おしもおされぬ、パパの命日。決してアニバーサリーだイェーイて感じの日ではもちろんなくて、なんなら忘れたい日だよなと言う気持ちもありつつ、でも、誕生日と命日、年に2回パパ祭がある方が豊かな気がして、いちいち、大事にしてみる。なんなら父の日もこっそり父を讃えているので、パパは年に3日も記念日があって羨ましい。


3年目である。もう?て気持ちと、まだ?て気持ちが入り混じる。父の不在に慣れたわけではないのだけれど、喪失感とはほどよい関係を築けてきた気はする。フと夢で当たり前に会話してたりもするのはおもしろい。「パパ!?パパなんだね!会いたかったよ!」みたいなドラマチックな感じは特になく、なんならほのかに叱られてムッとする夢をみたりもする。ちなみに母は、父を夢に呼び出すために寝る直前に線香あげるという技を編み出したらしい。無理矢理に魔法のアイテムに仕立て上げられて線香も迷惑してると思う。


それにしても、亡くなって2年目が3回忌という抜群の紛らわしさをどうにかして欲しい。そして3年目の今日は特にスルーと言うのも不思議だ。いいんだけどね。


母と何か特別なことをしようかとも考えたけど、別にわざわざどこかに行ったり誰かに何かを頼んでお祈りするのも妙だよな、と言う結論。毎日父のために祈ってるし、やはりあまりに親しいのだ。オフィシャル感を出してしまうとちょっと他人行儀で不自然な気がする。

 

命日。命の日。死ぬのと生まれるのは似たようなものだよなと最近は思えるようになった。どうも僕ら、命にあんまり緊張するのは良くない。死ぬのに緊張するよりは生きるのに緊張して毎日過ごした方がよっぽど費用対効果がいいよと思うのだ。


おぼんろ最新作公演の聖ダジュメリ曲芸団と言う作品ではテーマの一つとして命のことがあった。圧倒的なる命の軽さ。みんな、最後の最後でものすごく何かを成し遂げられたりしないし、夢半ばで、あまりにあっけなく命は終わるし、周りの人も、一番伝えたかったことを最後に伝えられたりもしない。でも、いいのである。どうやら、いいのだと思ったのである。命なんてあまりにあっけなく消える、そこに問題なんてあるか?ないと思う。さらに、その死というものがドラマチックでロマンティックでないといけないわけでもない。


「あの頃はよかったよなあ、良かったよなあ。あの頃で良かったんだよなあ」


あの頃があったいいのよ、それでもう、全部いいの


物語の中で人間と猫が交わす会話だ。


父の息子として、最高だった「あの頃」がありすぎる自分は、いくら父の死で泣いたにせよ、あまりに儲けもんな人生を送っている。


そう、ようやく音楽を聴けるようになった。父がいなくなって以来、音楽というものが自分にとって恐ろしいものに変わってしまった。音楽を聞くたびに


音楽をきく→テンションあがる→よし、次のサントラはこんな感じにしようとパパと話そう!


ということが成し遂げられないことを思い出してしまうのであった。もちろん、この3年の間にもライブをやったりだとか公演をやったりだとかはしたのだが、父がいないのに父とやっていたことをやる自分、という、なんならレクイエム方面の色に染まった時間だったりしたのだ。


だけれど、ようやくだ、ようやく、ダジュメリで父の仲間と共に自分主導の音楽を創ったことにより、なんか、パパとは融合したからもう寂しくないもんねー、ていう気持ちだ。本当に、文字通り生まれた時から音楽に囲まれていた自分にとって、人生に音楽が舞い戻ってきてくれたことは大きい。


3年前のこの時期のブログなんかを読み返すと、思えば元気になったのだなと思う。同時に、もう昔の自分には戻らないんだな、と思う。


まあ、良いのだ。私は生きるのだ。


ロックギターリストのパパの息子であることをこれからもことあるごとに自慢し続け、いつまでも超えられない父という壁に挑み続けながら、生きてやる。そう言えば「こんな大人になれ」みたいなことは明確に言われたことがないように思うので、しっかり者のようでめちゃくちゃだったパパのようにがんばります。


