感じた事あると言うのは大きい。
ことさら俳優が表現する上では、それは言葉では表現できない力になる。
パライソの海を上演するにあたり、
ベニバラ兎団は修学旅行と天草公演を含め二度、天草に足を運んだ。
そこで感じたこと、吸った空気、音、その全てが作品に落ちる。

天草四郎たちが戦った島原の乱から約380年も経つが、
今も四郎は天草にはしっかりと生き、この島を見つめている。
俺が小さい頃からよく行っていた市内唯一のホールの緞帳は、
今でも天草四郎だ。物心ついた頃から変わっていないのだから、
少なくても40年以上、この緞帳は市民を見つめている。


小さい頃、怖かったなあ。
「誰?この人?」と思っていた。
天草四郎時貞さんです。
この場所で2014年に凱旋公演が出来た事、
ここまで連れて来てくれた主宰のIZAM君には感謝しかない。
まさかこの緞帳が上がり、自分の描いた作品を、仲間たちと演じ、
80を超えた両親に見せることが出来たことは、
数少ない親孝行の中でナンバー1の想い出である。
ところで四郎が首元につけているビロビロ。
パライソの海ではこのビロビロが物語を大きく動かす道具となる。
言わずもがなここで答えは言いませんよ。劇場で確かめてみてはいよ。
汗を拭いた、それは絶対にない。

天草といえば【天草ハイヤ節】と言うのがある。
年に一度、天草と牛深市で【ハイヤ祭り】も開催される。
このハイヤ節がとても良い。民謡の中でも特に良い。
心が揺れる民謡。
我々が天草に行った時、このハイヤ節では有名な凛風会の方々が急遽集まってくれ、演奏を披露してくれた。


IZAMが天草に来とるばい!
と言う噂は小さな島だけに瞬く間に広まり、
急遽演奏を聴かせて頂いた。
ありがとうございました。


パライソの海をご覧になる前に、
是非ハイヤ節を見てからご覧になるのはどうでしょう。
天草ハイヤ節
3分14秒あたりからがメインテーマになる。
「さっさ、ヨイヨイヨーイ!」
四郎の耳にも届いていたのかな?この掛け声が。

物語の中盤で「椿」と「忠次」が本渡の戦いに向かうシーンがある。
本渡市内の祇園橋付近をイメージして書いた。
これがその祇園橋だ。



この川で数千の遺体が重なり、
川の水が真っ赤に染まったと記録に残っている。
そして俺は、小学校の時、
この川で浦部君に突き落とされた記憶が残っている。
この橋を渡ってすぐのところに小高い丘があるのだが、
その丘の風景を思い浮かべながら二人のシーンを描いた。


歳三役の千葉誠太郎がいる丁度この辺りで俺は落ちた。
パライソでの天草のシーンのほとんどが、
俺の記憶に残っているこの辺りの景色を思い出して書いた。
この祇園橋については簡単にここで学んでみよう。
祇園橋


ごく稀に天草が長崎県と勘違いされる事があるが、
天草は熊本県です。物語のラストを迎える原城がある島原は長崎県。
だからこの話は【熊本県】【長崎県】を海を挟んで股にかけている。
で、我々は天草を見学したのち、海を渡り長崎県の島原市に向かった。
取りあえずフェリーを待つ三人が疲れてる。



決してこの旅がつまらなかった訳じゃない。
とても楽しかった。



ね。

さ、明日はシリーズ最終回。
島原の原城へ向かいます。
目標のvol.5に到達だ。

このブログがパライソの海の販促になっているのか、多少の疑問はあるが、
みんなで丹精込めて作り上げられたベニバラ兎団の代表作なのだ!
今回は作者として、この作品を見届ける側にいるけど、
抜群のエンターテインメントに仕上がっている。
魅せるベニバラ、躍動するベニバラ、しっかり伝えるベニバラ、
エンターテインメントなベニバラ兎団!
その目で確かめて欲しい。


じゃ最後に、
今回スタッフで頑張ってるソラシドピンポンさんでお別れしましょう。
※この写真はご本人の許可を取っておりません。