ANDYのニューヨーク留学と起業体験録第2章

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想いは次の世代へ

        「10年後に会おう」

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 2007年8月末、ニューヨークで出会った多くの仲間達と、次の再会を約束し、この地をあとにした。03年の9月より丸4年、長き留学生活にも、ついに幕を閉じることになりました。これまでご愛読いただき、本当にありがとうございました!


 私はブログを通して、留学体験、起業物語、そして学生生活と、海外留学生の現実を書き綴ってきました。ニューヨークという響きに憧れて、毎年多くの若者がこの地を訪れ、あるものは「夢」を目指して輝き続け、あるものは夢を諦めて帰国していく。しかし、一方で、夢を捨てきれずにNYにしがみ付いている者や、本来の目的を忘れて遊び呆けて帰国していく者など、常に「自由の選択」が、真っ当で、食っていけるだけの自分を創り出せるわけではない。日常とは裏腹に、厳しい現実も、逐次述べてきたつもりです。


last3  親の目だけでなく、社会の目、周囲の目からも開放される、「~自由の醍醐味~」。ニューヨークは日本人にとって、英語が不十分でも生きていけるし、景気よいし、時代の最先端という響きもマッチして、留学するには、まずもって間違いない最高の場所だろう。


 だからこそ、これからニューヨークへ留学する人には、「自分次第」という意識を常に感じ、「夢」をもってほしいなと思います。夢なんてくさいセリフ、述べないと人生つまんないですよ(笑)。一国を背負って留学するんだから、そんだけいろ~~~んなものを見て、いろ~~~んな考え方を吸収したもの勝ちっ!


私の長き4年に渡る留学生活、でも、これからがスタート地点なんだよね。

                 皆さんも、自分色の人生を創り上げてみてくださいね!!



      ~~ニューヨークを離れるにあたり、皆へのメッセージを残したいと思います~~


ny1 ※友人へ
「別れ」がこんなに強い感動を生むものなんだという体験は、正直、初めてだったよ!
お別れパーティーで親友達が作ってくれた7分間のムービーは、生涯、大切にします!自慢の友人たちならば、誰ひとり欠けることなく、10年後は各々が各フィールドで活躍していることと思う。ニューヨークへ戻ってくる日まで、ニューヨークのマーケット情報は常にリアルタイムで更新していきたいよ。


※先輩へ

ビジネスフィールドで活躍された大先輩からもここ数日エールを頂きました。出会いの数は多けれど、数ではなく、信頼の質と、義を大切にしていきたい。これからの日本を憂うのではなく、できる力があるならば、できることをしていく。夢多き若者を見つけたら、また、そちらへ紹介します(笑)


last1 ※仕事仲間へ

M New York Hotel のスタッフのみんな 、ほんとぉ~~~に色々なことがあったけど、迷惑をかけながらも共に成長することができてよかった!お客様の、あの宿泊ノートに書かれた「ありがとう」のメッセージを見ていると、格安ホステルでもなく、高級ホテルにもない、新しい感動を生み出しているのかなと思う。僕はサービス業を色々見てきたけど、ただ泊まるだけではない、ニューヨークのど真ん中で「気持ちのよい出会い」と「人生のきっかけ」を生み出すアパートホテルへと成長していけるよう、私自身も一員として、日本での使命を負っていきます。

 

次の舞台は「東京」。

大手外資系金融の不動産投資事業部に就職することになりました。すべてのこのメモリーの鎧を身に纏い、社会の軋轢に負けることなく、楽しんでいきたい。


日本でニューヨーク同窓会の方も企画していきます。ニューヨークでよい元気をもらった、人生楽しみを大切にしている方はぜひご連絡ください。


          それでは、長きに渡りご愛読いただき、本当にありがとうございました。

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                              ANDYのニューヨーク留学と起業体験録第2章 ~~FIN~~


お別れパーティー In New York

NewYork生活の中で「最高ぉぉぉぉ~~~~~~~~~!!」に感動的な一夜だった!

