鶴原砲台…
1897年(明治30年)5月着工、1900年(明治33年)3月竣工。
岸根の南、標高100mの鶴原山に約4万坪の面積を有す砲台跡…
備砲は250mm砲6基、弾薬庫、観測所、照明基地の他、幾つかの建物跡や掩蔽部が残っています。
鶴原砲台跡には桜やつつじ、はぎなどが植えられ鶴原公園として岸根観光の一翼を担っています。
さて…
上に挙げた鶴原砲台の説明なんですが…
鶴原砲台の資料として何かないかと調べてた時に見つけた十数年前の地元広報誌。
その1ページにあった記事がソレなんですよね。。。
オレの勉強不足もあり…
また、鶴原砲台…正確には「鶴原山砲台」なのかな?
の詳しい資料も見つける事ができません(-_-;)
おそらく一度は整備された事があるであろう鶴原山砲台…
オレは、おてあげ状態なので。。。(^^ゞ
詳しい説明はコメント欄でM茶さんが説明してくれる事でしょうw ←無茶ブリ?(笑)
さて、とにかくこの鶴原砲台跡…
藪漕ぎに始まり藪漕ぎに終わる!!そんな大荒れな正に「探索」となりましたw
では、案内の方をしていきたいと思います(^^♪
若干の迷いもありながらも鶴原砲台に上がる入口までたどり着いて車を降ります。
M茶さんと二人で藪漕ぎ装備をし、入口に…
まぁ…いきなりこんな感じですから先が思いやられますw
まぁ、M茶さんの切り込み隊長っぷりに助けられ(何を隠そうオレはクモが何より苦手な訳でしてw)
クモの巣諸共クモをバッサ、バッサと前方で払い除けて進む姿に惚れそうでしたから(´∀`*)ポッ
さて、そんなこんな藪漕ぎをする事…半時間程だったかな…
少し開けてくると藪の向こうに石積みが見えてくるんですよね!!
「おっ!!きたか~!!」なんて呟いてると…井戸です!!
どうやら辿り着いたみたいです。
そこに待っていたのは6連造りの掩蔽壕でした。
が…全て入口のある前面部煉瓦は壊された状態でした…
誰が何時…何の目的で壊したのかは謎…
寂しく横たわる窓上部の化粧石…
鶴原公園として岸根観光の一翼を担っていた時代にはおそらくこんな状態ではなかったはず…
ほんとに桜やつつじ、はぎなどが植えられてたんでしょうか?
内部には結構な数の落書きもありました。
もちろん、わざわざ缶スプレーもって藪漕ぎするバカもいないでしょうし
公園化された後、寂れかけてきた頃のモノでしょうね。
こんな物まで…
現在の道の状態だとウニモグでもここまでたどり着けんだろうな(笑)
ちなみに多分、三菱360(LT23型)1965年~
全長 2,995mm
全巾 1,295mm
全高 1,400mm
ホイールベース 1,900mm
エンジン型式 ME24 強制空冷式2サイクル2気筒
総排気量 359cc
馬力 18ps
だと思われるw
ま、どうでもいい話しだけどね。。。
脱線しましたが(^^ゞ
掩蔽壕近くには兵舎跡と思われる遺構も少し残ってました。
そして砲台跡を探して藪漕ぎ…
探索する事15分程…
有りました、造りからして砲側庫でしょう。
その横、上にと続く階段らしき跡(写真も撮ってみたけどただの藪にしか見えんw)
登ると有りましたよ♪
位置的に左翼側観測所でしょう。
指揮所に続く通路と…
指揮所もありました。
残るは砲座跡なんですが…
この階段を上がった空間が2門の砲台跡…
まさしく荒れ砲台!!
確かに砲台跡と思われるスペースが砲側庫を挟みながら3箇所ありました。
資料では250mm砲が6基とありましたがどうでしょうね?
三高山砲台は280mm榴弾砲が6基ですし、もしかしたらココの備砲も280mm榴弾砲が6基だったのかもしれませんね。
右翼側観測所は…きっとこの先にあるはずなんですが。。。
藪だけならまだ許せますが、強烈な荊棘の洗礼でココから先の探索は断念しました( ´Д⊂ヽ
降りれそうな砲側庫にM茶さんと降りてみました。
この場所から少し離れた場所にも何かの遺構が。。。
無残に壊され積み上げられたコンクリートの残骸…
石積み塀…
その他、溝の跡なども。
兵舎跡でもあったスペースなのかな?
資料にある照明施設と言うもの気になりますが…
その奥に階段…
階段を上がった先は何かがあったであろう空間が…
その空間を探索中に見つけた水筒?
とにかく謎の多い鶴原砲台跡でした。
もう二度と整備される事はないでしょうが、公園化されてた当時に行ってみたかったですね。
次回、江田島探索④に続く。