日本の農業生産技術は、特に優れているわけではない | あなたも農業コンサルタントになれる

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  わけではない / by 岡本信一








先日の、Food Watch Japan の連載の再開では、物議をかもした日本の農業技術レベルは低いという話ですが、Food Watch Japan の斎藤さんが改めて比較資料を作ってくれました。


世界各国と日本の農産物単位面積当たりの収穫量の比較
http://www.foodwatch.jp/primary_inds/whatisgood/31918


皆さんは、これ等のデータを見てどのような感想を抱いたでしょうか。

数値データというのは、取り方や表し方でかなりイメージが変わるものですが、おしなべて日本では収量の伸びが止まっているなということはわかります。

そう、日本では技術の進歩が止まっているということなのだと思います。

私達が日本の農業技術について、進歩していたと思っていたのは幻想であったということです。

思い込みといってよいでしょう。慢心という言葉が、浮かびます。

レタスの日持ちに関する品質の話について、いろいろ批判がありましたが、実はここにも多くの問題があり、根本的にどんな品質のものを求めているのですか、という議論が殆どなされていないということです。日持ちなどいいほうが良いに決まっており、議論の余地はありません。もちろん、そのために本来目指すべき品質が疎かになっては何もなりませんが、日持ちが悪い理由はありません。

Food Watch Japan の連載の中で今後書いゆきますが、情緒ではなく、きちんとしたスペックを表しつつ、技術改善を行う必要があります。日本では、どうしたいのですか、ということを尋ねると、ほとんど答えが帰って来ない、のが実情です。


私「どうしたいのですか?」

農「いいものをたくさん取りたい」

私「どんなものがいいのですか?」

農「美味しくて、安全で健康にいいものです」

私「たくさんてどれくらいですか?」

農「・・・利益が取れるようにしたいです」←ここが本当は重要なはず

私「たくさん取れると本当に儲かりますか?」

農「・・・」←単にたくさん取れても儲からないことも多い

私「どうすれば儲かるのですか?」

農「・・・」

私「いったい何が問題なのですか?何を解決したいのですか?」


多くの場合、ここで単価を高くすれば、儲かるというような安易な話になってしまうのだと思います。また、普段技術の追求が施肥量であったり、農薬の選択だったりするためにそのようになっているのです。これは、極端な例だと思われる方も多いと思うのですが、皆さんも自らに投げかけてみてください。

このような安易な方向性では技術の追求を出来ません。

何をどうしたいのかを、もっとよく考えるべきです。

そして実需者ときちんと話をすることで、その形がはっきりと見えてきます。

日本の農産物の流通において最も重要なのは、この、きっちりとした話し合いというか、すり合わせです。

それが全くといっていいほどできていない。工業製品であれば、仕様書がありそれに合わせたスペックで納品するのは常識ですが、農産物にはありません。それが良い所であったりもするわけですが、だからこそ曖昧になっているとも言えます。

いや、私はやっている、という反論が聞こえますが、「美味しくて、安全で健康にいいものです」というような曖昧なものはすり合わせではないです。

例えば、安全であれば、一体どのような面に対して安全を担保するのか。など、一つ一つきっちりと詰めてゆく必要があり、それに対して対策を講ずる必要が出てきます。

異物混入にはどう対応する、菌数のチェックはどの程度のロット毎に行う、など具体的な対策です。

私が言いたいのは、根拠無く日本の農業技術が優れているとか、日本の農産物が優れているとか、そのような幻想を早く捨てるべきだということです。

日本の農業技術は優れている部分はあると思いますし、個々の生産者の方を見た時には劣っている方だけではありません。もちろん非常に優れた方もいらっしゃるのですが、全体として比較した時に、別に優れているというわけではない、まだまだ新しい技術の導入を図る余地はあるのだ、ということを認識していただきたい、と思うのです。

決して、日本の農業がダメだというつもりはありません。まだまだ上昇する余地がたくさんあるのだ、ということを訴えたいのです。














































一つだけ絶対に捨てるべきは、日本の技術は優れているというような曖昧な慢心だと思います。