 8月18日PM7時、某所にて、僕はパーティー会場へ向かう中、今回のパーティー準備の様子は全く知らされていなかった。親友のホテリエ・S氏にDirectorをお願いしたParty、今回は自分自身のパーティーであり、ニューヨーク人生の締めくくりとしては大規模なパーティーだったので、期待と不安が入り混じる不思議な気分でした。


o2  会場に到着すると、親友達が総出でパーティーの準備を行っており、皆が分担し、手際よくPM7時の開始までに準備をしていました。
プロジェクターで映し出された大画面にはミュージックビデオが流れ、料理人の友人が手作り料理を作り、お酒の買出し部隊のセッティングをし、司会進行が予行練習などしていて・・もうそれだけでも涙が止まらなくなりそうだった。

 DirectorのS氏から手渡された進行表には、司会進行の手順から、結婚式並みの各友人スピーチ、最後の秘密のイベントが書かれていました。こういうパーティーは、実は昔からの夢だったようにも思いました。

一人一人の個性が違うように、得意な仕事を分担し、それぞれの最高のスキルを出し合う。


o3  最高のオーケストラは、一人一人が独立して最高の音楽を奏でる力がありながら、指揮者を信頼して集まる。NY出立前に、友人に強く勧められて誘われた、「Orchestra of the 18th Century」 がその例だった。もう70歳を越える指揮者のFrans Brüggen の下には、もう20年以上も共に公演してきた各演奏者がいる。個人個人の能力は高くとも、「オーケストラ」として息を合わせて皆が気持ちよく演奏するということは、何よりも難しく、そして全く別のスキルのように思う。

 そう、僕が「個人」でビジネスをすること以上に、東京で、もっと大きなネットワークと協調のスキルを磨く「~旅~」に出たいという理由が、New Yorkを離れる一番の理由に他ならない。S氏の采配は本当に見事で、とっても心強い仲間だもんね☆


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 8時10分、司会のS氏と、エンターテイナーのM氏の掛け声でスタートっ!クルーズ「VENTURA」日本人ツアーを主催するT氏よりーさんより「乾杯っ!」の音頭。 会場も満員の8時50分、いつも一生懸命で心を打つ、女優の卵M氏と感動的なダンスを披露!僕も踊らざるを得ない状況になりました(笑)

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 同大学友人T氏からの
プレゼント、私のスピーチと続き、経営者の先輩K氏、最高の遊び仲間H氏の代表スピーチは笑いと感動の一時。 そして・・・・感動のフィナーレ、Directed by S氏、Edit&Produced by 3DデザイナーT氏の、僕のすべてが詰まったとっても素敵なムービー。そのクォリティーの高さも驚いたけど、僕がこの友情の大切さを教えてくれたニューヨーク・ライフのすべてがそこにありました。プロジェクターの大画面に映し出されたみんなと自分の姿、ミスチルの音楽「~終わりなき旅~」がまたとっても感動的で、思い出の曲とビデオになりました(今でも何回も聴いちゃっているもん)。


「別れ」が友情の絆をより一層深め、そして新しい未来を見つめて助け合える最高の仲間になるんだねっ! 50人以上集まる予定の所、急遽会場の規模の関係上40名制限になってしまいました。でも私の、この熱い想いを、これからも自分と共に歩むべくすべての友人に伝えたいと思います。


「本当にありがとう、そしてこれからも宜しくっ!!」

夢を持って生きようと思う強さ

Farewllパーティーを終えてより最後の1週間、日本へ送る荷物をまとめ、毎晩友人と飲み明かし、友人の誘いで演奏会やDrinking Partyにもいきました。


m4  「将来でっかい仕事を一緒にしようね!」と躊躇いなく本音で夢を語り合う仲間もできたし、現実レベルで仕事の信頼関係を結んだ仲間もできた。日本に帰ることに100%躊躇いもないし、お別れ会でたくさんの友人が来てくれて嬉しかった。すべての人と10年、20年後の将来を共有できたのは、一生の宝物を現実に手に入れることができた気分。そう信じなければ友人も信じることはないし、限られたコミュニティーではあるけれど、1つの「形」なのかな。


 僕は、2年前を思うと、「躊躇の人間」でした。24歳でブログを開始した当時、「そんな夢ばかり語るのではなく、現実を見るべきだ」という意見と、「元気になる、そういう情熱を私も持ちたい☆」という2つの意見がありました(どちらも本当じゃん)。そういう意見が出るという事実を受け止めるところからスタートでしたし、日本社会の表と裏、その矢面に立たされた気分でした。どんな人も必ず「何かをはじめる!」時が人生の中である何度も限り、人類共通の悩み「夢と現実」の経験を最後に話します。


m3  だいたい「夢」を語るときって、まだ到達していないから「夢」なんだよね。そのときは「そんなこと、君みたいな人間性でできるわけがない」というネガティブパワーをた~くさん周囲から受け取るはず。でもね、そんな意見は自分が「何かをはじめる!」時でなければ、誰も何も口にしないし、人ってね、結局、ちょー自分勝手な生き物なんです(笑)。ネガティブ意見を出すという人の共通点に、そう言った本人も、ネガティブな経験が何かしらある、トラウマがあると思うと楽ですし、事実だと思うよ。それに流されすぎちゃうと、無駄にエネルギー取られる。ポジティブな人は、結果として思いを叶えた、叶えることができた人が賛同するでしょう。資本主義の言葉でいえば、勝者にしか分からない勝ち方」と述べています。


