サッカーとの結びつきが強くなったのは1993年のJリーグ開幕だった。
世間はサッカーブームに包まれ、チケットはプレミア化していた時代。当時月刊だったサカマガやサカダイが週刊化したのもこの頃だったように思う。
しかしその頃まだ子供だった自分はブームとは無縁の世界にいた。
ラモス・カズ・武田・北澤らが在籍したヴェルディ全盛時代。クラスの友達の話題はJリーグが中心。タレントが多いヴェルディ、ジーコとアルシンドを中心としたアントラーズが人気の中心だった。
その中で自分が好きになったのは浦和レッズ。今でこそ強豪となっているが、その頃はリーグのお荷物と言われる暗黒の時代を走っていた。いつも負ける度にクラスの友達から馬鹿にされたのは言うまでもない事実…。
なぜ惹かれたか?
それはこの人の存在があったからだと思う。
ミスターレッズ 福田正博さん
当時日本代表としても活躍し、スピード溢れるドリブルと得点力でチームを引っ張った。
その後、日本人初のJリーグ得点王になった時は感涙。
子供ながらに孤軍奮闘する凛々しい姿とプレースタイルがとても好きだった。負け続けていても、たまにしか見れない勝利の喜びは大きかった。
「GIANT KILLING」
今では漫画にもなり、度々使われるようになったこの言葉。この感覚が好きだった少年時代。
美化するとそんな言い回しになるが、たぶん人とは違うものが好きな変わった子供だったのだと思う。
その後、浦和レッズの試合を見るのはBSなどのTVが中心となるが、スタジアムへ行った回数も多い。
印象に残った試合 ベスト3
☆ 第3位
1998年3月15日(日)
プレシーズンマッチ・駒場スタジアム
浦和レッズ vs NTT関東(現・大宮アルディージャ)
1ー0 得点者・大柴(浦)
感想:この試合の注目は小野伸二の高卒デビュー戦だった事。この場にいる誰よりもテクニックがあり末恐ろしい選手だと感じた。大柴&岡野の2トップはとても魅力的だった。
※ 当時の彼の髪型については下記参照。
☆ 第2位
1997年7月22日(?)
プレシーズンマッチ・駒場スタジアムor大宮公園サッカー場(現・NACK5スタジアム)
浦和レッズ vs マンチェスター・ユナイテッド
1ー2 得点者・わかりません。
感想:人生1度目のマンUとの遭遇。当時、世界最高と言われたGKピーター・シュマイケル(デンマーク)が前半のみ出場。マッチデープログラムの表紙にいたギグスはいなかったけどキーンやネビルはいたような記憶がある。
☆ 第1位
2007年11月14日(水)
アジアチャンピオンズリーグ決勝・埼玉スタジアム
浦和レッズ vs セパハン(イラン)
2ー0 得点者・永井(浦)阿部(浦)
感想:この頃は甲府一色の生活だったが、昔好きだったチームの雄姿と快挙を見る為に埼玉へ。
チケットを取るのがハンパなく大変だった記憶がある。
でもそんな事を忘れさせる5万9千人を飲み込んだ美しいスタジアム。
優勝に沸くレッズカラーの光景を一生忘れない。
その後、上京してから川崎に住んでいたのでフロンターレの試合によく見に行った。(等々力が近かったから…)
フロンターレの昇格試合も印象深かった。そしてJ2だった頃の新潟・大分・FC東京をこの頃に見ていた事も貴重な経験だった。ユニが欲しい!と思ったけど地元じゃないからそこまで深入りはしなかった。
※ 若かりし頃の茂原選手もフロンタのベンチにいた
結論:ここで地域密着のチームを見た事が今のヴァンフォーレ愛に繋がったように思う。
最後にたまたまチケットを貰って行った試合。
SS席で見る贅沢を味わったが試合内容を覚えていないBig Game
2000年12月9日(土)
(今は無き)Jリーグチャンピオンシップ・国立競技場
鹿島アントラーズ vs 横浜マリノス
3ー0 得点者・鈴木・名良橋・中田(浩)
主要選手:アントラーズ・ビスマルク・中田浩二・秋田・小笠原・柳沢
マリノス・川口・小村・中村俊輔・城
※ 前甲府の外池選手もマリノスに在籍し途中出場。
感想:今見ると懐かしいメンバーが多数内容を覚えていないのが無礼の極み。
● 書き進めていて気づいた事
・小瀬の次に行っているスタジアムは等々力or国立である事。
・Jリーグの試合には他も行ったはずだが書き切れないし忘れている。
・リーグ戦もかなり行ったはず…。
記憶の紐解き国内編はこれにて終了。
子供ながら一人で行った無謀な自分がいた。
我がままに付き合ってくれた親父や年の離れた東京の従兄、そして友人にあらためて感謝です。
続いて「代表&WC編」・「海外編」をまた次回
内山ブログ&ファジアーノ岡山戦ブログ…
いつになるのやら…