目を閉じず 見るのは夢でなく 願い。
私には 願いが在る。
この願いの事を、多くの人は「夢」と呼ぶのだろう。
けれど夢、と云うのは 眠って見るものだと思っている。
だから 今の私は 「夢」と云う呼び方を 酷く嫌っている。
私は 願いに手を伸ばす。
出来る限り 全部の力を使って。
周到に、ノッソリと 時には早く、手を伸ばす。
けれど もし それが。
失敗したとしたなら 失敗した。 で、いいのだ。
問題なんて 微塵もない。
* * * *
ダメならダメで、もう一度 路地裏に戻っても善い。
選り好みさえしなければ、生きていく道は どこにでもあるさ。
最初から何も持っていないとしたならば、
夢を見る権利くらい 手を伸ばしたっていいだろう?
そんな風に、伸ばした手が折れて、自分が如何に愚かだったか…を知る日が来たとしよう。
そして、私の手が 使い物に成らなく成ったとしたならば、
足で飯を喰うくらいの 覚悟は、 小さな頃から出来ている。
だからこそ 死ぬまで私は 手を伸ばして居られるのだ。