皆様 おはようございます。
土曜日は東京ディズニーリゾートのオフィシャルスポンサーJCBさんからいただいたチケットが期限切れ間近だったので急遽お出かけしました。
そのことは後日書きます。
金曜日の続きです。
佐野厄除け大師のあと史跡足利学校を目指しました。
過去ブログを振り返ってみると
http://ameblo.jp/o-rora25/entry-11525347311.html
2013年5月のゴールデンウィーク中、あしかがフラワーパークに藤を観に行った帰りに訪れていました。
あしかがフラワーパークのチケットがあったから半額になったと喜んで書いていた私はなんてチープな人間なんでしょう。∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
まっ、そのようなことはさておき、佐野厄除け大師の続きをUPします。
2月15日は平日だったので、先日のブログでもお伝えした、太平記館(観光駐車場)の駐車場を利用させていただきました。
係りの方にうかがった際も、足利学校の無料駐車場はこちらだけと話しておられました。
ただ前回ここに停めた記憶がないんです。
ゴールデンウィーク中(2013年5月)だったから臨時駐車場に停めたのでしょうね。
太平記館(観光駐車場)
善徳寺というお寺さんの正面でした。
ナビは
栃木県足利市伊勢町3-6-4
or
電話:0284-43-3000
他、足利市観光協会のHPを貼っておきます。
http://www.ashikaga-kankou.jp/access/parking
足利学校に入る最初の門です。
扁額「入徳」は紀伊徳川家第11代藩主大納言徳川斎順(とくがわなりゆき:1801~1846)の書だそうです。
入って右側に受付がありました。
↓ユーモアがあって面白い入場券です。
そういえば、以前もアップしました。
一応、次回のために黒でマーキングしておきましたが、陸橋をくぐって右折するとわかりやすいです。
足利学校から太平記館へもこの陸橋の下にもある横断歩道を渡って行けます。
車椅子の人もおられるでしょうからこの横断歩道は有難いですよね。
最近は、パンフレット、リーフレットの類も残しておいてもほとんど意味がないと思うので、デジカル化する方法をとっています。←ゴミは出来るだけ増やさない。
子供の成長記録もビデオで撮ったきり・・・(;^_^A
余談になりますが、先日、埼玉在住の某ブロガーさんが江ノ島へ渡ったブログを拝見したのですが、私が書いた江ノ島ブログをちゃんとチェックしてくださったようで「1ディパスポート」のことが書いてありました。
少しでも私の備忘録がお役に立てて嬉しいです。
お陰様で先日アップした「関東の三大師 佐野厄除け大師」も1000アクセス超えました。
受付で入学料を納めるとお隣の映像室へ口答での案内があります。
ここでは常時、足利学校の歴史を語るビデオが流されています。
一度見たので若干記憶が残っていました。
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ビデオを見て予習してから足利学校へ入学しましょうね。
左手に孔子立像がありました。
足利学校の学問は儒学が中心でしたし、儒学の祖の孔子立像が学校門手前にあるというのも納得です。
学校門が前方に見えてきました。
学校門です。
左右の紅梅がお出迎え。
「学校」という言葉は、儒学の教科書の一つである「孟子」の中にある言葉ですと書いてあります。↓
お天気が良くて風もなかったので最高です。
学校門をくぐる前にこちらの稲荷社をパシャリ。
なぜ、ここにお稲荷さんが存在するのかはお勉強不足で調べてません。
学校門をくぐります。
一直線に歩きましょう。
ホームページによると
孔子廟の門が杏壇門です。寛文8年(1668)創建ですが、明治25年(1892)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建したものです。柱等に、この時の焼けた跡が残っています。
杏壇門をくぐる前に参道の右手のこの場所、この景色蘇ってきました。
↑
学生が読めない文字に出会ったとき、紙に書いて、これを廟前の松の枝につけておくと和尚がみて、ふり仮名や注釈をつけてくれたので、学降松と呼ぶようになりました。
↑最近は辞書を引くことは皆無。
スマホでお手軽にググルことが多い私としては、ゆっくりと時間の流れる世界もいいものだと感じました。
とかく時短、即効性がもてはやされる時代ですが昔の人が今の世の中をみたらどう思うかしらね?
青空に映えます。
↓この日は写真を撮り忘れたので2013年5月に撮った写真をアップします。
http://ameblo.jp/o-rora25/entry-11525347311.html
記憶がだんだん蘇ってきました。
「孔子坐像」、懐かしいです。
ただし、文化財保護法との関連もあってレプリカですけどね。
続いてこちらへ
↑方丈でお勉強したことを思い出し右手の玄関から入りました。
こちらが方丈の玄関です。
本瓦葺きで唐破風が付いています。
鬼瓦の「學」の字は足利学校を中興した上杉憲実(うえすぎのりざね)の筆跡を模写したものだそうです。
入ってすぐに展示コーナー(庫裡)がありました。
築山泉水庭です。
3つの峰を持つ築山が池に映えてよく調和しています。
風流ですよね。
方丈から「南庭園」を見ていると、優雅でゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。
復元ながら当時に思いを馳せるのもいいですね。
この場所には、喧騒とは無縁の世界があってこれはこれで良かったと思います。
2013年5月にこのお部屋で漢字試験をしたことが昨日のように思い出されました。
あの時は子供たちで大賑わいでした
一応、試験用紙も手にとって見ましたけど、今回は追試もノーチャレンジ。
周囲を一回り。
この奥の廊下から撮った景色がこちら↓
前方右手に先ほどの孔子廟が見えるのがおわかりいただけるでしょうか?
こちらは方丈の北側から撮りました。↓
「北庭園」、こちら側にも池があって心が和みます。
築山も梅の木もありました。
梅の花も色づいていて北側にありながら華がありました。
お隣の建物へ
↓
庫裡(くり)です。
学校の台所で日常生活を営む場所のようでした。
庫裡(くり)の南東にあったのが衆寮(しゅうりょう)でした。
僧坊や学生の寮です。
前回と同じく入ってみましたが狭いお部屋の中に机が2つ置かれ教科書もそえてありました。
狭いお部屋ながら当時としては画期的な場所だったのでしょうね。
↓位置関係はこのような感じです。
先ほど、中に入った方丈が見えます。
方丈はいまでいう講堂的な役割をした場所なのでしょうか?
竹林の向こう側に建物が見えてきます。
こちらの建物が「遺蹟図書館」です。
そばに立っているナンバンハゼという木も以前撮った記憶が蘇ってきました。
↑この写真はゴールデンウィーク時に撮った写真です。
意外とボケてないんだわ。
わ・た・し。
戻ります。
次は鑁阿寺(ばんなじ)へ向かいました。
ルビがふっていないととても読めないし、もちろん書けません。
ウィキペディアによると
鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山である。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定されている。日本100名城の一つ。
一度訪れたことがあるはずなのに記録が残ってない?
先を急ぎましょう。
続きは次回へ