ぼくたちは、のんびりと絵を見てまわったよ。



うきお「まさに芸能界は離婚ばかりですね。自分の妻が前にヤリまくっていた男のことを知っていれば、そりゃすぐに嫌になりますよ」


猫大魔王「ウム。芸能人でも、一般の女性と結婚した男性は離婚は滅多にないのである。もちろん、その女性は処女だということが大前提である」


うきお「そうですね。やはり、処女というのは大切に守るべきものなんだなあ」


猫大魔王「まさに、そのとおりである。上にかかっているあの大きな絵を観るのである」


うきお「あっ、あれは・・・! えへっ♪」



ニャンまげにとびつこう!

ジャン・オノレ・フラゴナール「天使の悪戯」



猫大魔王「「天使の悪戯」という絵である」


うきお「ルーヴルには、エロい絵がたくさんありますなあ」


猫大魔王「ウム。あれは聖書の一節を描いたものである。この時代の未婚の女性は、皆、貞操帯をつけて生活していた。しかし、この若く美しい処女は、屈強な兄がいるからという理由で、ある夜、貞操帯をはずして寝てしまった。すると、こっそりやってた天使に、知らぬまに服を脱がされ、気づかぬうちに犯されてしまったという絵である」


うきお「この天使、すっきりしたあ~~~って顔をしてますなあ。えへっ♪」


猫大魔王「ウム。対して、この寝ている女には大いなる不幸が訪れるような暗示で描かれている。その後、この女は町中の男から石を投げられ、醜い姿になりはてて、火に焼かれて死んでしまうのである。どのような時でも、女は自分の処女を守らなければいけないという教えである」


うきお「聖書は良いことを言いますなあ。やっぱり僕クリスチャン♪」


猫大魔王「ウム。女性が処女を守るのは決して男性のためではなく、むしろ自分のためなのである」


うきお「といいいますと?」


猫大魔王「結婚生活には2つの原資がいる。ひとつは経済的に原資であるが、もうひとつは心的原資である。自分が処女であった場合、夫はその妻をほかの男にとられたくないものである。この心的原資が、離婚のような危機が訪れた際、夫の心の中でストッパーになってくれるのである」


うきお「それはそうですなあ!」


猫大魔王「妻が処女でないというのは、論外なのである」



【参考文献】

703 :名無しさんの初恋:2010/10/14(木) 02:07:24 ID:sLo4lEHu
少し真面目に話そう。

結婚生活に送るのには2つの原資がいる。一つは経済の原資、もう一つはモチベーションなどの原資になる
心的原資だ。
この2つの原資はどちらが欠けても経済問題と性格不一致という離婚事由として現れる。
どちらもそこそこ60点以上の場合は、家庭円満、夫婦円満というわけだ。
経済の原資は、職業の種類や給料という形で現れるのは簡単にわかることだが、もう一つの
心的原資になるものは何であろうか?
最終的にマネーである経済の原資に男女差は少ないが、心的原資に男女差はないだろうか?

結婚を維持しようと言うモチベーションについて考えた場合、夫が妻に与える心的原資と、その逆では
量も質も方法論も違うだろう。
誕生日のプレゼント一つとっても何が買えるかは経済原資だが、何を選ぶかは心的原資の領域だ。
男の君らが腕一杯の誕生花を貰ってどの程度歓喜に包まれるだろうか?
おそらく殆どのケースで妻のそれには及ばないだろう。花は心的原資としては男女差のあるものなのだ。

処女も同様に、守っている女側は守っている間は労があるだけで不毛な作業であるかもしれない。
しかしながら、それを頂く夫側には大きな心的原資となり、離婚のストッパーとして夫の胸の内で
働き続ける事になる。
殆どの男は、仮に妻に飽きてもうやる気がしなくても、処女妻だった場合、他人にやられるのは
嫌だという強い拒否感情がある。この拒否感情はまさに妻は処女だったという心的原資から発生して
おり、様々な場面に利いてくる。

これがあると無いとでは雲泥の差になることは必至で、妻が処女であるという心的原資がない結婚は
脆弱でリカバリー能力のない危機的結婚になることを示しているのだな。ただでさえ男の本能に逆らった
一夫一婦制を行おうというのに、妻が処女ですらないというのは論外なのだな。