キムジヨンから、女性の結婚出産人生を考える。 | ぬくぬくのひとりごと

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無職自由業のワタクシが、映画やドラマや社会に向かっていろいろ言います。

 

 

先日の『82年生まれのキムジヨン』の感想の記事にも書きましたけど。

わたし、この作品の主人公に共感するものは何一つありません。

映画制作にあたり特集されたNHKの番組で、今を生きるジヨンぽい

女性たちへのインタビューなんぞ見ましたけど、

(前の記事にも書きましたけど)いけ好かない女たちが多かったです。

 

あぁ~一見、偏見に満ちているような書き方。

途中で怒らないで、最後まで読んでね。

 

そもそも私はオジサン脳なのかもしれません。

と言っても「女は引っ込んでろ」の考え方ではなくて

合理的に物理的に建設的な脳です。

例えば「妊娠出産をしたら大きなプロジェクトから外された」

とか、ディスカッションしてるテレビ見ましたけど。

小さな子供がいる人に任せられる仕事ではありません。

「クライアントが来いって言ってるから、今から札幌行って」

と言われたら、対応できなくてはいけない。これが社会。

「子供に熱があるので、会議遅れます」

なんて言うような人は会議には呼べない。と、私は思う。

そんなの女だけ損じゃない?

という意見があります。だけど、

男尊女卑とか男女差別ではなくて女に子宮があるから仕方ない。

母乳で育てるなら、断乳までは子供のそばにいないと。

仕事のために断乳を早めるなんて、良い母親とは言えない。

子供に犠牲を強いるなよ。って思います。

子供が赤ちゃんでいる時間は短くて。その間に母親から得るものって

甚大なのに。

ベビーシッターとか他人からの「お世話」にかえてよいものでしょうか。

 

そもそも私は、【大きな仕事】と子育ては掛け持ちできるような代物

ではないと思ってます。

子育ては大きな仕事だから専業であるべき。

ただね。ここでジヨンに立ち返ると

 

立派な大学を出て、自慢できるスキルがあって。

能力に自信がある人は、家庭に入ったらとたんに

空虚感にさいなまれるのかもしれない。

子供の笑顔とか、お金にかえられない報酬を得ているのに

お金を稼ぐという具体性から離れ、目に見える【結果】がなくなると

不安になるのかもしれない。

「私は馬鹿なの。なんの能力もないの」って笑っていえる人は

そんな不安も持たずに明るく楽しく子育てに打ち込めるのかもしれない。

 

私自身、出産適齢期に

出産をして社会から数年離れるという事が恐ろしくて

出来なかったので。私の辞書に結婚出産はまったくなくて。

男らしく(戸籍上の性別は女ですけど)生きてきました。

 

結局、そんな私は『アリとキリギリス』でいうキリギリスで

年老いた時、看取ってくれる子供もなく。

自分を埋葬できるだけのお金を残すよう努力して、

最期を迎えます。しかし

出産をしなかった自分の人生をまったく後悔していませんし。

自分を介護させる人材を作っておくための子育てという発想もないし。

自分の親に対しても、

自分のやりたいことを親のために犠牲にして介護するという

考えもない、冷たい人間です。

 

こんな人間だからキムジヨンを題材にディスカッションしてる番組は

本当に不快でした。

 

あぁ。なんか書いてみてスッキリしたけど炎上怖い。