■戦争に行きたくない、の心■ | へたれギルマスの小部屋

■戦争に行きたくない、の心■

※※  別府日誌(15/08/04)2 ※※

どっかの馬鹿な国会議員が、
戦争反対のデモを見て、
利己主義、個人主義の塊で、
戦後教育の弊害だと、
言ったとかどうとか…

30代の後半の人らしいので、
リアルに戦争を語ることができる人が、
身近に居なかった世代なのかなーと、
想像するのですが。

この国会議員が阿呆なのは、
「戦争に行きたくない」が、
すなわち、
利己主義的な、
「死にたくない」だと、
決め付けている点にある。

残念ながら、いざ戦争になれば、
戦場に行かなくとも死ぬことになるのは、
先の戦争で、
嫌と言うほど,
思い知らされているはずなのだが、
かの人は、
それを、自分の正義感で曇らせている。
(戦争を語るくらいだから、
 忘れた、知らぬとは、敢えて言わない)

「戦場に行きたくない」のは、
「殺したくないから」だと、
そんなふうに、
読み替えられる機転が、
国会議員には、
必要なんじゃないかね?

それならば、
戦後教育はまともな人間を、
育ててきたって、ならないかね?

戦争は、
人殺しが罪にならない、
とてつもない、
異常な状態であることを、
いまいちど、考えた方がいい。

「殺されたくないし、殺したくもない。」

そんなまともなことを、
言ってはいけない社会ならば、
そんな社会は、
どっかの国に壊されてしまってもいいと、
おいらは思う。

ちなみに,
日本人が厄介なのは,
『平和ボケした市民』にも,
『世界が戦慄する無慈悲な殺戮マシーン』にも,
一夜にしてさらりと化けられる点にあると思っている。
いざその状況に陥ったとき,
「戦場に行きたくない」といっていたうちの,
ほぼ9割が,
戦場で勇敢な戦士になってしまうだろう。
彼らはそれを知っている。
だから,そうなりたくないのだ。

なら,眠れる獅子は,
寝かしつけておくほうがいいのだと思うよ。