 かくゆう僕も、そりゃ~ネガティブ意見に翻弄されましたし、そういう意見を発することがあることは事実です。今、チャレンジしたい一つの心は、まさに「親と子のような温かい心を持ちたい」と思っています。私の父親は確かに「一つの指針」を示してくれました。若い意見をしっかり聞き、まさに「成長を見守る」ような温かさで対応しています。人は誰も最初から実力があるわけでなく、周囲の環境、つまりエネルギーを与えてくれるパートナーやスタッフ、師事してくれる先輩方がうまく回転して、「あれ?気がついたらどんどん進んでいくぞー!」ってな気分にさせてくれる。別に、幾つになったってそうならない人はならないと思う。「こいつはここが若いからな、もうダメなやつだ」「こいつといると仕事で迷惑だ」と若い人の成長の可能性を放棄する人は器が小さく思いますし、でも現実に、その人と仕事をする若者達もダメになっていきます。なんか周りを見ているとその現実を露骨に感じてしまうのは・・・悲しいことだけど、当の僕にとっては、できることだけやろうと思います。


m2  現実はね~・・・ぶっちゃけ若いということは迷惑なんですよ!仕事できなきゃ、こっちにその分の仕事回ってくるし~ウダウダ・笑。しかし、成長を見守ることは辛抱との戦いなので、人を育てる側に立つ方、上司・リーダーは各々責務を果たすべきなのでしょう。

そして、私自身も、これからそれを学び、よき先輩となれるように、常に頑張らなきゃいけないのだと思っています。


夢を持つにあたって、あなたが少しでも強い精神力を身につけることができれば幸いです。


出会いはいつも必然

 さぁ、3日目はいよいよケベックからモントリオールへ移動!というところで、雨!~雨にも負けず、風にも負けず~これまでケベックの地理を思う存分解析してきたので、ホテルからVIA鉄道乗り場までタクシーで$30かかるところを現地のバスと徒歩をうまく組み合わせて$2.50で乗り継ぎ!何かこういう時って、一人で緻密に計算しつくして達成感を感じるのは一人旅の楽しみでもあり、むなしさでもある(爆)


 ケベック~モントリオール間をVIA鉄道で行くと思いの外、高かったので、オルレアン・バスで行くことに決めました。バス・チケット売り場で、前のお客さんの番の時「Are you a student?」と聞かれており、彼が「NO」と答えていた。僕の番では、もちろん「I am a student!」と主張して25%OFF、$40になった。突然情報が振り込んでくることも多々ある一人旅は、常に気が許せないのだ。


 バスで移動している間に、晴れ間も見せ、到着した頃にはすっかり晴天になっていた。VIA鉄道ではなく、バスで移動したため、到着した駅は・・「ここはどこ?」状態。モントリオールのVIA鉄道の駅は、街の中心地GARE CENTRALEなのだが、オルレアン・バスの駅はケベック大学などがある街の北側。そして、3日目はなんと宿泊ホテルが決まっていない!!実はこれまでずっとB&Bをウェブ上で探してメールを送ったが、すべてダメ・・あとは現地の情報を頼りに動くしかないところまで窮地に追いやられていた。


 現地ホステル施設オルベージュを見つけ、予約しようにもフランス語が分からずにふらふらしていると、いきなり日本語で「だいじょうぶですか?」という声がぁ~。そのお方は、北海道から来た留学生で、この秋からスペイン語を学びに来た同じ年の女神様。旅は道連れ~彼女は旅慣れた様子で、見ず知らずの僕に話しかけてきて「4時からモントリオールに住む学生さんに日本語を教えに行く予定があるのですが、あなたもどうですか?」といわれ、よく分からないままに同行(爆)


 ケベック大学の校舎に入り、そこで出会ったのがコロンビアから来た移民の両親を持つ、17歳のダニエル君と、13歳のアンドリュー君。フランス語、英語、スペイン語を話すことができ、今読んでいる日本語のマンガやゲームができるようになるために日本語を学んでいるという彼ら。お母さんはケベック大学のスペイン語講師で、北海道から来た彼女と授業で知り合ったことから、このご縁がスタートしたという。「まぁ~教えるの好きだしぃ~」と思って、彼らに日本語を2時間ほど教え、アニメやマンガの話で盛り上がった。僕が子供の頃に読んだアニメやゲームの話をしたら、すぐに打ち解けて、一緒にモントリオールの街を観光しながら旅の一時を楽しみました。(彼らが紹介してくれたタピオカジュースのお店の前での写真)


