- Buena Vista Social Club/Ry Cooder
- ¥1,892
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いやあ、とにかく、かっこいい。そう思った。
11月29日に紹介したアルバム「SIEMBRA 」も、かなりかっこよかったけれど、このアルバムも負けず劣らずかっこいい。
でも、この2つの「かっこいい」の間には、なんと20年の歳月が横たわっているのです。
この20年間は、日本あるいは英語圏を中心としたポップの世界では、ラテン音楽不遇の20年間と言っていいかも知れません。 残念だな。
ライ・クーダーのプロデュースによる、このバリバリのキューバ音楽が世に出たことで、そして知る人ぞ知るの世界では一斉を風靡したことで、キューバ音楽さらにはラテン音楽全体が日本の若い世代に広がっていくにちがいないと期待していたのです。
しかしながら、まだまだラテン音楽はマイナーなのかもしれませんね。残念だな。
さて、このアルバム「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」には、サルサではなく、「ソン」、「ダンソン」、「ボレロ」、「グアヒーラ」と言った、キューバの基本的なダンス音楽が収録されているのです。
「SIEMBRA」の紹介の紹介の際には、「踊らないサルサ」と題して、サルサがダンスを目的とした音楽から鑑賞を目的とした音楽へと一歩進んだとい書きました。
20前にキューバから、そしてプエルトリコからの音楽が、アメリカの都市で洗練されてサルサへと変化し、それが鑑賞に耐えうる音楽へと洗練されていったのと同じように、これらのキューバの基本的な形式の音楽が、驚くほど洗練されて来ているのを、このアルバムでは聞くことができるのです。
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キューバのベテラン一流ミュージシャンを結集してつくられたアルバムなので、ミュージシャンの皆さんはけっこうお歳をめされています。
ボーカルのイブラヒム・フェレルは70歳。
ピアノのルベン・ゴンサレスは77歳。
コンガを叩き、ギターを演奏し、そして歌うコンパイ・セグンドは、なんと89歳!
老齢の大御所が演奏するというと、ちょっとゆるいけれど味がある、といったいわゆる名人芸になってしまうのが普通なのだけれど(例えば、フランク・シナトラが晩年に若手ミュージシャンとの競演でつくったアルバムのようにね)、このアルバムにはそういった「ゆるさ」は微塵も存在しませんよ。
むしろ、非常に硬質な緊張感が感じられるほどなのです。
10曲目(Amor de Loca Juventud)のコンパイ・セグンドの声は、若々しくて色気さえ漂っているし、
12曲目(Murmullo)のフェレルの声なんて、つやつやしている。
そして、タイトル曲(アルバムでは13曲目)の、BUENA VISTA SOCIAL CLUB の美しさなんて、まるで、現代美術の抽象画を見るようです。
ルベン・ゴンサレスのピアノ、かっこいい。キューバ音楽の可能性を感じるなあ。
研ぎ澄まされたリズムとアレンジには非常に透明なものを感じるし、もっと、もっと言葉であらわすなら、「静謐」、「緊張」、そして、「硬質で透明」。
まるで、ラテンの美意識が結晶したようだ。 (溜息)
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「全ての芸術は音楽の状態にあこがれる。」という言葉があります。
つまり芸術の中で、音楽というのはとびぬけて抽象性が高いってことです。
ボクは建築や街のデザインをしているのだけれど、重力にさからって建物を建てることはできないし、もともと建物には通常何らか用途があるわけで、それを無視した表現はなりたたないってこと。
つまりそういう当たり前の点で抽象性が低くなってしまっている。美しさを求めていながら、とても抽象性が低くで俗っぽい要求を満足させなくちゃあならない。
それに対して音楽は非常に純粋で、音楽の美しさは、なにを表現しているかじゃなくてその表現そのものに宿っている。
ところが一方、音楽というのはとても大衆性が高い。
抽象的で、同時に大衆的。なぜなんだろうか?
ボクはそれは「リズム」と「歌詞」なんだと思う。
リズムというのは身体性ね。つまりそれに合わせて体が動くか?
歌詞というのはメッセージ性ね。つまりそれに共感できるか?
この前に紹介した「SIEMBRA」と今回紹介した「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」を聞いてくださいな。
抽象性と大衆性を、きっと同時に感じることができるはずです。
