大阪城の採石場跡&正倉院 【高槻川添教室】
先日、同じ日の新聞に歴史の興味深い記事が2つ出ていたので、ご紹介します。
1つ目は江戸初期の徳川期大阪城築造の際、石垣に使う花崗岩を切り出したとされる兵庫県西宮市の甲山東側に広がる丘陵地で、林の中から採石場跡とみられる遺構を「3次元航空レーザー計測システム」で確認したと西宮市が発表しました。大阪城にかかわる採石場で最大の「東六甲採石場」の東端と考えられるそうです。
徳川期大阪城と聞いて大阪城は豊臣秀吉が築城したのではと思った中学生(中には高校生も・・・)がいると思いますが、1615年の大阪夏の陣で落城し江戸幕府は西日本の大名に再建するように命じました。1629年に完成しましたが、天守閣は1665年に落雷で焼失しました。
この採石場が私の母校の近くから発見されたのと中1の理科や高校生の地学で出てくる花崗岩(中学生は花こう岩ですね)に注目しました
花崗岩は御影石といった方がピンとくる人が多いと思います。
2つ目は正倉院が約100年ぶりの大修理を終え、校倉造の外観が報道陣に公開されました。新調された鬼瓦には今回の製作年月が刻まれ、内部には、かつて宝物が入れられていた木箱「唐櫃」約160箱が戻されました。一般公開は11月からの予定とのことです。
正倉院は東大寺の倉庫で聖武天皇ゆかりの品をはじめとする多数の美術工芸品を収蔵しています。
校倉造は最近、中学生の問題ではあまり見かけなくなりましたが、三角形、四角形または台形の断面をした木材を井の字の形に組んで外壁とした建築様式です。
学校や塾で学んだことから新聞が読めたり、逆に新聞から色々なことが学べます。教室のコルクボードにみんなが興味をもつような記事を貼ってあるので、チェックしてみましょう
学習塾SCOT
高槻川添教室
岡本
1つ目は江戸初期の徳川期大阪城築造の際、石垣に使う花崗岩を切り出したとされる兵庫県西宮市の甲山東側に広がる丘陵地で、林の中から採石場跡とみられる遺構を「3次元航空レーザー計測システム」で確認したと西宮市が発表しました。大阪城にかかわる採石場で最大の「東六甲採石場」の東端と考えられるそうです。
徳川期大阪城と聞いて大阪城は豊臣秀吉が築城したのではと思った中学生(中には高校生も・・・)がいると思いますが、1615年の大阪夏の陣で落城し江戸幕府は西日本の大名に再建するように命じました。1629年に完成しましたが、天守閣は1665年に落雷で焼失しました。
この採石場が私の母校の近くから発見されたのと中1の理科や高校生の地学で出てくる花崗岩(中学生は花こう岩ですね)に注目しました
花崗岩は御影石といった方がピンとくる人が多いと思います。2つ目は正倉院が約100年ぶりの大修理を終え、校倉造の外観が報道陣に公開されました。新調された鬼瓦には今回の製作年月が刻まれ、内部には、かつて宝物が入れられていた木箱「唐櫃」約160箱が戻されました。一般公開は11月からの予定とのことです。
正倉院は東大寺の倉庫で聖武天皇ゆかりの品をはじめとする多数の美術工芸品を収蔵しています。
校倉造は最近、中学生の問題ではあまり見かけなくなりましたが、三角形、四角形または台形の断面をした木材を井の字の形に組んで外壁とした建築様式です。
学校や塾で学んだことから新聞が読めたり、逆に新聞から色々なことが学べます。教室のコルクボードにみんなが興味をもつような記事を貼ってあるので、チェックしてみましょう

以前、このブログでも紹介したサッカー日本代表の本田圭佑選手の卒業文集も貼ってあります
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