なごみ君という天使が舞い降りた | Hālau Nā Wai 'Ula O Keala

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Hālau Nā Wai ‘Ula O Keala は、HULAを通してハワイの文化と伝統を学ぶ熊本にあるフラ教室です。

今回のハワイ島でのコンペティション He Lei Hiwa No ʻIolani Luahine Hula Festival & Education Challengeで見事 ハイスコアを出し、奨学金をGETした なごみ君との出会いは、Kumu Kealaを通してでした。

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Kumu KealaのNā Wai Iwi Ola - Japan Kyushuになごみ君が入会した時、それが初めての出会いでした。

Kumu Kealaも日本の生徒でKāneは、なごみ君が初めて。

なごみ君だけのためのトレーニングが始まりました。

まず、Kumu Kealaが気づいたのは、足腰が弱いこと。

Kāne HULAを踊る上で致命的です。

ハワイの子供たちと同じようにダックウォークからの指導になりました。

Kumu Kealaが不在の間は、私が指導することに。

そんな出会いから始まり、次の5月のトレーニングを心待ちにしているところに、あの熊本大地震が襲いかかりました。

5月のトレーニングは流れ、Kumu Kealaのトレーニングは7月に延期されました。

右往左往する4月。やっと踊る気分になっていく5月。

そんな中で、なごみ君は、このハワイ島でのコンペティションに出てみたいと決心します。

踊りたくても踊れないそんな状況が彼をコンペティションでみんなの前で踊りたいという心境にかりたてたのかもしれません。

6月、ハワイ島でのKumu KealaのバースデーHō'ike。Kumu Kealaに彼とお母さんの意向を伝えました。

7月の熊本でのトレーニングで、彼がイオラニのコンペティションで踊る曲を授けるとのこと。

7月のトレーニングで初めて、Kālaʻauを使って踊ることを伝えられました。
なごみ君はこれまでHula Kahikoをほとんどやったことがないのです。もちろんKālaʻauを持ったこともありません。

初めは、ホームセンターに売ってある木材を使って練習させていました。

なごみ君の周りのご両親、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、ご近所のおじちゃん、おばちゃんが なごみ君のために、PeleのPāʻoaに代わる桜の木を見つけてくれたそうです。ハワイで作ると同じように、いろんな行程を経てなごみ君のKālaʻauは出来上がりました。おじいちゃんが一生懸命 磨いてツルツルにしてくれたと、自慢げに話してくれました。

そして9月のKumu Kealaの来熊。

なかなか、イプヘケのリズムとヘヒが合わず、クイが弱く、Kāneの踊りには まだまだです。
原因はわかりきっています。
足腰が弱いこと。

毎朝の歯磨き時にスクワットしてねと指導しますが、なかなか実践してくれなくてヤキモキ(笑)。
(間近になったらやってくれてたようです)

そしてチャントは、Aia e ka lā i ka Niʻolani
長いメロディックなチャントです。
心の中で、え〜? って叫んでいました。
大人でも難しい音程のチャント。そんなのやらせるの〜????

これでなくちゃダメですか?

Kumu Kealaに何度も問いました。

Kumu Kealaは首を縦には振りませんでした。

やるしかないね。

でもこの時、彼が音程が理解できないとは私は知りませんでしたから、何とか教えなきゃって思っていました。

カヘアも言えたり言えなかったり、カヘアに集中するとヘヒができない。早くなったり遅くなったり・・・

Hula ʻAuanaもこの時期に教えていただきました。
プイリを使い踊ります。

Hula ʻAuanaはビートではないので、さらに体感しにくいようで試行錯誤して練習するも、一緒に踊らないとリズムが取れない・・・・。

なごみ君はすっごく感受性が強く、物事をハートで理解する子です。

心や頭の中に絵を描いて理解しようとしているのが、話していて分かりました。

特にチャントとHula Kahikoは、物語として理解してもらえるように、その物語を私に伝えられるようになるまで話しました。 なごみ君のチャントで私が目の前にストーリーが描けるようになるまで。

ハートで理解してくれたと思っています。

それからは彼のチャントは変わりました。

歌いたい!

とお母さんに泣いたこともあるそうです。

それを敢えて 他の人にお話して聞かせるように話してね、と 説き伏せました。
みんなと一緒でなくてもいいんです。
みんなが歌うから自分も歌うではなく、なごみ君にはなごみ君の伝え方があることを知って欲しかったんです。
それがこれからのなごみ君のHULA人生で大切なことだと信じていたからです。

Hula ʻAuanaも聞こえずらいなら自分の中にメトロノームをリズムを作ればいいんだよと彼に言いました。
Kumu Kealaの 「カホロ (はじめの合図)」を無視して動きなさい、とも言いました(笑)。

先生が言ったことを100%できる子なんて いません。

でもなごみ君は、100%やろうとします。

出来た出来ないは、次の段階。

私は出来るように100%努力する生徒に出会えたんです。  こんな幸せに出会える先生ってどのくらいいるでしょう。

そして11月、なごみ君のお母さんから、Nā Wai ʻUla O Kealaになごみ君を入れたいとの申し出を受けました。

なごみ君が、入室のチャントや終わりのチャントをやりたがっていると。

12月、Kumu Keala来熊時に、この話をさせていただきました。もちろんKumu Kealaは、喜んでくれました。

なごみ君は、私がある程度のレベルまで到達させ、その上の段階に引き上げるのはKumu Kealaの役目だと話してくれました。

なごみ君の出現で私の指導者としてのスキルアップにつながっていること私のHULA人生になくてはならなかったのがなごみ君との出会いだったようです。

私だけではありません。

周りの人たち関わった全ての人に癒しと感動を与え、幸せを与えてくれています。

彼の周りにはレインボーの虹が常に取り巻いています。

コンペティションでHula Kahikoが終わった後に彼が言った言葉です。

「先生、僕のKālaʻauからぴゅ〜って煙が上から出て行ったよ。」って。

「ペレだよ、ペレ‼️  ペレがなごみ君のKālaʻauにいて一緒に踊ってくれてたんだよ〜‼️」

なごみ君は、奇跡の子です。

みんなが幸せになれるように生まれてきた子だと感じます。

この出会いに感謝です。


彼のこの成果にはご家族の並々ならぬサポートと深い深い愛情があってのこと。特にお母さんの存在が大きかったと思います。
陽子さん、頑張りましたね。
サポート、ありがとうございました。

子どもは世界の、宇宙の宝です。
宇宙からの贈り物、預かりもの。
彼らの素晴らしい未来のために、大人が少しでも良い環境を彼らに残していきましょうね。

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