いつか生まれる日 -2ページ目

クール!



 昨日は、友人に誘われて新宿文化センターにて、ピナ・バウシュ追悼公演へ足を運びました。

 会場へついたらほとんどの人が、ピンク色のカーネーションを手に舞台へと並んでいました。
 そう、この日、ピナ・バウシュの命日だったのです。 献花は舞台上に積まれてゆき、トップライトに照らされてひっそりとした姿で、公演終了後も、暗闇にピンクが降り積もっている様子が頭の中にいつまでもありました。 

まずカフェ・ミュラーの上映、初めて全て通して観ることが出来ました。
 以前断片的に観た際、つーっと涙をこぼしてしまったのを思い出す.. 

 
 とてもとても哀しく、けれど静かに感動する。。  夢遊するように、盲目の眠りとでも言えるような、感情は暗いカフェの中で息をひそめており、けれども心がひねり潰されそうな痛みを持っている。 

 
 後半は、三宅純のバンドによる、ピナの劇中や映画で使われていた楽曲達の演奏。



 素晴らしく格好よかった。。。!!!!


  心を鷲掴みにされました。。。!!!!



 感想を述べようとすると、言葉が尽きてしまう。。

最高にクール! とだけとりあえず言っておきます。


 終演後の物販では、CDが飛ぶように売れていました。 皆 殺到。。 


 また、ヴォーカルで来ていたフランス人女性の方が、とてもスピリチュアルなオーラを持つ方で、ますます異空間。。。  

 ただ、あの会場ではのりようもなく、もっと狭い空間とか 椅子無しとかとか、もっと特化した場所で聴きたかったなあというのはある。  

 そしてやはり、劇中や映画の音楽ということもあり(その他新曲もありましたが)、そこにもう一つの姿を求めてしまった。 何かを語りかけてくれるのだけど、その物語と言うか、主役の不在を感じた。 そこを自分なりに埋めて聴くことが、映画音楽の醍醐味でもあるのだけど。 


 いや、不満ではなく、とにかくもの凄く良かったのです! クールでスノッブでドライでミステリアスでエクセレントだったわけです。。!!


 三宅さん自身がまた、格好よかったのでした。。 ピアノ演奏してる際、客席からは三宅さんは腰から下しか見えず、リズムをとってるつま先、、それがまたクール。。   ひたすらに酔わされました。。。 





 終演後は、どん底という欧風居酒屋?に落ち着く。  ずっとずっと行きたかったお店、三島由紀夫が通っていたという店。 
 思っていたよりもずっとライトな雰囲気で、若い人も多く、また席も割とある。

 地下のカウンターで呑んでましたが、隣のおじさんたちが話しかけてきて、モスコミュールを御馳走される 笑   絞り立ての生姜がとても濃くて、美味でした。 

 久しぶりに、日本酒以外を楽しんだかもしれない。 モヒート、ジャックダニエル、モスコ、たまにはオシャレな飲みも欠かせないなあ。。 美女の友達といい感じに酔いました。



 前日、23時半まで工場で作業をやってたとは思えない、、服装も話す内容も考えることもまるでがらっと異なった、素敵な夜でした。
 
 
 いいぞ!



 さあ、そろそろ奄美に行く準備をせねば。。。。




 

闇と闇


先週は、無理言って仕事を休み、お芝居を二つ見る。




一本は、『女の平和』。 @池袋 KASSAI


 舞台芸術集団 地下空港を主催している、伊藤靖朗という方が演出。 その他スタッフも地下空港関係者なり。 
 劇場へは、舞台と、そして大好きな人々に会う という気持ちで向かいました。不純動機かしら。。 笑   



 とても小さな劇場で、役者の数は多く、台詞も長くて多い、公演時間も二時間半。 

 けれども、当時の姿に近いように感じました。 なんて当時を体験してませんが、文献で見知っていたギリシア劇の知識も手伝って、舞台は紀元前2400年の話で、その時代の観客の心境と同じでは決して無いけれど、それを想像しつつ、きっと同じ所で笑ったであろうと思いつつ、楽しい芝居でした。 


 初舞台だったという役者さんも多かったようですが、熱さと勢いが、皆で一塊になって迫力となっていました。 


 良い芝居だと思えるものの一つの条件は、役者やスタッフの絆を、ほんの一瞬でも感じられる、そんな芝居だと思っている。  『女の平和』は、そういう意味でまず良い芝居。 
 勿論、もっとクールでスノッブで ドライな作品で、素晴らしいものも沢山あるけれど。



 舞台上で役者達にさらけ出されている分、こちらも心を開けっぴろげにできる。

 役者は下着をつけず(もちろん当時の話)、薄布の衣裳で、観客も薄い布隔てての観劇。 裸同士の舞台だったのでしょう。 今回も、気持ちはそんな感じ 笑   
 
  


