌に帰って日々迷宮を彷徨っていた時に、住んでるアパートの大家に「お前は嘘つきだ!俺は嘘つくやつは嫌いだ!」と言われました。嘘つくつもりではなく頑張ったのですがダメだったから嘘になるのです。だから来年の抱負はどんなに決心が固くてもここでは言えません。失敗すれば嘘つきの刻印押されて失敗は許されない社会だから。
母親の愛情をもらえなかった人間の人生なんてこの社会では負け犬の刻印を押されておしまいです。
これ読んで「母親のせいにしたところで何も解決しない」とおっしゃるそこのあなた、そんなことは百も承知、1億年前からわかってますよ。
「母のせいにする」もなにも、いつの間にか自分が気がつかないうちにおんなじことグルグル繰り返してるという事実を言ったまでです。僕が「母のせいに」してなくても、僕の「深層心理」が「母のせいに」するんだからもうコントロール出来ないだけのことです。
僕は母親を恨んでる部分は多分あるのは否定できないけど、ちゃんと向き合って話をして解決したいとも思ってたし実際に遍路終わってから母親を訪ねに行きました。でも母親はわかってくれませんでした。
これはよく【あるある】だと思う。母親が自分の非を認めるのならばもうとっくに認めてるはず。
なんだか母と話すと結局それじゃ全部僕が悪いのか?という虚しい気持ちになりました。
オマケに「自分の息子がこんな人生送るなんて情け無い」とはっきり僕に言いましたから…

思わず僕は言葉を失いましたね。

せっかく僕と和解するチャンスだったのにそれを無にしてかわいそうな女性だと本当に思います。
だからもうあの人のことは諦めました。期待するだけショックが大きいので。母親の死に際にも立ち会わないと思う。
いや「お前、なんか俺に言うことあるんじゃねえのか?」と言って母がたの親戚の顰蹙を買いに行くべきかな?

年末にダメダメな記事を御清聴ありがとうございました。



長谷川