ダークゾーン/現代社会を映す鏡(その1) | ダイアローグ・ドキュメント

ダークゾーン/現代社会を映す鏡(その1)


連日報道されて被災現地の惨状はまさに目を覆うばかりで、筆舌に尽くしがたい。

東北地方に親族のない身としては、その本当の痛みを共有するのも、困難を極める。


本当は、1日でも2日でも、実際に現地へ行って、炊き出しのボランティアでも何でも実際に支援をしたいところだ。

ただ、現在はまだ震災初期の人命救助最優先時期で、ボランティアの募集も始まっていない段階。

いましばらくは、事態を見守るしかなさそうだ。

加えて、東電福島原発の事態も深刻で、実際どうなっているのかが全く分からない。

チェルノブイリのような事態に発展しないことを、これも今は祈るしかない。



自然に地震関連の話題ばかりになるが、多少目先を変えて、読書ノートを。


貴志祐介の新作・『ダークゾーン』(祥伝社刊)を読んだ。



ダイアローグ・ドキュメント


 ※以下、「ネタばれ」あり。


延々と続けられる仮想空間での擬似将棋的戦闘ゲームに、最初のうちこそ多少違和感を覚えるが、読み進むにつれてだんだんと引き込まれていき、ラストでは深い余韻が残る。


いつもながら、貴志祐介独特の、巧みに構築された小説だった。


■あらすじ


奨励会三段リーグに所属する主人公・塚田は、あるとき突如として、長崎県の端島(※軍艦島)に似た空間を舞台にした戦闘ゲームに巻き込まれる。人間(※または人間に似た怪物)が、あたかも将棋の駒のように編成されて2チームに別れ、互いのキングの命を狙い合う7番勝負(※つまり先に4勝したら勝ち)を戦うことになる。

それが夢なのか現実なのか、そもそもなぜそこに巻き込まれたのか、そのゲームに勝つ(または負ける)とその後はどうなるのか、そうした基本的なことが登場人物にとっては全くの謎なのだ。
「駒数」は1チーム各18体(キングを含む)、うち役駒が5体あり、独特の戦闘性能を備えている。

勝負の行方は、その個々の駒の性能に精通するだけでなく、舞台となっている島(=ダークゾーン)の地理的・空間的特性、戦闘の進展への洞察、さらにはそうした諸条件が登場人物(=駒)達にもたらす心理的葛藤を、チームリーダーでもあるキング(主人公・塚田とその友人で同じく奨励会の奥本)がいかに深く大局的に判断できるかにかかっている。

最大のポイントは、心理的な要因だ。駒の中には、それぞれ自分の友人もいれば、大学の指導教官、先輩棋士、さらには恋人に至るまで、様々な人間が組み込まれている。現実世界での人間関係や軋轢が、そのままゲームにも影響を与えることになる。
特に、キングである塚田と奥本の関係は複雑だ。奨励会三段リーグで、プロ昇段を巡って命懸けで競い合う同士であり、塚田の恋人・理沙を巡ってせめぎ合う間柄でもある。
ゲーム空間・ダークゾーンでは、そうした現実世界の様々な人間関係を映し出しながら、血で血を洗う激しい戦闘が展開されていく。


■将棋に近づいていく戦闘ゲーム


貴志祐介の創り出す世界は、いつも精巧だ。個々の登場人物や物体、生命体に至るまで独特のそれらしい名前が付けられている。例えば、本作の「役駒」に「一つ眼」というのが出てくるが、カタカナで「キュプクロス」と名づけられている。


読者は、まずこの「名前」に戸惑い、それぞれの姿を十分にイメージして慣れるのに時間を要する。本作では、それに加えここの駒が独特の複雑な性能を備えている。例えば、恋人・理沙が扮する「死の手(リーサル・タッチ)」という駒は、怪奇な腕を持っていて、それで触れると全ての駒を一瞬で倒すことができる。


この駒の性能がまた複雑だ。加えて、擬似将棋ゲームなので、何と「成り駒」まであるのだ。これが単に将棋のように敵陣に入ると成るというのではなく、複雑なポイント制になっている。さらには、また独特の成り駒の別名まで付けられているのだった。
こうした複雑怪奇な名前の組み合わせについていくのは、いつもながら容易ではない。