 芝居には、創り上げる迄の面白さがまずあって、本番にはそれらが全て一度吹き飛ばされて無くなって、もう一度始まる、というか生まれる。
 その面白さ、というか高揚感が良い。 




 しかし、劇場はいたるところにあるなあと、しみじみ思う。小劇場都市、東京。
 



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 もう一本。
 「さらば、豚」は、流山児節のよく効いた、男ばっかりの舞台でした。

 一番前ど真ん中の席だったせいか、あまりに近くて、一人で観劇している錯覚に陥った。

 
 突然歌と踊りに入ったり、自らアングラだと言ってみたり、、そう アングラ的芝居でした 笑

 寺山修司の芝居こそアングラ! と想っている私は、今回のはちょっと別物ではありましたが 笑 


 観客席に内蔵を座らせて、観劇させられているよな心地になった。 昼抜きだったのも手伝って、、 



途中役者の一人が呟くように、これは本当に豚の見ている夢なのかもしれないと思う。  




  人間を人間たらしめているのは結局は自我だろうと思うけど、それもちっぽけなもの。 

 もちろん、人間の特性はいろいろあるけれど、結局は獣で、貧弱になった獣。 



 野蛮な獣なんていない。 人間の存在が、他を野蛮にしているだけで。 

  獣は純潔だけれど、人間を捨てて獣になったものは、とても野蛮。
 なんだろうか。 

 、自分が望んでいる程、人間はキレイではないようだし、ひどいもんだ。


 でも、人間臭さにひたすら愛着があるし、自分の臭いも消せない。 


 ひどいもんだ。 
 

 
  闇が描かれていたけれど、光の対比としてということではなく、更に深くて暗い闇を描くことで、メリハリのある物語となっていた。 闇と、そして闇、それから闇。


 四年前に、同じく流山児事務所の作品で、どぶねずみたちの眠り というのを観劇した際も、同じことを感じた。光は、ほんとうに少ししか描かない。 しかもその光も、鏡に反射した光のような、気まぐれで 借り物の光。

 でも、とても深ーい物語。 獣だか、人間だか、その狭間で死んだり生きたりしている生き物の話。

 いや、生き様というか死に様が描かれていたのかもしれない。





 
   
 演劇を始めてくれた人と、継承している人達に大感謝しつつ、私の夢もそこへのっけて、飛び立ちたいなあと思います。




 

休日の徒然

 感情が熱されない日々は、言葉もなかなか出ない。 

 ということで、日記もおざなりでした。

 
 限りなく職人に近い仕事につきましたが、今はひたすらに自分の不器用さ、頭の悪さを改めて思い知らされるのでいっぱいいっぱいで、お先が不安です。 
 無感情なわけではないですけども。

 
 
 先週後半は、(休んでる場合ではないのですが、)休みをもらって、芝居を二本見て、大学の友人3人と会いました。  



 とてもとても貴重な休み。。  台風の目のような休日。 

 
  感想はまた次回。

 
 どちらも、舞台芸術集団 地下空港 という劇団の人々絡み。

   

  劇場がやはり、私は大好きなのようです。 それは、プロセニアムの世界、型通りの世界が好きという意味ではなく、劇空間が好きということ。 

 


 芝居を見る同じ日の朝、木下晋という画家の世界を知りました。 

 究極の鉛筆画とでも言えるもの。 

 けれど、優れた画家、芸術家の作品について共通して言えるように、それは絵ではあるけれど、とても奥深い物語、その作家をゼロ地点として見える世界、感じる世界。 


 山形にあるお寺の天井に、彼の画があるらしい。年老いた人間が、目をつむって合掌する姿。


 京都の建仁寺の天井画の竜を見たときも、その立体感、臨場感、そして畏怖に、静かな衝撃を受けましたが、この合掌する姿もまた、もの凄いのだろうと想像する。  是非、実物を見なければ。



 大学を出て、技術的な修練、作業効率に頭をひねらせて、身体を傷付けながら働いている中で、 もっと、地に足の着いていないような想像の、創造的世界観とでもいうようなものから、離れがちである。 

 

 ポケットからぼろぼろ落して、ぎりぎり、ごわごわの手袋で掴んでいるもの達だけ、見つめる日々。 



 もっともっと抽象的、形而上的、けれど核心であり、そして革新的なものを拾い続けていかなければなと、ふと 強く想う。 





 振り向くな、振り向くな 後には夢がない 


 という寺山修司の言葉が頭をよぎる。


 確かに、振り向かなくても、目の前にあるものこそ、過去の集積である、そしてそれらは常に、現在の自分が現在の時間の中で完成してゆくべきもの。 

 けれど、後ろ時間を忘れずに、やっぱり振り向き振り向き歩いてゆくのが自分だなとも思う。 


 辿って来た道も、決して帰る為ではなく、覚えていたい。





 
  
 うーむ。 休日の物思い也。