歯科医にさえあまり認知されていないことがある。
それは妊婦の抜歯の怖さである。通常の削ったり詰めたりの歯科治療なら問題とはならないが、抜歯をすると、妊婦の場合、約60%ぐらいの確率で菌血症(全身の血流に一旦、菌が回ること)となる。全く健康で、心疾患のない妊婦なら問題は起こさない。しかし、女性の6%程度には、生活に全く影響のない小さなものも含めて僧帽弁閉鎖不全が隠れているとされる。これらの女性が菌血症になると、血流に乗った口腔内の細菌が心臓内の心内膜に感染を来たし感染性心内膜炎を起こす可能性が上昇する。この感染性心内膜炎は血栓を作り、脳などの臓器に飛べば脳梗塞となる。子供の頃から、先天性心疾患で苦労してきた患者さんなら、風邪や虫歯にならないよう、ずいぶんと注意され、また、気をつけてきた人生であったはずだ。感染性心内膜炎は、未治療なら約70%ぐらいは死に至ると言われている。
よって、妊婦の抜歯の際は、その妊婦に心疾患が無いかどうかは重要であり、もし、あれば、ペニシリン系抗生物質を処置前、そして処置後に1回ずつ投与が必要とされる。これは、スタンダードな処置として、1997年に米国心臓学会のガイドライン(JAMA 1997;277’1794)で定められている。
1ヶ月前、帰省で当院にいらっしゃった32週の妊婦さんが、10日以上も左の背中が痛い、痛いと訴えており、私も全く無力で困ってしまい、大学病院の内科医師団に相談した。そして、大学病院の内科のみならず産婦人科連中も巻き込み「わからん、わからん。何だろう。」と入院させてまで困っていたが、ついに数日前に循環器の専門医が、その妊婦さんの心臓の超音波により、心臓内の弁に血栓らしき瘤ができているのを診断し、さらに脾臓という臓器に梗塞巣を発見し原因が究明できた。心臓から血栓が脾臓に飛んで血管が詰まりその組織が壊死を起こし痛がっていたのである。母体の生命の危険のために、赤ちゃんは早産だが、帝王切開で出してしまって、そして心臓の大手術が始まることとなったのである。
原因は、問診によると妊娠初期の抜歯である可能性が高いそうである。果たして、抗生物質は使ったのであろうか?妊婦自身は、心臓疾患の既往も自覚もなかったそうなので、抗生物質は使わなかったのかもしれない。
私は医師になって15年だが、妊婦の抜歯にまつわる感染性心内膜炎は、これで2人目である。
PS) 前回、帝王切開の母体死亡の統計をお示ししましたが、帝王切開のリスクは、母体死亡のみならず、
出血量や癒着、膀胱などの臓器損傷、血栓症の発生頻度、入院期間の長さや痛みの程度等さまざまにいたるのですが、あたかもそれを無視して母体死亡のみをリスクとして見てしまうような誤解を与えたことをお詫び申し上げます。