東北地方太平洋沖地震で被害にあわれた 多くの被災者の方々に


心より お見舞い申し上げます。



つたない文章で 私が感じていることが きちんと


表現できないことが くやしい思いですが


テレビで被害状況を見ていて 強く 胸が痛みます。



仕事中に ある方が電話で 一報を入れてくれました。


私たちは すぐに会社の会議室のテレビをつけて


地震の発生と状況を知りました。



その時は すでに地震から2時間ほど経過しており


すぐに そういった情報を得られない環境にあったなんて


それもショックでした。




福岡市内で 働いていた時に


福岡西方沖地震を 経験しました。


たまたま会社にいて(休日出勤) ゆさゆさと揺れる状況が


信じられず それでも 体はとっさに デスクの下に


もぐりこみました。



棚は倒れ 机上のものは落ち パソコンはぐしゃぐしゃで


とても怖かったけれど その場にいるみんなは 無事でした。



家に帰って 玄関を開けたときのショックも いまだに


忘れられません。


あらゆるものが 床の上に混在していました。


ベッドの上に スチール棚と 乗せていたオーディオ機器と


たくさんの雑貨が散乱していたのをみて


ぞっとしました。




その時の地震は マグニチュード7とのことで


今回の地震の方が 大きいわけですが


揺れへの恐怖(地震があったあとも しばらく余震が怖かったのです)とか 


とっさのことで 呆然としたこと とか


壊れたものたちを片付けた時の やるせない気持ちが


分かるだけに 連日報道される地震の被害状況に


つらい気持ちになります。




どうか すこしでも早く 被害にあわれた方たちが 日常の生活に


戻られることを 祈るばかりです。






私事ですが


同じ日に 祖母が彼女の人生を終えました。


彼女は じゅうぶん生ききったものと 信じています。


最期のほうは 人としての意識がなく 


器官が ひとつずつ(あるいは いくつかずつ) その機能を停止して


時間の問題とのことでした。



母や叔母の意思にしたがい お別れには 立ち会いませんが


電報を出しました。



私が娘を産んだ時には すでに 周囲のひとのことも


忘れていたので 娘を会わせることも叶わず 残念でした。




祖母を引き取って ずっと診てくれていた叔母に 感謝の気持ちで


いっぱいです。






3月11日は ずっと忘れられない日になると思います。