瞑想猫のブログ(主の遺言を地に落さないために)

2007.5.3 天宙新文明開闢 広島大会 訓読会(お母様と三男・顯進様

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2006.6.13 天正宮博物館奉献式(父母様と顯進様)

 

BGM 2005年ショパンコンクール本選の模様

 

sculpture

主管性転倒の象徴 清平・空中庭園 中央がお母様(韓鶴子女史)、左から3番目が真のお父様

 

2020年9月28日、清平の空中庭園で彫刻像の除幕式が行われました。この彫刻像では韓鶴子女史の像が大きく中心に据えられ、お父様の像はサイズも小さく、立ち位置も脇役のようになっており、多くの祝福家庭が意味を理解できず困惑しました。

清平修練苑の講師がFacebookを通して「七年路程を勝利した意味を込めた」とか「基元節宣布の場面”を形象化した」、あるいは「“天一國安着”の場面を形象化した」などと説明をしたようですが、お父様と韓鶴子女史の主体・対象が逆転(主管性転倒)したような構図に対する疑問は消えません。

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お父様原罪あり、お母様原罪なし、お母様がメシア宣布

『イスラエル民族を通して独り子(イエス様)を送るまで聖別して来られた選民歴史がある。『血統転換』私は母体からだ。皆さんはそれを信じなければならない。天は韓民族を通した摂理歴史を6000年間広げてきた。
何故、大韓民国、韓国という名の『韓』が偉大になるのか?摂理歴史にあって、アジアの主人は、韓王朝です。東夷族だ。私たち韓民族です。聖別して育ててこられた。』
この韓族を通して天は、皆さんが知っているように本来、天子(お父様)を送ろうとしたのですが、趙漢俊お祖父さんの銅銭3銭が引っかかって天子(お父様)の代わりに天女(お母様)を送ると仰いました。これは伝説ではなく、事実です。』(2014.7.1天正宮訓読会)

↓上記発言の映像

 

原罪をもって生まれたお父様は、私、すなわち原罪なく地上に生まれた独生女(韓鶴子女史)に出会って原罪を精算されたのだ・・・』(2016.12.30 430家庭以上の先輩家庭の婦人食口集会 天正宮)

 

統一運動とは、神の理想(One Family under God)を実現しようという運動であって、単に神を拝んで救いを得ようという教えでもなければ、まして「教祖」を崇めて救いを受けようという宗教などではありません。

原理の説く「メシヤ」真の父母というのは(神ではなく)神の理想を実現する“人間”であって、端的に言うなら、神の子女として、また人類の父母として、人類の歩むべき模範、「先例」を示す存在に他なりません。

「メシヤを“信奉”して救いを得よう」ではなく、「一人ひとりがメシヤにならって神の息子娘となり、神の愛が宿る家庭、世界をつくろう」というのが、統一運動の原理観であり信仰観でした。

確かに、「イエス様の再臨である文鮮明総裁」を思慕する思いから、信徒たちがその言動を絶対視し、奉るような傾向は昔からあり、また「教祖崇拝」的な側面があったことも事実でしょう。

しかし、文鮮明総裁が教えたことは、「教祖を拝んで生きよ」などではなく、信徒一人ひとりが「神の子女」となり「(氏族・宗族的)メシヤ」になれ、というものでした。

決して、「文鮮明総裁を崇めて天国に入ろう」とか、「文鮮明総裁を信奉する教団をつくろう」や『真の父母様の祝福を受けてこそ、天国に行ける』などという信仰や発想をもち考えてはいけないのです。

現教団に見られる「韓鶴子総裁を信奉する絶対王政」的な思想や発想、清平を総本山とする絢爛豪華な建物を建てる「統一教会王国」のような教団の在り方は、統一運動のビジョンから完全に逸脱したものとしか言えません。

教団は今なお、「神のもとの一家族」といった普遍的なビジョンを標榜してはいますが、本音のところ、実際に意図するところは、「世界の前に韓鶴子総裁の権威を高めること」であって、その向かう先は「韓鶴子総裁のもとの独立王国」にあるとしか思えません。

 

「韓鶴子総裁は文鮮明総裁をやり方を真似たのだ」という点、そうした側面もあるのかもしれませんが、韓鶴子総裁が「私を崇めよ」「私に服従せよ」と語るのを聞いて、大変ショックを覚えました。それは、文鮮明総裁からも聞いたことがない話だったからです。

