瞑想猫のブログ(主の遺言を地に落さないために)

2007.5.4 天宙新文明開闢 大阪大会当日(お母様と顯進様 )

瞑想猫(にゃんこ先生改め)のブログ-2007.9.23.1

2007.9.23 UPFがアベルUNとして本格出発した式典(父母様と顯進様)

 

顯進様がビジョンと文化を正しく立てる上で、何よりも重視したのは「リーダーシップ」の変革でした。なぜなら、指導者のもつ意識と文化が全体の意識と文化を決定づけるからです。

二世教育においても、最初に打ち出された教育ラインは「リーダーシップ教育」でした。

それが一部では、「顯進様は優秀な人材、リーダー的存在にしか関心をもたない」といった誤解を招きますが、顯進様の語るリーダーとは常に、「権限をもつ者」ではなく「責任をもつ者」であり、「君臨する者」ではなく「範を示す者」(=先例)、「周囲に侍られる者」ではなく「周囲のために生きる者」でした。

※顯進様は従来の誤った「アベル・カイン」の観点を是正し、神がアベルを立てたのはカインを愛するためであり、誰よりも神を思い、カインを愛する者がアベルとなるのであって、カインへの愛情と責任を失った時点でアベルではなくなると強調された。

 

顯進様はこれを「真のアベル」と表現しながら指導していきますが、顯進様が当時、何よりも深刻に捉えていたのは「教権指導部」のリーダーシップであり、それがもたらす組織体制でした。その最たるものが「日本の献金体制」に他なりません。

 

遡ること98年、顯進様が来日した際、既に日本の献金体制の“異常さ”に気付き、この在り方を巡って、文総裁と口論にまで至っています。 

顯進様は当時、文総裁の意向を受け止め、まずは次世代の教育に集中していきますが、2001年初頭、文鮮明総裁が48歳以下の全指導者を顯進様の指導下に置くとした命令したことで、いよいよこの改善に踏み切るのです。

ちなみに、この時、顯進様に日本の献金体制の深刻な内情を吐露し、秘密裡に現状を訴えたのは、日本教会内の“日本人責任者”でした。

90年後半、最も悪質だったされる日本の献金体制というのは、韓国人の総会長(=内的には会長の上位)のもと、全国各地区に同じく韓国人の地区長(当時は“リージョン副会長”と呼称)が立ち、献金を取り仕切っている状況でした。

 

様々な教会現場で、恐喝じみた集金方法が取られたり、目標達成できない担当者が罰則を与えられたり、責任者の公金横領を指摘した経理担当が手を挙げられたり、職を解かれるといった話までありました。

しかし、そうした体制が、「献金=文総裁の意向」という名目のもとに正当化され、また総会長が文総裁の信任を得ていたことから、誰もその“牙城”に手を出せなかったと言います。

※顯進様は、教権指導者たちが文鮮明総裁を神格化し、献金がもたらす、その経済的権威を用いて自らの組織内の立場を高めようとする在り方に強い問題意識をもっていたのです。

 

↓(映像)文鮮明先生と文顯進会長による統一運動の重要性と、真の家庭と統一運動を破壊した教権指導部

 

報告を受けた顯進様は、この問題から目を背けようとはしませんでした。同年3月、問題となる責任者たちを含む、世界の指導者たちを集めて21日間の指導者研修を実施。その裏で、日本教会内の現場監査が進められることとなりました。

顯進様はこの研修を、単に特定の個人を糾弾するような場にしようとしたのではありません。全指導者が「真のアベル」として生まれ変わるよう、本来のリーダーシップとその公的責任の重大さとを、凄まじい波動で訴えたのです。

あなた方がこの運動に入信した理由は何だったか!? 神の御旨に生きようとこの道に来たのではなかったか!? その最初の動機はどこに行ったのか!?」 それは、彼ら自身を初心に立ち返らせようとするものでもありました。

