すずめの戸締り
先週地上波でやったやつを録画しておいて、
それを今日夕飯食べながら家族3人で見た。
のっけからロン毛のイケメンが出てきてたのに、あっという間に椅子になってしまい、先週リアルタイムで観ていた旦那と子供(2人は視聴2回目)に、「え、これもしかしてもう最後の方までずっと椅子で行く感じ?!後一時間半とか?!」と聞くと、にんまりしながら2人は頷いて、えー笑笑と、げんなり笑笑
けど、椅子になった彼と少女のやりとりも割と面白くて、椅子になってからの状況把握からの事実受け止めもめちゃ早かったし、結構要領よく生きているし、もう途中から、椅子の身体能力上がり過ぎて、息子と「すごおおおい!!」とか叫んでめちゃくちゃ感心していた笑笑 もうほぼ、馬のギャロップの如し駆け巡って飛び回っていて、拍手喝采。
全部見終わって、思ったのは、
まだ一回しか観てないから深い考察とかは全く出来てないんだけど、新海誠さんの言いたいこと、伝えたいこと、たぶんこれなのかなっていうのは感じること出来た。
君の名はの時も思ったけど、
やぱ震災や災害って、当事者とその周りの人たちとの断絶や、差、みたいなものって絶対に存在してるよね。っていうのを強く描いてらっしゃる気がする。
今回も、ミミズと闘ってなんとか消せた時に、誰かがその軌跡を見て、オーロラみたいで綺麗だったね。という表現があって、
君の名はの時も、隕石が堕ちていく時に夕暮れの空の中に、ブルーとピンクの虹みたいなラインが出来て、こんなに珍しい景色を見られるのは幸運なことです、、みたいなアナウンサーの声が最後浮かび上がるみたいに強く表現されていて、その直後に、三つ葉の家の近くに隕石が落ちるっていう表現がとても印象に残った。
当事者と、そうでない人たちの温度や認識の差みたいなものを必ず入れてる気がする。そして割とコントラスト強めに、そこが目立つようにされてる。天気の子の時もそうだった気がする。
それってどっちも悪くなくて、確かにスズメが言ったように生きるか死ぬかなんて運なんだよ。みたいな考え方わかる。
実際に震災に遭われた方、震災じゃなくても不幸な偶然に遭ってしまった人は、その当事者もそうだけどきっと残された家族はそうやって折り合いをつけるしか無いし、当事者だって、亡くなられた方も勿論そうだし、何かをきっかけに障害を持ってしまったり、PTSDとか背負ってしまった方たちは、きっとそうやって落とし所着けるしか無い、みたいな気持ちすごくわかるなあって思った。
多分その両方ある。っていう認識するだけでよくて、
世の中良いも悪いも常に50:50存在しているって考えてた方が、自然っていうか、世の中ってそうなのかなって。
おばさんが怒って、わたしはあんたのためにどんだけやってきたか、、って結構スズメにとっては本当に辛い、聞きたく無いくらいのこと言ったとしても、
あとで、それだけじゃないんよ。ってあの自転車漕いでるシーンでちゃんと伝えようとしてくれたことも。
爺ちゃんの、あんたには無理や!止められん!!発言からの
すずめの、でも助けたいんです!!みたいのとか。
感情ってそんな単純じゃ無いよな、、って
やっぱり、自分じゃ抗えない大きい何かが降りかかった時は、複雑で、どうしようもないくらい、色んな気持ちが混在するもんなんだよなぁ〜〜〜って言うのが、
1回目みた感想。
あのニャースみたいな猫ちゃんが、ずっと憎たらしいやつに見えてたけど、スズメにどっかいってよみたいに言われた時に急激に痩せ細って、正気失ったみたいになった時もチクンてした。
本当は救ってあげたかった、みたいな
神様の気持ちみたいだな、と思った。
#すずめの戸締り