藪の中? ~ 旧丸子実業高校 高山裕太くんの事件 | ・大津、出水、そして全国の子供たち、死んじゃいけない~ヘロの独り言

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・ 全国で子供たちが陰湿ないじめによって死に追い込まれている。
  命を奪うものは直接の加害者だけじゃない。見てみぬふり、時には言葉の暴力や直接の暴力で、子供たちを死に追いやる教師もいる。
  そんな狂った社会に向けて、老人は怒りをこめてつぶやきます。

前記事で、旧丸子実業の事件について多くのコメントが寄せられています。
ヘロとしては、この事件の地裁判決が最低最悪のものという考えに変化はありませんが、少なくとも無意味な誹謗中傷の類でないかぎり、様々な意見が出てくるのは当然のことと考え、尊重していきたいと考えています。前記事コメント欄の中で、とりわけ二つのご意見にたいして、私なりの疑問を提出し、皆さんの判断を仰いで見たいと思います。

★ひとつめ
彼の遺書には「お母さんがやだので死にます」(やだので=いやなので という長野の方言)と書いてありましたが、明らかに上から「や」の字を「ね」に無理やりなぞって「お母さんがねだので死にます」と書き換えてありました。上からなぞったのが明らかに分かる状態のまま、テレビにその遺書が映りました。
ちなみに「ねだので」という方言は、長野にありません。
★ふたつめ
高山くんが県庁所在地である長野市で名を知られたのは、まだ生前。イジメ事件としてではなく、虐待の被害者として声を上げたためです。
事件に関わった多くの人たちが「命に関わる事態である」ことを理解し、彼を助けようと必死になりましたが、親の権限は強く彼を助けることは、ついにできませんでした。彼が亡くなった時、あちこちで、多くの人が悔し涙を流しました。
部活の上級生は高山くん含む下級生全員をハンガーで叩きましたし、彼の言葉が自由に出ないのをからかった心無い人間もいました。最後のあたりでは母親を怖がり、誰も裕太くんに声をかけられなくなっていました。お母さんが学校や部活関係者に嫌がらせを繰り返し、うっかり近寄ればお母さんに「イジメの証拠集め」に利用されてしまうからです。「俺ら上級生にハンガーで叩かれたよね」とメールをもらいうっかり返事をかえせば「いじめの証拠」として勝手に利用されてしまうので友人たちは皆、メールに返信も返せなくなりました。そういう意味では、確かにイジメがあったと言えるでしょう。友人たちも、もうどう接したらいいか誰もわからなかったのです。

この二つのご意見を額面通りに受け取れば、裕太くんは親の【虐待】によって死に追い込まれたもので、その遺言文まで捏造されたものということになります。
イジメによる自死事件では、かならず家庭内に問題があるとする論理で遺族への攻撃が行われます。第三者委に糾弾された大津にかぎらず、出水でもそうですし、長野のクラくんの事件でも、少年の言葉づかいまで槍玉にあげる形で母子への攻撃が繰り返されてきました。この丸子実業の事件ではどうなのか。学校や部活動の関係者は、裕太くんを死に追い込んだ加害者ではなく、逆に彼を救うために頑張ったとでも受け取れるようなご意見が果たして真実であるのかどうか。
とりあえずは、裕太くんが残した以下のメッセージをどう受け止めるべきか、これらもまた母親による強要や捏造の産物なのか、それとも少年の魂の叫びそのものなのか。皆さんはどう判断されますでしょうか。

県立丸子実業高校の高山裕太くん(高1・16)自宅で首吊り自殺
http://ameblo.jp/kagekage123456/entry-11385672012.html
2012-10-22 08:17:33

遺書
裕太くんの足元には、B5版レポート用紙4枚に書かれた手紙が残されていた。
「お母さんがねたから死にます」(註 捏造されたという指摘の部分)
◆K先輩へ
なんで先輩は平気にばれーしてられるんですか、ぼくはからかわれているときに本当につらかったです。こんな時間でもぼくは寝つけません。
◆○○先生へ(バレー部監督あて)
ぼくはK先輩にいやがらせをされて、でも先生はみんなぼくが声がでないことわかっているからといっていたのに先輩は、ぼくに声のまねを何回もされて 先生の言葉で安心していたのにそういうことをされ本当に悲しかったです。
先生はぼくに安心して部活できるから心配するなっていっていたのにK先輩に声のいやがらせをされても助けてくれないし、全然電話にも出てくれません。
◆クラブに対する気持ち
ぼくはK先輩に自分の声のマネを何回もされて死にたいぐらいの気持ちでずっといました。
先輩には声のマネするのをやめて欲しかったけど他の友達が口答えしたときもおこられたので声のマネをするのはやめてと言えませんでした。
その事を考えていたときにぼくは先生がいったひどい言葉によってもう居なくなっていいやと思って出ていってしまいました。
K先輩とはもうバレーをやりたくありません。ぼくの気持ちを本当にわかってください。
2005/9/20  高山裕太
(注:以前、裕太くんが書いたものを母親が他の書類と一緒にしまっていたが、裕太くんが自ら持ち出して、遺書と一緒においてあった)

ノート
ノートに裕太くんは、自分の気持ちを書いていた。
2005/9/27 (登校拒否していた裕太くんが、校長に、校長と加害生徒からの「謝罪文」を渡すと約束されて登校した日)
「親が○○先生に電話したとき、ふざけるなバカヤロー」という大声が電話してないぼくにまで聞こえてきました。」
「○○先生も○○先生に電話した次の日に学校に行ってそのことを謝罪してもらおうとおもったけど、先生たちは全々わるいと思ってなかったです。その日にその前の日たのんだ、いじめに対するいじめをした人の謝罪文と、校長先生の謝罪文をもらう約束してあったのにもらえませんでした」
12/5 (亡くなる前日)
「今の気持ちとして、いじめをなくしてもらって、謝罪をしっかりしてもらいたい」と書いていた。
12/6 (亡くなった当日)
「学校にしっかり謝ってほしかった。教頭先生はこういうことあったからぼくとバレー部の一年生が話せる状きょうじゃないっていうけど、ぼくがメールしたら、返さないんじゃなくて、今は話せないとかいうのを返してほしかった。メールを返してくれないとぼくは学校に行づらくなってしまいます。
27日に学校に行ったとき仲がよかった先輩に無視されたとき話しはしなくてもあいさつぐらいならしてくれてもよかったと思った。
ぼくは無視されたときかなりつらかった。」

手紙
2005/11/6 裕太くんは、学校あてに手紙を郵送。
「休んでいた理由
今までぼくは、勉強を学校で受けたかったけれども、担任の先生の言葉やバレー部のK先輩の言葉や○○くんのいじめやバレー部の仲間からのいじめにより恐くて学校に行きたくても行けませんでした。
8月30日に家を出た理由も担任の言葉とバレー部の○○くんと2年生からのいじめを何ヶ月間も受けていたので死にたい気持ちで家を出ました」

メール
2005/11/30付けで、裕太くんはメールを書いていたが、実際には送信されていなかった。
「僕は一年生みんなを信じていたのにどうしてみんな助けてくれなかったの? みんなは今どう思ってる?」
母親が死後、このメールが未送信になっているのを見つけ、1年生部員にメールをしたが、何人もの部員は裕太くんからのメールを受信拒否していた。


とりあえず、以上です。