そうして、この研修後、監査結果に基づき、大々的な人事が行われたことで、最も深刻だった時代の献金体制が改められたのです。

 

しかし―、これはまた、顯進様と教権指導部との本格的な衝突の発端ともなりました。

顯進様はこの人事直後から、それが「現場を無視した独断的措置だった」として糾弾され、歪曲された報告を受けた文鮮明総裁から厳しい叱責を受けることとなるのです。

顯進様は文総裁が信頼する総会長を同じく信頼し、彼の管理下の問題を(文総裁に報告し責任を追及する代わりに)彼自身の了解と責任下において正そうとしました。

しかし、こうした思いとは裏腹に、総会長が自分の元の指導者たちへの人事措置や、それに伴う献金実績の責任を顯進様に転嫁したことで、また顯進様に内部問題をリークした日本人指導者が口をつぐむことで、悪しき体制を是正しようとした顯進様の行動は「独断的措置」とされ、それ以後、同氏は教会組織の人事に一切関与できない立場とされてしまうのです。

 

最後に ~残された課題と変わらない体制

顯進様はその後も変わらず二世・青年圏の変革を主導し、さらに宗派・教派を超えた平和運動へと活動舞台を広げながら、超宗教運動としての本来の統一運動を志向しつつ、既成世代とは発想を異にする次世代のリーダーを育成していきました。

しかし、一方の教権指導部はそうした顯進様の改革に対して何かと批判し、文総裁にも誤った報告を入れながら、これを牽制し続けるのです。

結果、2000年代は、顯進様が主導する改革路線(改革派)と、従来の教会体制を保持しようとする勢力(体制派)とが混在する状態が続きました。

その後の流れは、前回記した通りです。教権指導部は顯進様を締め出し、教団強化へと舵を切ることで、顯進様が主導したものとは相反する、「教組・教団組織中心」の体制が築かれるに至るのです。

 

結局のところ、当時の改革運動によって何が変わり、何が変わらなかったのか―。

結果から言うなら、顯進様の変革は次世代のリーダーの“文化”を変えましたが、既存の“体制”を変えるには至りませんでした。それが課題となって残り続けてきたのです。

いえ、“体制”(韓国を中心とする全体の体制)だけを見るなら、今は当時以上に「教祖中心・教会組織中心」になっていると言えるでしょう。これが、今の教団の複雑さであるように思うのです。

顯進様が放逐されて以降も、若手リーダーの意識や文化は、「改革派」のそれを志向し続けていました。しかし、組織としては「体制派」の在り方に身を置かなければならなかったのです。言わば「心は改革派、体は体制派」といった状況でしょう。

 

現職の指導者の中にも、当時の顯進様の観点に同意するリーダーは少なくないはずです。しかし、自らが信奉し、支持しているトップの発想—韓鶴子総裁や教権指導部の発想と指導方針はそれとは明白に異なるのです!

現在の日本教会を見る時、当時の改革派の面々が要職に就くようになりました。そうした意味では、過去の教会と今の教会の文化は同じではないでしょう。日本教会内には、体制の改革・改善を志す人々もいるはずです。

しかし、統一運動の方向性と、現指導部の方向性とを“同時に”支持しようとすることは、完全な“自己矛盾”なのではないでしょうか?

 

率直な実感として、家庭連合のそもそもの問題とは、教えと実体、言っている事とやっている事、掲げている理想と創り上げている組織が“違う”という点にありました。

家庭理想を語りながら家庭に負荷を与え続け、超宗教を語りながら教組への絶対服従を教え、世界平和や社会貢献を説きながら、教団自体の絢爛豪華な施設拡充にばかり多大な関心を寄せ、莫大な資金を注ぎ込む―。

本来の統一運動に立ち返るためには、こうした現体制の発想や方向性と袂を分かつか、そうでないなら、信徒を“組織”から解放し、一人一人が統一運動のビジョンを志向できるようにすることが求められるのではないでしょうか?

 

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