「毒親」なんて、たわ言…じゃない理由1 | 愚痴と干渉重たい母親から卒業したい人のコーチング&カウンセリング ★幸せの感度をアップで★

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がまんで失くした自分をとりもどしていくプロセスを追求していきます
それが、母からの卒業

たのもーっ!!

すんません、先におことわりさせていただきますね。
なんてん、このタイトルについて、けっこう怒ってます。感情的になってます。
お見苦しい表現もあるかもしれませんので、先にお詫びします。

なんだか、きびしー雰囲気でのスタートですな。

というのは、「毒親」に苦しんでいる人たちへの批難を見過ごせないからでありますっ。

生き辛さを乗り越えようとする人たちへ鞭打つような発言を黙って見過ごせない。

一番怖れていることは、生き辛さを抱える人たちが、本当の理由(親との関係)にふたをしちゃっうこと。そゆことすると、解決から遠ざかるだけじゃなくて、もっと生き辛くなる…。
心が、壊れてしまうんだよ。悲しいな…。

特に、親しかも母親という切り離しがたい存在が苦しい時。苦しいって声をあげることさえ許されなかったら、もはや犠牲者じゃない?



「毒親なんて、親不幸!」「毒親なんて、甘ったれの言うこと」「いつまで親をうらんでるの?」

「だって餓えたわけじゃなんでしょ」「ちゃんと学校にもいって服も布団もあったじゃない」

「死ぬほど殴られたわけじゃなし」「虐待とよべるレベルじゃない」「躾けだったから」

「厳しくするのも愛情」「一生懸命やったのに」「親だって人間なんだから」

「親だって完璧じゃないんだから」「あの頃は余裕がなかったから」「心配だから」

「あなたが大人になって、母親を受け入れるべき」「嫌なら、スルーすれば」


『虐待してない、育児放棄してない、異常なほどの過干渉なんかじゃない。だから、毒親って言われる筋合いないし、毒親って言うほうが間違ってる。おかしい。』


で、こういう主張する人のほとんどが、観念的。経験則のみ。

昔のやり方だけ、従来のやり方や考え方だけを正しいって信じちゃってるよね。

でも、心理学という分野の研究が進んだおかげで、母と子の関係で「苦しさ」が出てきちゃうことが、解明されてきてます。そこがありきの「毒親」「毒になる親」なんです。

昔はね、ウサギ跳びびって足腰を鍛えるのにやらされたよね。苦しいけど根性を養うとかの目的もあったのかな。

でも、ちゃんと科学的に調べたらウサギ跳びは百害あって一利なし。今は、やってる学校ないよね。

ウサギ跳びで足腰痛めちゃって、今、歩行が辛いの…。って、言ったらダメなのかな?
それでもウサギ飛びは間違ってないってことにしなきゃダメなのかな?

ウサギ飛び=従来の、昔からの、親のやり方だと思うの。



私は、「毒親っていうやつ、さいてー」「毒親とかたわ言って」という言葉に触れるたびに、むかっとするのが嫌でした。不快な感情だからね、避けたかった。
どうしたらイラつかないで済むか、悩みました。

この怒りの底あるものは、何だったでしょう?

それはね、「この悲しみを理解してほしい。誤解しないでほしい。わかってほしい。」という欲求でした。

これがわかった時に、決意しました。
「じゃ、誤解されないようにしよう。毒親って何か正確に知ってもらおう。」と。
怒りのパワーを、ばねにすることにしたっす。

理解してもらえるかどうかは、期待してません。
でも、「ああ、毒親ってそういうことなのか。」って知ってもらうことが大事と思ってます。

どうして娘から「重い」「避けたい」ってなるのかわかんないというお母さんにも、「ああ、そういうことだったのか」って思ってもらえたら、本望です。

そして、「母親が苦しい…」「母親が重たい」って感じながら、’’そんなこと言っちゃだめ。そういう悪い人になっちゃだめ’’って、必死になって耐えている子供の立場の人にも、その苦しさにはちゃんとした正当な理由があるってことを、わかってもらえたら、本望です。


せいやっ!(今回、けっこう攻めたわー)