父の音楽がいまでもあちこちで愛され続けていることを誇りに思います。サブスクなんかでも聴けるようになってるので、yasushi sueharaなり末原康志なりで探してみてくださいな。


これからも末原康志とその音楽をよろしくです。



6月20日

毎月19日はシュークリームの日らしいのだ。じゅーくりーむだ。バレンタインチョコや恵方巻きよろしく、企業に仕掛けられた巨大な陰謀であることなど百も千も承知だけれど、受けて立とうじゃないか。シュークリームはハッキリ言って大好きだ。



公演期間中に食べ物の差し入れが許されていた頃が懐かしい。シュークリームが大量に来てしまって、みんなで食べなくちゃ!となっていたあのころ。


そう言えば昔、父が19という2人組の仕事をしていた。彼らは19歳だったから19だったのだろうか。いまはいくつなのだろう。年齢に合わせて名前を変えていても素敵だし、変えていなくても素敵だ。


6月27日

今朝、多分だけど寒いせいで悪夢を見た。寒がりなもので半袖で寝るのが苦手だし一年のなるべく長い期間を長袖を着て分厚い冬布団の中で眠っていたい。そう言うあれこれをついうっかり無視して眠ったところ、まんまと悪魔を見たのだ。


ふと思う。夢では体験したことないことを目撃する。飛行機が墜落するとか、動物が喋るとか、血だらけの人とか、信じられない光景。


これら、実体験でないものを夢の中で映像として目撃できているのは不思議で、おそらく映画やテレビ、アニメ、漫画で観たことあるから夢で見れるんだろう。


そう言ったものを一切観たことが無かったら、僕らはどんな夢を見るんだ?


僕らの想像力はどこまで自由なんだろう。


見たことないものを思いつくこと、僕らはどれくらいできるんだろう。


なんつって遠い目をしている場合じゃなく、あー......悪魔こわかった。


。。。。。


コロナから数年、ようやく、リモート会議は集合時間の5分前に入ってカメラとマイクをミュートして待ってれば良いんだということ知った。


おびただしい数の遅刻を供物として、ようやく辿り着いた。


オンタイムで入ろうとして、だけど通信トラブルなどで遅刻することがこれまで本当に多かったのだ。


生まれてこの方、遅刻常習犯として生きてきたけれど、したくてするんじゃない。本当に、遅れてる時ほど心が壊れそうになることはないのである。


。。。。

ペン先が潰れて作業ができぬ。締切直前。徹夜も厭わぬつもりの深夜一時半、ペン先が潰れた。一本200円の高級さにビビり、買い溜めする勇気がなかったのだ。仕事道具に関してだけは金に糸目はつけないと決めているのに、フと貧乏癖が頭をもたげることが多い。10万円のものなら「買っちまえ!」となるのに、数百円のものだと尻込みするから不思議だ。


朝起きてから、仕方ないのでいそいそと買いに行く。少しだけ特殊なお絵描き用のものなのでコンビニなんかには置いていないもので、地元だと駅前の老舗文房具屋にだけある。創業何十年で、ちかくに大きな店も多いので潰れていないのが不思議なのだけど、この店が好き。


。。。。。


小学生の頃に、コバが「アイスクリームの天ぷらをたべた」と話した。そしたらクラスの何人かは、私も俺も、と食べたことがあると言った。


ははぁ、これは嘘だな。と思った。しかし、一向に「うっそぴょーん」と種明かしをしないコバたち。あれ...これは?そこから私は信頼おける大人に会うたびに「アイスクリームの天ぷらは存在するか?」と、まるで哲学者への質問というかオクスフォードの受験論文のようなことを尋ねる日々を送った。


