
(「踊り子」クハ185-102・東京・1982年8月)
電気釜スタイルを捨て去った前面デザインにもびっくりしましたが、なによりもクリーム4号に赤2号のラインという特急色ではなく、クリーム10号に緑14号の斜めラインが3本という極めて斬新なカラーリングにびっくり。この塗装、当時は「連続感がない」とか「スピード感がない」とかなり酷評されていたのを覚えています。

(モハ185-23・東京・1981年3月)
185系は急行形電車の置き換えを目的としていたため、普通列車での運用していました。構想時はデッキなし構造も検討されたようですが、最終的には急行形に準じた1,000mm幅片開き扉を2箇所配置とされました。車体寸法も急行形に準じ、中間車の全長は20,000mm(特急形の標準サイズは20,500mm)、全高4,066mm(同3,475mm)と特急形の標準サイズとはまったく異なります。さらに側窓は1段上昇式を採用。窓が普通に開く特急形電車は前代未聞でした。
一番びっくりしたのは転換クロスシートを採用したこと。117系用をベースに枕を独立させ、座り心地を改良したものでしたが、特急形電車は簡易リクライニングシートに時代に入っていただけにレベルダウン感が否めませんでした。
また185系のシステムは117系がベースで最高速度も120km/hではなく110km/h。しかし117系は料金不要の新快速なので、相対的に185系のがっかり度は高まったものです。
そんな185系ですが、置き換え方法もびっくりで、一斉置き換えではなく、順次153系を置き換えていくというものでした。つまり185系は急行「伊豆」としてデビュー。文字ながら「急行 伊豆」のヘッドマークも掲出されました。

(「伊豆」クハ185-104・品川・1981年3月)
185系は153系と共通運用だったため、185系+153系という通称「お化け編成」も出現。

(「伊豆」クハ185-111・東京・1981年8月)
これ自体は見ていても楽しい珍編成でしたね。
185系登場当時、伊豆方面へは特急「あまぎ」が運転されていましたが、185系にも「あまぎ」のイラスト入りヘッドマークが用意されていて、回送からのマークチェンジの際には見る事ができました。

(クハ185-102・東京・1981年8月)
1981年7月までに185系は基本10両編成8本と付属5両編成7本の115両が出揃っています。
そんな185系に初めて乗車したのは1981年8月のこと。

(クハ185-102・小田原・1981年8月)
たしかに、普通列車としてはとても豪華ではありましたね(笑)。余談ですが185系0番代の初運用は普通列車だったそうです。
185系の先頭車には3本のジャンパ連結器が装備されていましたが、内側の1本は185系用のKE96形。外側の2本は153系と連結する際に使用するKE64形でした。
そして1981年10月から急行「伊豆」と特急「あまぎ」をL特急「踊り子」として昇格、統合されましたが、この「踊り子」という名称も特急列車として考えると当時は違和感があったものでした。

(「踊り子」大船~藤沢・1983年3月)
なお153系併結用のKE64は置き換え終了後順次撤去されています。
185系0番代に続き、新前橋電車区の165系置き換え及び、東北・上越新幹線アクセス列車用として185系200番代の製造が1981年末から始まりました。

(「ゆけむり」クハ185-302・上野・1982年8月)
配色は185系0番代同様クリーム10号と緑14号ですが、新幹線アクセス列車を強調するために腰部に帯を巻くオーソドックスなスタイルとなりました。また寒冷地対策としてクハ185形のタイフォンにカバーを設置したほか、パンタグラフもカバー付のPS16Jとなっています。0番代同様急行形電車との併結を考慮したKE64形ジャンパ連結器を2本装備していましたが、併結相手が165系なので協調継電箱やジャンパ連結器の線番号が変更されているそうです。
運用の関係上、信越本線横川~軽井沢間の碓氷峠、いわゆる横軽通過対策も講じていて、軽井沢側の先頭車クハ185形200番代に車掌弁を設置。また横軽では台車の心皿逸脱などを防止するため空気バネをパンクさせて通過しますが、通過後速やかに空気バネを復帰させるため、電動空気圧縮機(CP)を本来のモハ184形200番代に加えてサロ185形200番代にも搭載しています。
なお、横軽を通過する165系、169系は重量のある電動車を麓の横川側に集めるために編成を方向転換。軽井沢側向きのクモハ165(169)形が上野側に向いていますが、165系と併結する新前橋の185系も同様に方向転換されました。これは横軽廃止後もそのままでしたが、2013年3月に正規の方向に転換されました。
185系200番代は1982年3月10日から運用を開始。「ゆけむり」「草津」「あかぎ」と普通列車に充当されましたが、185系0番代とは異なりヘッドマークは「急行」表示でした。

(「草津」クハ185-205・上野・1982年8月)

(「あかぎ」クハ185-207・上野・1982年8月)
新前橋区の165系との併結運用、すなわちお化け編成も存在。

(クハ185-301・上野・1982年8月)
ただし、東北本線系統の列車には運用されていませんでした。
185系200番代は1982年6月23日に開業した東北新幹線へのアクセス列車として上野~大宮間に運転を開始した「新幹線リレー号」にも14両編成で使用開始。

(「新幹線リレー号」クハ185-301・鶯谷・1982年8月)
185系200番代は7両編成16本112両が製造されました。
1982年11月15日の上越新幹線開業時には「新幹線リレー号」を28往復に増発しています。
このダイヤ改正では165系使用急行列車の一部がL特急に格上げされました。
上野~水上間の「谷川」は急行「ゆけむり」の一部を格上げしたものです。

(「谷川」クハ185-306・湯桧曽・1983年10月)
当初は越後湯沢や石打への季節延長運転も行なっていました。
上野~万座・鹿沢口間は季節特急「白根」と急行「草津」の一部をL特急として統合。

(「白根」クハ185-305・浦和~大宮・1985年2月)
これによって183系1000番代の季節特急「白根」は消滅していますが、「白根」は定期のL特急に昇格しました。
なお11月15日ダイヤ改正前の8月16日の「白根」に185系200番代が充当されていますが、これが185系200番代の初特急仕業であると同時に、この日は185系200番代使用の普通列車、快速列車、急行列車、特急列車が走った貴重な一日だったそうです。
そして上野~前橋間の「あかぎ」は急行をそのまま格上げ。

(「あかぎ」クハ185-307・前橋・1983年1月)
急行「あかぎ」は「はるな」に名称変更されました。
新前橋の185系200番代は臨時列車にも使用されました。上越線のスキー特急「新雪」もそのひとつ。

(「新雪」クハ185-314・石打・1983年3月)
この「新雪」が初めて乗った185系特急でした。1982年以降「新雪」は新前橋の185系と幕張の183系が担当するようになり、田町の183系は撤退しています。
「そよかぜ」の季節列車は従来通り189系を使用していましたが、臨時「そよかぜ」には185系200番代が充当されました。

(「そよかぜ」クハ185-202・上野・1983年8月)
臨時「そよかぜ」は幕張の183系を使用していた運用を置き換えた形です。
新前橋の185系200番代は汎用特急車らしく八面六臂の活躍をしていましたが、転機は意外に早く訪れました。