母の命日は一昨年の10月2日…
とても穏やかな日で、青い空に白い雲が浮かんでいました。
その日の空のように、静かに、ゆっくりと息絶えて、天に召されていきました。
最期の一息、一息…
看取ることが出来たので 自分を納得させました
娘達の結婚式をふたつ控えていたため、と
和尚さんの都合で、新盆と一周忌を一緒にすることになり、
ずいぶん早い時期の集まりとなった昨年の7月…
実家の庭には、亡き父が作った池に いつもと変わることなく
黄色の睡蓮が咲いてみんなを迎えてくれました。
仏前にて読経してもらい、墓参りをすませて会食会会場へ。
母の兄弟も少なくなってきて寂しい限り…
7人のうち、弟ふたりと妹、の三人が元気でいてくれるのですが、
一昨年、母の後を追うように
母たちの実家をひとりで守っていてくれた叔母が他界
傾きかけていた建物もいずれは壊さなければならない、との話になって
18代ほど続いた家が絶えるということの意味を考えてしまいました。
我が家の娘ふたりも、姓を変えて嫁ぐことが決まっていたので…
やがては同じ運命か…
母が 嫁ぐ私にしてくれたように
ふたりの娘にも喪服一式を準備しました。
この日、洋服の方を ふたり揃って初めて着用。
着物は…私の時にでも~
母の命日直前のお彼岸には姉と兄夫婦と私の4人で会食。
先にお墓参り
実家は布制神社の鳥居をくぐったところにあり、
父は毎朝この鳥居の前で軽く会釈してから出勤していました。
記憶に深く残っていて、思わずぺこり m(_ _ )m
実家のお隣の畑の彼岸花が鮮やかに咲いていました。
お墓には、それぞれの家の庭のお花を持参してそなえました
カニ料理、美味しくいただきました
その後、夏のはじめに聞いていた母の実家のことで
連絡を待たずして壊されたとの話が届いて…
大急ぎで訪ねて行ってみました
一足先に行ってきていた兄が 姉と私の道案内をしてくれて
実に20年ぶり?
訪ねたその家は…
跡形もなく、更地となっていたのでした
最後に訪ねた時の、叔母の笑顔といとこ、兄家族、我が家の家族。
本当に 気まぐれハイキングのついでにふらっと寄ったあの日が
全ての別れの日となるなんて…
石垣には、野の朝顔と、あけびのツルが
一節持ち帰ってきました。
庭先と思われる場所には、チューリップの球根がひとつ。
それは、姉が拾いました。
両親の写真を持っていきましたので、記念撮影
もっと早く里帰りさせてあげたかった…(ノ◇≦。)
記憶の中の山のお堂は、意外と近くにあってびっくり。
子供の頃の記憶はもっと遠かったわ
綺麗に整備されていました
お墓に行ったのは、実に36年ぶりぐらいかと。
跡取りだった母の兄は幼い娘達を残して早くに亡くなっていたので
訪れる機会を逃してきていました。
母も、もっとまめに来たかったことだろうと無念の想いが…
私よりは来ていたのかな?
そう思いたい。
幼少の頃は、蒸気機関車に乗って、
最寄の駅から坂道をひたすら歩いて登った山里の一角に
母の家はありました。
想い出の小さな小さな駅は、いつの間にか綺麗になっていて…
こんな素敵な駅長さんがいました
なんだかとっても嬉しくなったわ
その他、色々散歩して…
青木峠を越えて上田方面へ。
美味しい地場産のお蕎麦をいただいて帰路につきました。
高速道路を運転出来ない姉と私は、兄に深謝
母を囲んで過ごした最後の三か月。
みんなで見送って、
今は こうして穏やかに、兄弟仲良く出掛けることが出来て、
心底 母に感謝しています
With all my love♪