信徒の方々が生活苦に耐え、家族を犠牲にし、苦労を背負いながら成し遂げようとしたことはそれだったのでしょうか? もし今なお、神の普遍的な理想と人類の恒久平和を希求し、公益性ある運動としての「統一運動」を信じているなら、今、教団が行っていることを冷静、且つ客観的に見つめ直してみていただきたいと思うのです。

聖書が記したモーセの「十戒」、神が人に与えた最初の契約の第一条は、「神以外のものを神とするべからず」というものでした。「人間崇拝」がもたらすもの、神以外の存在を絶対化し、そのもとに天下を統べようという在り方は、他を認めようとしない、極度の「排他性」を生み出すに違いありません。

「一神教」はこれまで、他の宗教や信仰に対して「非寛容」で「排他性」をもつものと指摘されてきました。しかし、その弊害が「唯一神」を信じること自体から来るものとは思いません。その唯一神を「自分の宗教だけの神」として“独占”しようとするところからもたらされる弊害だと思うのです。

原理の観点から見る時、「キリスト教の神」「イスラム教の神」等が別々に存在する訳ではありません。また「家庭連合の神」などというものが存在する訳ではないのです。もしこの世界に、本当に「神」が存在するのだとすれば、それは「すべての宗教に共通する全人類全被造世界を包容する親なる唯一神」であり、宗教や宗派や教派を超えた存在であるに違いありません。

 

全世界、80億人類のうち80%は、どのような宗団であれ機構を持つ宗教に所属しており、95%は神の存在を信じているということだ。顯進議長は「人類が信じる神の名前は違ったとしても、最終的にその神が同じ存在であることを認識するなら、人類が一つの家族として生きていくことができるようになる」国連上院に超宗教議会の創設するのは、神様からの命令であり、文鮮明先生の遺言です。

 

その共通の親なる神の理想を共に成そうとする時、宗教は共に手を携え、それぞれの先例を立てつつ、共通のビジョンを果たしていくことができる――、これが統一運動の観点に他なりません。一人の教祖を“神”のように崇める在り方は、他の信仰に対する「排他性」を生み出し、逆に平和世界実現を阻害するものにならざるを得ないでしょう。

 

家庭連合は本来、統一運動を標榜し、「公益的運動」を志向するものでした。しかし、それを「独善的教団」へと変質させてしまった根本原因は、本来のビジョンや普遍的原理を失い、独自の信条と組織信仰、教組崇拝といった「歪んだ信仰」に陥ったことにあると思います。

全人類が平等に神の息子・娘となる、こうした指摘は、今なお教団に身を置く信徒の方々からすれば、身を切られるようなことであって、特に財産など多くを投入し、犠牲にして来られた方であればあるほど、(何も苦労していない人が天国に入ることが)受け入れ難いことなのかもしれません。

しかし、内側から、現教団の問題の深刻さに対する“自覚”が芽生えない限り、韓鶴子総裁と現体制の進む方向性が、本来の統一運動と“逆行”(お父様原罪あり、お母様原罪なし、お母様がメシア宣布)していることに気付かない限り、信徒の犠牲は広がる一方だと思うのです。

 

私は三男・顯進様を支持する者ですが、それは顯進様を“信奉”しているからでも、“神格化”しているからでもありません。私が顯進様を支持する理由は、統一運動本来のビジョンを信じるからであって、その理想実現をブレなく追求し続けているその「先例」を、顯進様の中に見るからです。

 

平和メッセージ8「天宙平和統一創建の真なる主人Ⅱ」

2006年10月14日、「天正宮博物館」で開催された第五回蒙古斑同族世界平和連合総会

世界の指導者の皆様! 今わずかに一年を超えた「天宙平和連合(UPF)」を、私たち全員が力を合わせてアベルUNの位置に立てるべき使命が私たちにあることを忘れないでください。新しい天宙平和機構として発展させていくことはもちろん、サタン圏を代表するカイン格の既存の国連UNを改革して、国連UN内に世界的宗教指導者たちで構成された上院格の平和議会を創設し、既存の安全保障理事会と同等の位置の、神様の保護を受ける議決機関として立てようというのが天命(神様からの命令)です。超国家的で超天宙的な次元で、心から人類の福祉と平和のために働く平和議会の創設をいうのです。

 

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