ものすごく食べてみたかったのである。


どうも、アイスクリームの天ぷらは存在するらしかった。いまだに、それがどんなものなのかあんまり想像はつかないのだが。


あんなに憧れていたのにいまだに出会っていないもの、というのが人生にはいくつもある。こうなってくると、もはや出会うのが怖い。「出会っていない憧れのもの」としての付き合いが長くなってしまったのだ。出会ってからも同じ関係でいられるわけはないし、さすがに、憧れ想像したよりも素敵な存在である可能性が低いことはなんとなくわかってる。


ちなみに同じ頃、「豆腐の味噌漬け」というものの噂も聞いた。胸が踊った。


。。。

さあ、とにかく脚本執筆だ。いくつかの締め切りを潜り抜けたものの、わんこ蕎麦じゃないんだから...という塩梅で次から次に別の締切だ。会いたい人に会いに行けないのはちとつらい。まあでも、充実はしている。

さあ、ここのところだ。高橋監督と共にダジュメリの映像編集を行ったり、


同じくダジュメリの、作詞作曲した音楽のレコーディングをしたりした。自分の音楽を録音するためにスタジオ入りと言うのはなんだか特別な意味合いもあった。

七夕が過ぎ、

当たり前だけど、誕生日がきた。

偶然なんだけど、稽古でもないのに打ち合わせがどうしてもこの日で、誕生日を劇団員と過ごした。2日後に誕生日のりんちゃんのこともお祝いできた。

脚本と演出をつとめるClubドーシャの稽古も始まった。稽古場でもお祝いしてもらった。ゆうたというヒッピーみたいな俳優がいるのだけど、ゆうたと一緒に祝ってもらった。

ちなみになんだが、稽古のスタジオで偶然別のカンパニーに参加してるしんのすけに会った。去年ヘンリー四世で共演したのだ。


あれ、この海賊みたいな風貌の男は誰だっけ?と思ったらしんのすけだったんだが、聞いたらまさしく海賊役の真っ最中だった。ネバーランド、いいなあ。


。。。。。

さあ、わざと写真をたくさん載せてみたのだけれど、お気づきだろうか。


髪が、長い。


いつから切ってないのかも覚えていない。伸びていた自覚もあまりなく、最近、撮られた写真を見て驚いた。


......こんなに長いのか。


こだわって伸ばしているのではなく、こだわっていないから切っていないのだ。こだわっていないことに、絶妙なこだわりがあったりはする。


父はロックミューシャンだったので、自分が知る限り生涯長髪だった。パーマもかけていたし、なんなら染めていた。今でこそそんな大人もあちこちにいるけれど、わたくしの小学生の時分、運動会でビデオを回す金髪のパパは目立っていた。


Mr.Bigと言うバンドがあり、エリックマーティンというヴォーカルが長髪だったのだが、ある時、短髪にした。エクストリームのゲイリーシェローンが短髪にしたときのことも鮮明に覚えてる。パパのリアクションが、とてもとても批判的だったのだ。あーあ、あいつも終わったな、みたいな残念そうな感じ。


せっかく伸びてるし、切らなくてもいいか?とわたくしが考えがちになる癖はこう言うところに起因してるかも知れない。


が、さすがに夏だし、いつかは髪を切りたい。もはや、毎日ヘアゴムで縛りちょんまげだ。


だがしかし、長らくそばにいたものを捨てられなくなると言う癖があるのだ。


「なんかこれ、ずった部屋にあるし」と言う理由で、昔のメモ書きを捨てられなくなってたりする。付喪神的にと言うか、なんか、ヴィンテージになったらもはや貴重な尊きものでない?みたいな。断捨離的な思考の真逆に位置しているのが自分だと思う。


なので、あまりに切らなさすぎて、いまさら切りがたい髪だ。いや、切れよな。


最後に切ったのはいつか。前回美容院に行った時も「もう○月ぶりですよ」みたいに言われ、「これからは頻繁にくる。」と宣言した。


いくいくさぎだ。


。。。。

7月13日

高校の時の仲の良かった友人の定期券が7月13日までだった。「ナイサの日までさ!」とそいつが言ってた。


だから、7月13日なんて別になんでもないんだけど、毎年、「あ、ないさのひだ」と思う。


なにが、ないのさ。

なんでもないのさ?


