女体美については一家言ある。
「女体の美しさは後ろ姿にあらわれる」ということ。

髪、首、背中、お尻、足。のうち特に大事なのが髪とお尻。
目線の先にある髪の艶にまず気付くから。お尻の丸み具合が女体の一番の特徴であり醍醐味だからだ。

美しい人は前面(顔と乳)が注目されがちだが、後ろからも美しさを振りまいている。
丁寧に整えられた髪の艶、鍛え上げられた背中の筋肉、お尻の丸み(尻は次第に丸くなくなる…)は努力の賜物。この努力の証を自信に女性は背筋を伸ばし、にこやかでいられるのだ。
そしてそういう女性は美しいだけでなく、艶っぽい。
そんな女性になりたくて、日々美意識、というより自意識過剰さを働かせている。

さて、そんな女性にしか出せない「なまめかしさ」に文豪たちがじっとしているわけがない。
安野モヨコ選『晩菊 女体についての八編』は文豪たちが惹かれた女体について熱く語られた物語集だ。

太宰治「美少女」
大浴場で出会った少女の肉体美に見惚れる「私」の「悪徳物語」。病後らしい少女の肉体は青い桃の実に喩えられている。

岡本かの子「越年」
仕事帰りに男の同僚から突然平手打ちをくらったOL・加奈子の犯人追跡劇。なんと身勝手な犯人。思うままに触れられないのならいっそのこと殴りたかったって。

谷崎潤一郎「富美子の足」
女体といえば谷崎。老翁の最期に性癖を叶えてあげる富美子の優しさと隠居の恍惚とした表情が印象深い。どんな性癖かは言わずもがなだ。
期待を裏切らないねっとりとした物語。女体の描写の細かさとしつこさは谷崎が群を抜いている。

有吉佐和子「まっしろけのけ」
女体というより、女の顔面。顔師の源さんの情熱が身に染みる。

芥川龍之介「女体」
男子中学生の見る夢みたいな物語。タイトルもそれっぽい。

森茉莉「曇った硝子」
生き別れた息子の樊子(ハンス)と再会した主人公・魔利(マリイ)が歓楽に溺れてぼんやりして騙される物語。女体というより、男女の戯れを描いている。

林芙美子「晩菊」
昔の男がやってくる。56歳の美魔女・きんは久しぶりにときめいて、顔面のシワを伸ばし、クリームを塗りたくり、冷酒をきゅうっとあおる。しかし久しぶりに再会した親子ほど年下の男は今を生きるのに必死で、世渡り上手なきんはむずがゆくなってしまうのだった。努力をおくびにも出さないきんさんの品性に感服。

石川淳「喜寿童女」
77歳(喜寿)の老女が童女になっちゃう物語…名探偵コ◯ンの発想は、もしやここから?なんて。これも女体というよりは性癖の物語。

八編を通して読むと、谷崎潤一郎の女体へのこだわりと執着が圧倒的である。さすが谷崎。
後ろ姿を描いたものは無く、そもそも女体を描いていないものもいくつかあったのが少し残念だが、全体として文豪たちが女体を言い知れぬ魅力を含んでいる神秘的なものとして描いていることに大きく頷いた。

「僕は一人の男子として生きて居るよりも、こんな美しい踵となって、お富美さんの足の裏に附く事が出来れば、其の方がどんなに幸福だか知れないとさえ思いました。」(77頁 谷崎潤一郎「富美子の足」)

一番印象に残った場面はもちろん谷崎だ。
わたしも女体についてただならぬ思いを持っているはずだったが、谷崎の「踵になりたい」と言い切る情熱には完敗した。

{E100B51D-9CFC-4201-B54B-93D40A78EE0E}

後ろ姿を題材にした作品はどこかにないだろうか。