【国鉄形電車の思い出】Part40「上野口の485系特急が衰退したころ」 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

上野口特急の主役だった485系ですが、1982(昭和57)年に運命の時を迎えました。まずは6月23日に東北新幹線大宮~盛岡間が暫定開業。速達形新幹線の列車名は「やまびこ」と命名されたため、「やまびこ」が上野口485系特急の先陣を切って廃止されました。
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(「やまびこ」クハ481・上野・1982年4月)
この時はまだ暫定の暫定という感じで「やまびこ」の廃止以外は「ひばり」の本数が減った程度。

しかし11月15日には上越新幹線の暫定開業と共に東北新幹線も本格稼働となり、上野口特急が一気に廃止となりました。

東北特急のパイオニアだった「はつかり」は盛岡~青森間の新幹線接続特急に転身。
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(「はつかり」クハ481・尾久・1982年8月)
その後「はつかり」は2002(平成14)年12月1日の東北新幹線八戸開業で、運転区間を変更すると共に「白鳥」「スーパー白鳥」「つがる」に再編されて消滅しました。

東北特急のエースだった「ひばり」は廃止。
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(「ひばり」クハ481・雀宮~宇都宮・1982年8月)
「ひばり」の名称は新幹線にも受け継がれることはなく、東北新幹線の各駅停車タイプの列車名は「あおば」となりました。

上越・羽越系統の特急「いなほ」は新潟で新幹線接続のL特急に転身。
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(「いなほ」クハ481・鶯谷・1982年8月)
こうして、「やまびこ」「はつかり」「ひばり」「いなほ」が上野口から姿を消し、すっかり寂しくなった上野口……の筈だったのですが

まだ元気に生き残っている485系特急がいました。
いうまでもありませんが新幹線開業の影響を全く受けない常磐線特急「ひたち」は健在。
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(「ひたち」(回送)クハ481・鶯谷・1982年8月)
「ひたち」はこの後急行「ときわ」の格上げも含めて勢力を拡大していきます。

奥羽本線経由で上野~秋田を結んだ「つばさ」は福島始発の新幹線接続特急が基本となりましたが、1.5往復が上野に顔を出していました。
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(「つばさ」クハ481-1032・日暮里・1982年11月)
「つばさ」が残されたのは秋田所属の485系を上野に送り込む必要があったものと思われます。

上野~山形間の「やまばと」も1.5往復が上野発着で残されました。
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(「やまばと」クハ481・北浦和~与野・1985年3月)
所要時間がかかっても乗り換えの煩わしさを避けられるので需要はあったのでしょうか。

上野~会津若松の「あいづ」はそのまま残されました。
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(「あいづ」クハ481・日暮里・1982年11月)
ただし受け持ちは仙台から秋田に移管されています。この「あいづ」用編成の送り込みを兼ねて「つばさ」の上野発着列車があったわけです。

新潟始発となった「いなほ」ですが、上野~青森間の1往復は残されて名称を「鳥海」と改めました。
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(「鳥海」クハ481-1505・八色~小出・1982年12月)
この列車はなぜ残されたのかよくわかりませんが、大好きな485系1500番代がやってくるので大歓迎でした。

この「鳥海」の間合い運用でスキー臨時列車「新雪」が運転されました。
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(「新雪」クハ481-348・上野・1983年3月)
夜の下りのみの設定で、ヘッドマークもステッカーだったりしましたが、これもまた楽しい思い出です。

そして、年末年始とお盆には「ひばり51号」「ひばり52号」が運転されました。つまり「ひばり」は臨時としてまだ存続していたのです。
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(「ひばり」クハ481-340・久喜・1982年12月30日)
思いの外485系特急が飛来した上野。
これは東北・上越新幹線が大宮起点で、新幹線リレー号による乗り継ぎが必要だったことも原因だったようですが、東海道・山陽新幹線開業時の在来線昼行特急、急行全滅とは全然違う印象だったのではないかなって思います。