。。。。


気付けば、暦的には堂々たる夏ですね。


暑さにも気をつけてほしいし、クーラーの寒さにもどうか気をつけて欲しい。


良いことも悪いこともあるかと思うけれど、どうかあなたが幸せでありますように。


夜中に近くの公園に巨大絵を描いた。

ナスカの地上絵は果たしてどう描かれたのか!?というミステリに心をざわつかせたことが昔あったけどらいまならわかる。締切に追い詰められた人が夢遊病者のように散歩に出掛けて描いたんだと思う。あくまで仮説だけどね。

もっと大きいの描きたい。あと、真上から見たい。見れない。


超じいちゃん子だった。

 

じいちゃんが亡くなったとき、「冷凍庫にある、じいちゃんの干し柿はいつ食べればいいんだろう」と心配になった。毎年、作って送ってくれてたのだ。で、1年かけてゆっくり食べてた。でも、今あるうちで最後なのだ。その、最後のやつを、どう食べ終わればいい?最後のひとつを、どんな気分で食べるのか?

 

結局、いつどう食べたかは覚えてない。

 

。。。

 

うちのパパはなんだかんだ、発泡酒、第3のビールを毎日ごくごく飲んでいた。安いからだ。たまに現場から「ちゃんとしたビール」をもらって帰って、パパにあげると喜んだ。パパはなんなら常夏の国で生活したいと思うひとで、だからかドライとかオリオンビールが好きなタイプだった。ギター1本で家族を養っていたパパに、せめて毎日上等なビールを飲ませてあげたかったなといまさら思ったりはする。2人でライブをやった帰り道、車でコンビニに寄ってビールを買うのはお気に入りの習慣だった。そのときは、上等なのを飲んだ。でも、音楽室でふたりでドラフトワンなんかで乾杯した思い出も、いい感じの思い出だ。鹿児島出身のせいか、途中からは焼酎になる。

 

そんなパパが天国にスタジオを移したとき、ビール好きだったパパのためにたくさんのビールが贈られた。パパは自分の本なんかの中でもビール好きを書いていたから、ビーラーであるのは有名なことだった。で、パパへのプレゼントであるビールとはいえ、パパは死んでるわけで、飲むのは遺族の我々ということになる。で、このビール、冷やしたまま、まだ飲めてない。かれこれ3年である。なのに、飲めてないのである。こうなってくると、もう、神聖なビールという気がして、いつ飲む?という感じになる。

 

この前、朗読リュズタンの衣装デザインを手掛けた時、母にも縫製などを相当手伝ってもらった。この千穐楽の後だったかは、確かふたりで一本飲んだ。なんだか、然るべきタイミングという気がしたのだ。

 

さあ、次はいつか。そろそろ、ビールの賞味期限も気になり出す。

 

だがしかし、これにも最後の一本という熾烈な瞬間がある。

 

「パパ関連のビールをいつ飲もうかと思ってる日々」のを締めくくる瞬間を、自分は決められるのか。そのときの気持ちに耐えられるのか。

 

そんなどうでもいいことに悩む。

 

。。。。。

 

仕事に集中しすぎて、いきなり、日本語が喋れなくなる。「してきてくれた」か「してくれてきた」がわからなくなって瞬時に混乱して日常で言葉を噛む、みたいなことが多い。疲れているのだと思う。締め切りたちが迫りくる。三國志と、おぼんろ本公演と、後一本。描かないといけない絵もたくさんあるし、決断しないといけないこともたくさんある。