結局、全部で戦闘を「八局」戦うのだが、前半の2・3局はルールに慣れない為、読むのがちょっとしんどい。それでも、読み進むにつれてだんだんと慣れてくるだけでなく、その駒の性能や複雑なルール自体が、全体のストーリー構成のための、周到な伏線であることが分かってくる。これが、貴志作品独特の、何とも見事なところだ。
本作の場合は、将棋とはとても似ても似つかない戦闘ゲームに見えた「ダークゾーン」が、終盤では、その本質において、将棋の心理戦と極めて近い構造を持っていることに、読者は驚かされる。


ところで、本作の背景は将棋なのだが、作者の周到な配慮で、一応将棋のことを全く知らなくても、容易に作品が理解できるようには仕立ててある。だが、将棋の対局そのもの(つまり、そのルールや定跡、戦法等)は知らなくても、いわゆる「将棋世界」(※将棋界の成り立ちや、その中での人間関係の特徴等)を知っているのといないのとでは、やはり作品の味わいは変わっているのではと思えた。


■将棋という世界


そこで、少し長いが、「将棋世界」について、簡単にまとめておこう。
 ※予め知っている方は、以下2つの章を飛ばす。

将棋界と囲碁界は少し違っている。
例えば、囲碁棋士は約450名いるのに対して、将棋のプロ棋士はその3分の1くらいしかいない。ゲームの普及度合いということから見れば、少なくとも国内では将棋の方がはるかに広く浸透しているのに、プロは少ない。たしかに、熱心に取り組んでいる人口を比べれば、囲碁の方が少し多いかもしれない。


ただ、囲碁では、比較的未熟な技量のうちからプロになれるのに対して、将棋ではプロへの門戸は極めて厳しい。それを象徴するのが、プロ養成機関である「奨励会」の存在だ。
一般的なパターンとしては、小学校高学年~中学生くらいで奨励会に入門する。もちろん、この「入会試験」自体が非常に厳しくて、アマチュアの大会で「県代表」になれるくらいの実力がなければ突破できないと言われている。つまり、アマチュアで全国50番以内に入るくらいの強豪でなければならないわけだ。だから、奨励会に入会できる子供は、誰でも地元では「神童」とか「天才」と言われているらしい。要するに、それくらい周りのだれもが驚くような実力を持っているということだ。


実は自分は昔、この奨励会員と対局したことがある。正確に言うと、奨励会員になる以前の幼い子供と街の道場で指したことがあるのだ。

つい先ごろ三段リーグを突破してめでたくプロになった佐々木勇気四段だ。多分今高校生だと思う。その佐々木四段がまだ小学校1年生の頃、きれいなお母さんに連れられて、いつも千葉県柏市の将棋道場に通ってきていた。小学校1年なので、まだ立ち居振る舞いはまったくの子供、いや幼児そのものだ。棋士としての貫禄などあったものではないし、将棋盤を前にしてもヘラヘラしてまったく落ち着かない。だが、将棋は強く、当時アマ2・3段の実力だった自分は、まったく歯が立たなかった。すごいやつだと思ったものだ。

佐々木君はその後小学生名人になった後、奨励会に入門することになる。ただ、小学生名人・佐々木君をもってしても、奨励会突破には6年程度の歳月を要している。


奨励会は、関東と関西のブロックに別れていて、大抵の場合6級で入門し、2段を抜けると両ブロック統合の「三段リーグ」に進む。30名程度の三段が在籍する三段リーグは、年に2回リーグ戦を行う。さすがに総当りではなく、くじ引きで決められた相手と16回戦程度を戦う。その結果、上位2名がめでたくプロ4段に昇格するわけだ。だから、仮にどんなに優秀な人材が沢山いたとしても、年に4人しかプロ棋士には「就職」できない。一見すると不合理だが、このシステムは長年の将棋会の知恵のようなもので、結果的にうまく回っている。うまく回っているというのは、将棋界が続いているというだけでなく、プロになった棋士はきちんと収入を得て、飯を喰えているということだ。


