【あ】明石(あかし);播州弾丸旅行(4) | 公辞苑(ハムじえん)【第二版】

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特にテーマもなく、徒然なるままに書き綴ってます。

年末の土日で、播州明石・姫路に行ってきました。

初日の土曜は姫路城観光でほぼ終了。
二日目は明石駅周辺をうろついてみました。


まずは、明石城を散策したことを書きましたが・・・
その後、明石城の東側に神社・仏閣等が点在しておりましたので、お城の東側エリアを散策してみました。


城の東側に文化博物館があり、さらにその東に位置する明石神社です。

コンクリート造りですが・・・
9代明石城主松平直常が先祖の徳川家康、松平直良、直明の霊を祀ったのがはじまりで、元々は明石城内にあったそうです。

そのすぐ東にある大聖寺

明治末期に、三国茂三郎という人物がこの一帯に梅林をつくったそうです。
その後、日露戦争の戦死者や祖先を祀るために、梅林の中に建てられたお寺がこちらだそうです。

さらに、そのすぐ東にある上ノ丸教会

明治39年にアメリカの宣教師クーパーがつくったプロテスタントの教会です。

さらに、その東に位置する妙見社

ここの隣にある本松寺が船上(明石城の前の明石藩の城があった場所)から移転されてきたときに、妙見大菩薩玄武像が寄進されたのがここの始まりらしいです。
そして、その妙見大菩薩玄武像は島左近が常時崇拝してたもので、左近の末裔からの寄進のようです。

そして、そのすぐ南東に本松寺があります。

元禄年間に明石藩家老の斉藤甚左衛門が中心となって、船上にあった本正寺をこの地に移してきたものだそうです。
宮本武蔵が作庭したと言われる庭がありますが・・・見ることはできませんでした。

本松寺から南東へ少々歩きますと、亀の水と呼ばれる湧水がでてる場所があります。

播磨三名水の一つで、長寿の水とも言われてたそうです。
湧水は持ち帰りOKみたいで、ポリタンクをしこたま持ってきてる人がいました。

見ての通り亀の水の側には、鳥居がありますが・・・
鳥居をくぐって、参道を上がって行きますと、お寺と神社が出てきます。
ちなみに、小高い山の上にあるので、参道と言っても階段ばっかりです。

まずお寺の方が月照寺です。

弘法大師こと空海が赤松山(現在の明石城のある場所)に楊柳寺を建てたとの言い伝えがあるそうですが、その後に月照寺と名を改めたそうです。
そして、明石城築城に伴って、この地に移されたそうです。

月照寺のすぐ東隣に柿本神社があります。

御祭神は歌仙・柿本人麻呂です。
月照寺の僧・覚証が、人麻呂の霊が明石に留まっていることを感得し、月照寺の裏に祠を建てて祀ったのが始まりと言われています。
当時は月照寺ともども赤松山にありましたが、明石城築城に伴って、この地に移されています。

ちなみに、柿本神社と月照寺の境内からは明石市立天文科学館の建物が見えます。

日本標準時子午線のラインに位置する博物館です。
ちょうど柿本神社と月照寺の南側にあり、小山のふもとに位置しています。
ちなみに、中には入ってません。

そして、天文科学館のすぐ南にあるのが長寿院

明石城藩主の菩提所です。
第8代藩主松平直明の父、松平直良が越前の木本城主の時に建立したもので、直明が明石に入ったときに木本から移されたそうです。

そこから南西に行ったところに、雲晴寺というお寺があります。

南総里見八犬伝のモデルとなった里見忠義(安房館山藩主)の供養塔があります。
と言うのも、、明石藩主の大久保忠職とその姉の桃源院(里見忠義の正室)が、不遇の死を遂げた忠義の菩提を弔うため、ここにあった寺院の伽藍を整備し、雲晴寺と改めたという歴史があるそうです。
境内には宮本武蔵作の庭があったらしく、それが再現されています。



まだまだ、明石散策は続きますが・・・
ちょっと長くなりましたので、ひとまずここで・・・
(つづく)