劇団員と会った。基本、会議は好きじゃないので、この日もそういう類ではなく、なんか、会って、公演に際しての自分の気持ちを共有、みたいなところ。さひがしさんの誕生日プレゼントを渡そうと思って洋服に絵を描こうとしたのだけど、めぐみさんのプレゼントを渡していなかった(9月なので、この時期に会う予定がなかった)ことを思い出し、2人分用意することに。迫り来る締切の恐怖をほんの少しだけしまいこみ、作業。やっぱり、好きな人のプレゼントを創るのが一番幸せな時間な気がする。



おぼんろ。
タイトルを発表する都合で、この日までに決めてください。という脅しを受けた。数ヶ月前にプロットもタイトルも提出してはいたけれど、直前で悩む。数ヶ月前に自分とは気持ちが違ったりする物だ。結局、土壇場でそれまでと8割くらい内容を変えたタイトルを出した。
 

今回は公演の概要に関しては制作と製作委員会にほとんど全て任せてしまった。お金や運営のことは正直、本来まったく興味がないもので、繰り返される話し合いはそれなりに苦痛だった。なので、素直に、今回はただただ物語を描いて演出して出演することに集中させてもらおうかなとおもう。とは言っても主宰ではあるから責任は持つけれど。悩んだところで結局は大人の事情を気にしないといけない物事と向き合うと、どうやら自分はジャンプ力が落ちる。跳んで翔ぶことが、自分にだけできることなのだとしたら、そっちに専念したい。

 

。。。。

目がかゆい。でも、ものもらいのような、結膜炎?のような症状がすぐに現れるようになってしまった昨今、触っちゃだめだ!と自分を制している。花粉症なんだろうか?

 

まぶたとうまくいってない日々。目は口ほどにものを言ってしまうんだから、気をつけないとだ。余計なことを言わないように、目を口止めしないと。

 

。。。

 

前に、大阪土産のみたらし団子みたいなのを稽古場に差し入れしたら評判が良かった。実際、すごくおいしかった。鹿児島にはじゃんぼ餅というのがある。みたらしってすごいよな。僕ら年間、みたらしを口にする機会が何回くらいあるのだろう。生クリームとかとは合わないんだろうか?考えてしまう。

 



喧嘩などを見てどっちに味方をするべきか、と悩むときは、弱い方、と決めとくのがいいと思う。強いほうは味方なんかいなくてもそのまま勝つけど、弱い方は死んじゃうかも知れないからね。

 

悪いものは罰さないと!という人がいるけど、その考えはたぶん、悪い。僕らきっと、何も傷つけない方法を考えた方がいいと思う。悪いことをした人に、それは悪いことだとぞと伝えることは大切だけど、殴って教えた方がいい、てのはなんか違うよ。

 



3月1日

仕事帰りに締切があったので渋谷の駅前に座って台本を書いていたら男の人に声をかけられた。熊本から1週間ほど東京に遊びにきていて、人と会うはずだったけれどドタキャンされた、相手はコールセンターのバイトを入れてしまってた、今日は女の子とご飯だと、家に泊めてもらっている友人に宣言して出かけてきたから気まずい、などと話し続ける。いつまで経っても隣からいなくならないので、こちらも色々尋ねる。こちらのことも尋ねられる。パソコンを覗き込まれ台本も読まれる。台本の続きを描きたい。だがしかし埒があく気配が全くしないので、「飲みに行く?」と言ったら「そうなったらめっちゃ嬉しい!」と言われ、「コンビニでもいい!」とも言われ、そのあと2時間、ふたりでお酒を飲みながら渋谷の町を歩いた。「締切大丈夫スか!?」と心配された。いや、大丈夫じゃないんだけど。一本飲み終わったので解散しようと思ったら、「あの、あの、もう一本お願いします!」と柔道家みたいな頼まれ方をしたので、次のコンビニを探す。あんまり詳しくない渋谷の案内もした。彼がその日、表参道で、インスタグラマーが勧めていた美容院で髪を切ったことや、父親は学校の教頭先生であることなど様々なことを知ったし、池袋と新宿と渋谷と調布の都会度を数値で教えて欲しいと言われ試みたし、FC東京の最近の状況についても教わったりした。経堂は素晴らしい町だとも力説された。

