この世の花
『この世の花』は、昭和30年(1955年)3月に公開された松竹映画『この世の花』の主題歌で、島倉千代子のデビュー曲です。今回投稿記事『この世の花』の内容は、映画、歌とは関係がありませんのでご了承ください。勝手気ままのタイトルです(>_<)
↓↓↓この曲を聴かれたい方はクリックすると即、曲が流れます。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/07/post_1d1c.html
ご自宅の庭や花壇、鉢植えで季節の花を観賞するのは素晴らしいことですが、身近な所に足を運んで花を鑑賞するのもまた楽しいものです。
練馬区なら目白通り、千川通り、環七通り、環八通りなどの道沿い、憩いの森、駅前や公園の花壇、民家・マンション・商店の軒下や玄関先など、あちこちで季節の花を見ることが出来ます。
写真は先週末(5/11~12)に近所で撮ったものです。
たかまつ憩いの森に咲くシャガ
そろそろバラの季節ですね!
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与謝野公園
与謝野晶子、寛(鉄幹)夫妻が晩年を過ごした杉並区南荻窪の住居跡にある南荻窪中央公園が再整備され、「与謝野公園」と名称が変わりました。これを記念して先月4月28日に行われた開園式には地域の方々が多数集まり、子供の頃ここに住んでいたという孫の与謝野馨衆議院議員も来賓として参加したそうです。
写真は今月4日小雨降るなかで撮ったものですが、雨にもかかわらず数名の方が装い新たになった公園を訪れてました。雨にぬれて写真を撮ってると、傘を差し出してくれる方もいて、何か温もりを感じる公園です。
与謝野晶子、寛(鉄幹)夫妻が過ごした遥青書屋は芝生の所に建っていた
傘を持ってなかったので、公園の周囲に並ぶ歌碑のズーム写真は撮れませんでした。
夫妻は関東大震災を機に大正13年にこの地を借り、まもなくその一部に洋風の家『采花荘』を建て、長男と次男を住まわせた。昭和2年には、晶子が自ら図面を描いて『遥青書屋』を建て、一家が転居した。晴れた日に二階から秩父連山、富士山、箱根山脈までが遠望できるということで『遥青書屋(ようせいしょおく)』と寛が名付けた。
与謝野晶子:明治11年生まれ。明治・大正・昭和期の歌人、作家、思想家、評論家。情熱的な作品が多い歌集『みだれ髪』や日露戦争の時に歌った『君死にたまふことなかれ』が有名。鉄幹と結婚し子供を12人を出産、63歳で没す。
夫妻が住んでいた『遥青書屋』
昭和4年の晶子50歳の賀のお祝いに弟子たちから贈られた『冬柏亭』
6畳と3畳の計5坪で、書斎や茶室として夫妻が使用していた。現在は京都の鞍馬寺に移築され唯一現存している建屋で、冬柏は夫妻の好きだった椿を意味している。
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ネモフィラの丘
近所の道端で膝をついてブルーの花を撮っていたら、その家の方が寄って来てニコニコしながら花の紹介をしてくれました。帰宅してPCで検索したところ、目の覚めるような絶景の写真に、ただただ感動しました!
近所の道端に置かれた鉢植えのネモフィラの写真2枚
検索して見つけた 茨城県ひたちなか市国営ひたち海浜公園のネモフィラの丘の写真2枚
雨上がり ネモフィラが咲く 丘の上
真っ青な空とネモフィラの丘の向こうには真っ青な海がひろがってます
今ちょうど東京から日帰りのバスツアーが出てますが、お昼の海鮮丼つきで6千円です。
新鮮な海の幸を食べて、こんな綺麗な景色を眺めたら、気持ちもスカットするでしょうね(^0^)
今回、もう一枚、群生の写真を!
北海道旭川市に住む友人が5月1日に撮った旭川市男山自然公園に咲くカタクリです。
旭川の地酒として知られる「男山」所有の男山自然公園は旭川市街から車で30分ほどの比布町との境にある小高い丘の上にあり、 毎年桜の時期よりも少し早く旭川市民に春を告げるカタクリが見られる道北随一のカタクリ原生花園です。
カタクリが 丘でささやく 男山
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