『回天大神訓練基地』
昭和16年(1941)から昭和17年(1942)にかけ建設予算が成立し、大型戦艦や空母が建造可能な「大神海軍工廠」の建設予定地 として、大神村真那井等の海岸部(現在の深江港周辺)に100ヘクタール以上の広大な土地が海軍により強制買収されました。
昭和18年(1943)、戦況の悪化により建設は中止となり、当地建設予定の海軍工廠は、台湾の高雄に変更されました。
昭和19年(1944)9月1日に山口県周南市の徳山湾に浮かぶ大津島に第一特別基地隊として大津島回天基地が開設され、以後、光回天基地・平生回天基地 が開設されました。続いて「大神海軍工廠」建設予定地の一部が回天特攻の基地として転用され、同年秋より、牧の内一帯を中心に基地建設が着手され、兵員 や軍技術者のほか民間技師及び作業員、中学生、朝鮮人等多くの人々が徴用されました。
昭和20年(1945)4月25日に突撃隊司令、山田盛重大佐以下兵員2,000名の構成による大神回天基地が開設されました。基地内施設として、回天神社、回天格納庫を含め舎屋51棟、魚雷調整場、変電所、浄水場施設等が整備されていました。
~日出町観光サイトより~
さて、そんな回天大神訓練基地ですが、フェリーの時間を気にしながら早足での訪問でした。
見残しもありますが、訪問場所だけアップしときます。
まずは、「回天神社」に・・・
九三式魚雷機関部・・・平成7年7月大分空港の沖合いで漁網により引き揚げられたもの。
と・・・推進部。
横には実物の三分の一の模型・・・
かつての「魚雷調整場」に移動・・・
綺麗な駐車場があり、回天の実物大模型が展示されています。
細部まで忠実に再現されています。
調整用の水槽・・・
調整場施設の基礎・・・
少し移動して「回天格納壕」1ヶ所目・・・素掘りの壕です。
奥は行き止まり・・・
2ヶ所目の「回天格納壕」
こちらは、壕入り口部だけコンクリート造りとなってます。
少し破壊の跡もあります。
そして、向こうまで貫通した造り・・・
水没により通行不能www
あちら側の入り口を探します。
反対側は素掘り・・・
入り口は二手になっており、左手の入り口は備品庫だったのか?
円状の壕となってるようですが、色んな物が置かれていて入り口だけの写真です。
土質は非常にもろい感じに見てとれます。
格納壕・・・
向こう側の光は先程の水没してた側・・・
後は特に変化なし。
少し移動・・・詳細不明ですが、基地の説明パンフでは「衛兵控所」とされてるようです。
壕の前にはガードレール・・・壕内部はゴミ。。。
造りは素掘り・・・内部は二枚貝の殻が大量に放棄されてます。
真っ直ぐ15m程だったかな・・・
突き当たり、左にL字に3m程掘られてます。
では次の場所へ・・・
「燃料格納壕」です。こちらも素掘り。
が・・・完全に水没w
さすがに入れません。。。
さて、前編最後は「酸素圧縮ポンプ室」です。
この壕は当初「実用頭部格納壕」として造られて実用頭部の保管に使用されてたみたいです。
ここも素掘りとなってます。壕はH状に造られていました。
入ってすぐの場所に酸素圧縮ポンプが設置されていたと思われるコンクリート製の基礎が確認できます。
奥は特に何もなく、行き止まり。
H状・・・左右を繋ぐ通路。
高さは少し低めで掘られてます。
真ん中程にコンクリート製の基礎が確認できますが、用途不明・・・
そして・・・四つん這いでギリギリ入れる程の横穴が確認できましたが、水が溜まってました。
で・・・H状、反対側の長い方。
片側は土砂により埋まっています。
もう一方は、埋まってはないですが特に何もなく行き止まり・・・
ですが、もう1ヶ所小さい通路が掘られてます。
詳細不明・・・誰か四つん這いでこの小さな2ヶ所の通路を探索して下さい(^^;
と・・・
まぁ、前編はこの辺で。。。
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~おしまい~