遠山の目付(えんざんのめつけ) | ももちゃんと、二人三脚。

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エンジェルガイダンスカウンセラー・ヒプノセラピスト
葉月のブログです。
2012年5月22日に、2歳11か月で光の世界に帰った娘、
百花と一緒に “二人三脚” で
天使ママさんのお手伝いをしています。

大学生の頃から 百花を出産する 少し前まで、ずっと古武術を習っていました。

 

今でも、道場に籍は残っているらしいのですが、

私自身は もう 再開することはないだろうな・・・と思っています。

 

 

じつは 古武術というのは、結構スピリチュアルな ものの見方をします。

 

 

スピリチュアルも 武術も、どちらも

方法は違えど、目指すところは 真理の追究なので、

 

結局は 同じゴールにたどり着く ということ なのかも知れませんね。

 

 

 

私が習っていた武術には、

 

遠山の目付(えんざんのめつけ、もしくは とおやまのめつけ)』

 

という言葉があります。

 

 

 

何かを見るときには、遠いところにある山を見るように、

ものごとの 全体を見なければならない。

 

という意味です。

 

 

山に生えている 一本の木を見つめるような ものの見方をすると、

大切なものを見落としてしまうかも知れないからです。

 

 

 

 

 

 

子どもを亡くすという経験をしてまで、親が学ばなければならないこと・・・

 

 

 

 

いろいろあるのだろうと思いますが、

その中の一つが この 遠山の目付 的なこと なのかも知れない、

と、私は思っています。

 

 

 

 

子どもを亡くしたことで、私は

“魂”について、深く深く 考えざるを得なくなりました。

 

 

“人が死ぬ”とは、つまり どういうことなのか?

 

今、私の子どもは どこでどうしているのか?

 

 

それが、自分の人生で 最も大切なことになったからです。

 

 

 

 

そこを追求していくと、結局

 

この世とは 何だろう?

 

あの世と この世の関係とは?

 

とか、そういうところに行きつきます。

 

 

 

そうすると、さらに

 

私たち人間が、この世に生まれてくる目的

 

とか

 

愛を選ぶか? 怖れを選ぶか?

 

とか、

 

そういうことに つながっていきます。

 

 

 

 

 

 

まあ、別に そこまで 考える必要はないにせよ、

 

 

それでも、魂の存在を信じて生きるのと、

魂について考えもしないまま、生きるのとでは、

 

同じような日々を過ごしていても、

目に映る世界が全く違ってくるように思うのです。

 

 

 

 

だから、悲しみの中で、目を閉じたまま 生きていくのではなく、

子どもを亡くしたことで 授かった ものの見方で、

この世界を見ていけたら。

 

 

今はそれが難しくても、

いつの日か、そのように見ることができたら。

 

 

 

ご供養の形というのは、自由で、

亡くなったお子さんへの想いがこもっていれば、

それでいいと思っていますが、

 

 

たとえば そんなふうに、ものの見方が変わるだけでも、

亡くなったお子さんへの ご供養になるのかも知れない。

 

と、思います。

 

 

 

 

 

 

絵文字も写真もない、ずいぶん地味な記事になってしまいましたので、

 

これまでに何度かセッションを受けてくださっている

天使ママさんが 送ってくださった梅の写真を貼り付けさせていただきます。

 

 

 

道知辺(みちしるべ)

 

という梅だそうです。

 

 

 

今年伐採されてしまいましたが、

枚岡神社の裏の、枚岡梅林にも

同じ名前の梅が植わっていたことを思い出しました。

 

 

もう、春が そこまで来ていますねウインク