 

締切やばい。

 



3月5日

本読みの日だ。長かった。会ったことない俳優さんたちのことを調べ、想像し、描きあげた。劇団公演の時は、仲間へのラブレターという気持ちで筆がノることも多いけど、今回は、これから会う相手へのラブレター、好きになってみせるぞという、言うなればタイミング的にはちんぷんかんぷんな告白という今のラブレターだ。妙な緊張感があった。

 

ようやくだ。本人の声で聴ける!!その期待と高揚が、なんだかそのまま緊張になったりもする。大事な現場、いよいよな瞬間の前って何をしたらいいのかわからなくてずるずるしがちだ。

 

のちに親友になるとしても、まずは初めまして。不思議だ。

 

3月6日

稽古初日は素敵だった。本読みは何か答え合わせめいてもいたし、これから何をするべきかをザクッと頭に浮かべた。

 

昨日、到着直前に稽古場近くで迷子。雨も強まり途方に暮れ、屈辱的だし申し訳はないけれどスタッフに電話して助けを求めるしかないかと思ったところで、横断歩道の向こうに巨大な男性を発見。執筆中何度となく写真や動画を見倒したから、あぁ、わかる、俺にはわかるぞ、おそらくアレは...出演者の一人である郷本直也さんである。信号が変わるのを待ち、助けを求めた。

 

「場所、わかりますか」

 

なんてことだろう。最初の一言がこれだなんて。しかもずぶ濡れで半泣きだ。嘘みたいに優しい直也さんは王子様のようなエスコート力で導いてくださり、どうにか到着できたのだった。

 

8月7日

稽古はごりごりと前進してみてる。俳優たちとは結婚を前提にお見合いというか交際を深めている感覚で、「あ、あなたそんな人なの??」と、言うなれば一番楽しい時期なのかも知れない。もちろん、一番ドキドキする時期でもある。

 

まずは頭の中にあるものを吐き出して共有して、物語をみんなの遊び場にしたいという気持ち。キャストはもちろん、スタッフがすごすぎて好きすぎてどうしたものかと、嬉しさにのたうちまわる。

 

稽古を終え、その後の打ち合わせを終えた帰り道、道端で体育座りをしているスーツ姿の女性がいた。周りの人が誰も立ち止まらないので妙だなと思って声をかけたら「大丈夫、大丈夫。」というから、ああ良かったと思って顔を見たら血だらけだった。「ごめんなさい、ごめん、えー、どうしよ・・・ごめん〜」謝り続ける彼女。・・・その気持ち、とてもよくわかる。怪我をするのって気まずい。結局、救急車は呼ばないことにして、落ち着くまで一緒にいて家まで送って行ったのだけれど、何があったのかは分からずじまいだった。お姉さまは、「あなたは、いい子!なんていい子なの〜!」と歌舞伎俳優のように見栄を切って(本当に)家の中に入っていかれた。元気になったようで良かった。

 


雪降った。3月の雪。


悲しい出来事がそれなりに重なりますね。

まあ無理もない、そもそも、僕らそういう構造でつくられている生き物だし、そんな世界設定だから。なんて思うけど、でも、悲しいもんは悲しい。

 

だけれどどうか、あなたが幸せでありますようにと心から願います。そうすることが、自分の幸せだからです。

 

どうか今日もあなたが少しでもたくさん嬉しい気持ちになれますように。


てはじめに、まず、あったかい飲み物でも飲んでくださいね。