調布飛行場の脇にある大沢1号、大沢2号掩体壕 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

東京の調布飛行場周辺には戦時中に飛行機を隠していた掩体壕が現存しているという話をしましたが、その時に紹介した府中市の史跡である旧陸軍調布飛行場白糸掩体壕の現状確認と、まだ見ていない三鷹市内の掩体壕大沢1号、大沢2号を見に行ってきました。

大沢1号、大沢2号は都立武蔵野の森公園の一番東側にあります。
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手前にあるのが大沢2号掩体壕、奥に見えるのが大沢1号掩体壕です。右側に調布飛行場が広がっています。公園になる前は雑木林で掩体壕も木に囲まれていたそうです。

大沢2号の回りは柵で囲まれています。
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掩体壕の入り口は北を向いていて飛行場に背を向けた格好になっています。
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どうして遠回りする感じになっているのでしょうね?

大沢2号の説明板。大沢1号も同じ物が設置してありました。
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掩体壕に納められていた陸軍三式戦闘機・飛燕の図が出ていました。
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川崎航空機製で正式名称はキ-61。ドイツのダイムラーベンツの技術供与を得て開発した国産液冷エンジンを搭載。最高出力1,100馬力で最高速度590km/hだったそうです。調布飛行場244戦隊には1943(昭和18)年7月に配備されたそうですが、エンジンの故障が多発したので、空冷エンジンに載せ替えた五式戦闘機が1945(昭和20)年4月に配備されたそうです。
飛燕の実機は鹿児島県知覧町で保存されているそうです。またエンジンは所沢航空発祥記念館にもあるようですね。

調布飛行場周辺には掩体壕の他に高射砲台も保存されているとのこと。今度見に行ってみよう。
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掩体壕を見た後武蔵野の森公園サービスセンターでパンフレットをもらったのですが、そこに掩体壕の作り方が書いてありました。
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1)「土まんじゅう」を造り、よく固める
2)板やムシロ、新聞紙を敷き鉄筋を置く
3)コンクリートを流し、固まったら鉄筋を剥がす
4)内部の土を掘り出し、コンクリートの上に被せ、草木で偽装して完成
ということは、実際はコンクリート剥き出しではないということですね。そりゃそうか。

続いて大沢1号掩体壕を見ましょう。
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表面がボロボロに見えるのは鉄筋を剥がした結果なのだそうです。

大沢1号掩体壕は調布飛行場側に入り口が向いています。
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この右脇には無蓋掩体壕が並んでいたそうです。

崩壊対策で中に発泡スチロールを詰めて、表面に飛燕と整備兵のイラストを描いています。
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全幅12m、全長8.74mの飛燕を納めるために、掩体壕のサイズは開口部幅12.3m、開口部高さ3.7m、奥行き12mとなっています。

大沢1号掩体壕の脇には掩体壕の断面と飛燕のモニュメントがあります。
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これは2006(平成18)年6月1日から公開されているのだそうです。

掩体壕とモニュメントはこのように見比べ可能。
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調布飛行場から頻繁に離陸していく小型飛行機を見守っている掩体壕。
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この掩体壕が現役だったころからすると想像できないぐらいこのあたりは変化したのでしょうね。
この次は白糸台掩体壕に向かいます。