それどころか、長年トップに君臨する羽生名人のように、年間1億円以上の賞金を稼ぎ続けているスターもいる。1億というと、現代ではプロスポーツ選手に比べて大した金額でないように思えるかもしれないが、決してそうではない。まず第一に将棋の対戦は、棋士にとってコストが掛からないという点がある。普段の対局は、ほとんど千駄ヶ谷の将棋会館で行われるし、「地方出張」が必要なタイトル戦では、旅費も宿泊費もすべて将棋連盟やスポンサーが負担してくれる。
これが例えばプロゴルファーなら、遠征のための旅費・食費、コーチ、トレーナー、キャディーのフィー等膨大なコストを全部自分で負担しなければならない。試合で上位に入れなければ、すぐに赤字になってしまう。だから、トーナメントの男子プロでも、まともにそれだけで生活ができるのは50名くらいだと言われている。将棋界の何と3分の1しかいないわけだ。
近年悪い話題でもちきりの相撲界でも、あれだけ場所中は毎日テレビ放映され、新聞報道され続けていても、給料が出る十両以上の力士は100人くらいしかいない。
こうした比較からも、150名のプロを養い続けている将棋界の「偉大さ」が分かる。


■「三段リーグ」の残酷さ


ただ、それだけに、奨励会の突破争いは、過酷さを極める。奨励会に入門した棋士の卵の中から、結果的に2割くらいしかプロにはなれないらしい。
なにせメンバーは、すべて「神童」や「天才」ばかりだ。基本的な資質において大きな差はない。後は、その才能の上に、どれだけ努力を積み重ねられるか。体調を整え、いかに試合に集中できる状況を作り出すかに掛かっている。中学・高校、20歳前後の最も遊びたい時期を、ほとんどすべて将棋に投入しなければならないわけだ。
年間数千局指されるプロの棋譜(対局の内容)を、データベースを使って全て閲覧し、重要なものは暗記する。さらにその上に立って、大事な定跡や最先端の戦法について、独自の研究を深める。それに必要な時間は、毎日10時間以上が普通。要するに、「将棋漬け」の生活なのだ。それを、5年から10年以上つづける。


普通の人間なら、そんな生活を何年も続けたら頭がおかしくなるだろうが、彼らはそうした過酷な鍛錬生活の中でも人格の並行を保っているし、むしろ一般社会人より人格的に優れている人が多い。素晴らしいことだ。
ところが、奨励会の残酷さは、そうした努力を仮に全員が続けても、プロになれるのは全体の2割にしか過ぎない、という現実にある。そこには、冷酷なシステムがあり、ときにそれはその人の人生そのものを押しつぶしてしまうほどだ。


以前は30歳が奨励会の制限年齢だった。つまり、30歳になるまでに四段になれなければ退会、要するに将棋界から追放されてしまうのだ。この30歳という年齢が次第に問題になり、現在は26歳に引き下げられている。
「社会復帰」の問題があるからだ。30歳まで将棋漬け人生を送り、他に何の職も身に付けていないと、その後の人生が極めて厳しい。もちろん、26歳でもかなり厳しいのだが、30歳よりはまだましだ。


ただ、5年・10年という青春の日々を将棋漬けで過ごすことに変わりはない。その間、奨励会員は将棋のプロになることだけに全身全霊を傾ける。それなのに、多くの会員はなかなか三段リーグを突破できず、だんだんと年齢上限が近づいてくる。そのプレッシャーたるや尋常ではないようだ。若いうちなら自然に指せる指し手も、時間がなくこれに人生が掛かっていると思えば思い切って指せなくなってしまう。事実、年齢上限が近づいてくると、逆に昇段できる人は少なくなってくる。プレッシャーに耐え切れず、年齢上限以前にキャリアチェンジを図る人もいれば、予め「保険」を掛ける意味もあって「一芸入試」で大学に進んでいる者もいる。
こうした三段リーグ在籍者を襲う独特の精神的葛藤が、『ダークゾーン』の重要なテーマでもある。


毎日の研究、指し手を読む訓練、精神に「読み」(=戦闘)の過酷なプロセスが刻み込まれ、ときに「異常」をきたすことすらある。現実なのか将棋なのか境目も怪しくなる。「ダークゾーン」での戦闘は、まさにそうした棋士の卵が直面する究極の精神状態をモチーフにしている。


※以下、「その2」へつづく