2008年9月、日本で福田内閣が政権を放り出し、麻生内閣が誕生した。ただし、新たな内閣であっても政党間の政権交代ではなく、またまた自民党内での交代であった。ヨーロッパに目を向けると、このように政権交代がおきていない国は珍しいということがわかる。なぜ日本では政権交代が起きないのか、イタリアとドイツの政権交替を例にとり、日本と比較してみよう。
 イタリアは分権的多党制といって、数多くの政党が議席を持ち、左右両極にキリスト教民主党と共産党があった。そうした中、共産党を寄せ付けない形で、キリスト教民主党を中心とした連立政権が長く続いていた。第1共和制である。長期政権となった理由は、共産党を押さえ込む冷戦と、かつてのファシズムを警戒して採用された比例代表制という選挙制度が原因といえる。ところが、比例代表制では、連立政権の必要性のため、国民は政党が選択できても政権は選択できないという状況に陥った。すると、政党間で汚職が生まれ、政党支配となり、国民からの信用を失い第2共和制へと移行するのである。
 こうして、ベルリンの壁が実質的に崩壊し、冷戦が終了すると、共産党が進出しはじめた。今まで政権をとれずにいたものの、常に得票率・議席数が2番目であったこの党は、左翼民主党と党名をかえ、党政策も変換した。その後、選挙制度が改革され、小選挙区比例代表並立制が採用されると、政権交代が頻繁に起こるようになった。そして、汚職政治家は大量に検挙され、再起不能となる。
 以上を簡潔にまとめると、第1共和制は、「不安定な安定」と考えられ、イデオロギーによる与党連立という部分においては、現在の日本と似ている。一方で、第2共和制は、小選挙区比例代表並立制が導入され、構想を共有できる政党によって選挙連合を組むことが可能となった。こうしてできたのが、メディアの帝王とも言われるベルルスコーニ率いる「自由の家」と、プローディが率いる「オリーブの木」なのである。
 今日では、選挙の得票率が半々に近づくなど、再び流動性になるという可能性がある。しかし、そういったものの、93年以降の改革は、改革前のイタリアに似た現在の日本に、示唆を与えてくれるものであると考えられないだろうか。
 続いて、ドイツについての説明である。ドイツでは2005年の11月にメルケルという女性が連邦首相に選出された。66年以来、実に39年ぶりの大連立政権である。メルケルはキリスト教民主同盟(CDU)であり、以前首相であったシュレーダーが、社会民主党(SPD)であることから、政党間の政権交代が行われたとわかる。
 ドイツの政党は、数が3~5と少なく、政党間のイデオロギーが小さいため、連立を形成するのに比較的容易な「穏健な多党制」の国といわれる。歴代の内閣はすべて連立であり、特に混乱は見られず安定していたのだが、それは、ドイツの政党政治のあり方が原因であるといわれる。
 ドイツは、単独の野党を避けるため、SPD、FDP、CDU/CSUといった3党システムと呼ばれるスタイルをとっていた。ただし、この独特なシステムは、SPDがマルクス主義を基本とする社会主義政党という立場から、市場経済を容認し、問題解決を図ろうとする新たな社会主義政党へ移行する改革によって、崩れ始めていくのであった。
 現在、メルケル政権は、選挙の敗者同士の妥協的つながりであり、超大型与党は、野党にはコントロールできないと懸念されている。これらのことから、ドイツの選挙が2パターンあると考えられる。1つ目は、与党がどちらか残るというもの。2つ目は、与党陣営が丸ごと交替するといったものである。
 これらをふまえ、日本政治の活性化に向け考察しよう。日本は「内閣」交代はあるが、政党間の「政権」交代はほとんどない。戦後の日本では、55年体制が1つのキーワードといわれるが、55年体制は、社会党の左派右派が統一され、自由民主党が自由党と民主党の統一によりつくられたことから始まった。当時、2大政党制が期待されたものの、蓋を開けてみれば1と2分の1制であり、これは、政治学的に言えば単純に1党優位性であったのである(サルトーリの分類による)。自民党政権は、こうして長く続いた。
 1党優位性が長期化すると政治腐敗が生じてくるのはイタリアで見てきた通りだ。日本も例外ではなく、政治改革が叫ばれ、ついに1993年の選挙で、自民党は過半数割れをしたのである。同時に、社会党も惨敗し、55年体制は一応の終焉を迎えた。こうして、細川連立政権が誕生する。
 選挙制度も中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へ変えられた。その主な理由は、1区から同じ政党の候補者が複数出る中選挙区制では、政策論争が意味をもたず、結局区内でのサービスで戦うことになり、金がかかりすぎるためだということがあげられる。とはいえ、選挙制度を改革したものの、細川内閣は1994年の政治改革関連4法が成立すると、細川首相の個人的な問題も重なり、瓦解することになった。その後、政権はめまぐるしく変わることになる。そして、1996年、自民党は過去最低の得票率となるが、無所属議員の入党や議員の復党を進め、単独で過半数を得ることに成功した。
 2001年、小泉内閣が誕生し、2003年の選挙では、小選挙区比例代表並立制の効果があらわれ、民主党が躍進し、2大政党化が進んだ。強力な支持母体を持つ公明党は、そうした中でキャスティングボート的な存在であるといえる。ところが、2005年の郵政選挙において自民党は圧勝、小選挙区制の効果を違う面から見せ付ける結果となる。(このことは、2大政党制が遠のいたように見えるものの、比例区を見てみると、得票率は7%しか差がなかった。このことから、小選挙区制のデメリットである死票問題についても言及しておきたい)
 前途の通り、イタリアは分極的多党制、ドイツは穏健的な多党制であり、外見的には2党制に近い。また、日本は極端な多党制から穏健な多党制に変化している。マンネリ化する政治を止めるために政権交代は不可欠である。日本のデモクラシーのあり方を考える上で、イタリア・ドイツといった国々の多党制下における政権交代を見ることは、我々にとって、貴重な示唆を与えてくれるといえるであろう。