 将来お医者さんになるために勉強しているダニエルと、将来ゲームクリエイターになりたいというアンドリュー。その純粋な夢への情熱にすっごく惹かれた。一生懸命語る姿を見て、夢って、どんな環境であれ、どんなに貧しくても、人の心を打つものだなぁと思った。いつしか、宿無しの僕が、彼らのお宅へお邪魔することになってしまったのは・・これが「運命」なのだと思った。思えば、去年6月にボストン一人旅を決行、街で路頭に迷った際、空港で出会った父の英語の先生のお宅に最終的にお邪魔するご縁が生まれた。そして今年の新年をフロリダ・ディズニーで過ごすきっかけにもなったのも、一人旅の運試しなのだ。



 彼らのお母さんが心よく出迎えてくれて、ダニエル&アンドリューと夜まで、ギターマニアのゲームをしたり、Youtubeでアニメの見せあいっこをしました。最近は日本のゲームやアニメが頻繁に世界各国へ普及している世の中。「北斗の拳」を彼らに見せたらすっごく爆笑して、言葉の壁を越えたコミュニケーションがここにあるのだと感じた。僕は、人の出会いの力を信じているし、信じなければ何も始まらないとだけしか・・今は思えない。


価値観の破壊と創造

 2日目は地元の交通機関を使い、停車駅が分からなくて多少不安はあったものの、根性で旧市街へと辿り着きました。地元の人々はフランス語が公用語なので、世界共通の英語でしゃべっても相手は片言・・・。でも見ず知らずの自分に身振り手振りで道を教えてくれたのはすごくありがたかった。なにぶん一人というのは不安と孤独との戦いなので、日本語での生ぬるい生活で慣れきった頭を叩いてやると、根性がつきます♪


 叱咤激励の末、やっとの思いでこの絶景に出会ったときの感動は・・・言葉にできません。写真は、フレンチ・クラシック様式のケベック州議事堂と、町が一望できる展望台を映したものです。


 サン・ルイ門という旧市街を囲む城壁をつたい、ただひたすら緑の絨毯を歩くこと15分、これがセント・ローレンス川の大河だ!!広いなぁ~、綺麗だなぁ~・・と感慨にふけりながら、おっ?アイスクリーム屋さんだぁ~と思って、買ったのがこのアイスクリーム♪メイプルシロップは、ケベックの名物でもあり、お土産リストNO1なので、シロップ付アイスにしちゃったのだ!ちょー甘くて美味しい♪



 そして、僕のケベックの旅の中での最大の収穫!北米最古の通りとして知られる石畳の細道で、現在もロウアータウン一番の繁華街、プチ・シャンゼリゼ通り。工芸品店、プラスチック、ガラス細工、カフェなどが軒を連ね、芸術とアートの宝庫でもあります。僕は近代的なインテリアや構造デザインが好きだったのだけど、ケベックのプチ・シャンゼリゼ通りを歩きながら、「あぁ~こんな価値観あるんだ~!」って衝撃を受けて、また新しい付加価値が生まれた。一つ一つのお店に、色があり、形があり、デザインがあり・・これが集まれば「街」になる。そう、人の輪も同じだなぁ~って思う。これが僕の人生のテーマなんです☆


 その後、勝利のノートルダム大聖堂近くの、とあるお店に売っていた絵がとても気になって、うろうろしていました。そこに、店員さんが優しく話しかけてきて、しばらく立ち話や旅の話をしました。彼女は本当に笑顔でお客さんみんなと楽しく御喋りをしていて、僕の気に入った作品2点を選んだ際、ディスカウントをしてくれました。「私、この仕事大好きなの。お客さんの笑顔がいつもあるし、少しでもHappyになれば、それが私の幸せ♪」と言って、最後まで笑顔で見送ってくれました。アルバイトさんなのに、商売を超えた、幸せを与える商売をしているんです。


 「好きな仕事をしている人。人気のある人」。それはオーナーでもアルバイトでも誰でもできる。今の1円を必死に稼ぐのではなく、将来の100円を絶対に受け取るだろう彼女。でも、彼女はそれを望んでもいない。結果として返ってくるんだろうと感じる。

 2日目はピンクの豚の看板の名店「コション・ダング」へ行きました。ジューシーなお肉と、ぱりぱりのポテトを食し、コーヒーを飲みながらゆったりとしたディナーを楽しんだ後は、夜のプチ・シャンゼリゼを思う存分満喫しました♪

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