どうしてゲーム原作のアニメは酷い出来なのでしょうか? | 翻訳こにゃっく

どうしてゲーム原作のアニメは酷い出来なのでしょうか?

原文  March 2nd, 2007


Question:
なぜゲーム発のアニメは酷い出来なのがほとんどなのでしょうか?それと、なぜファンがアニメ化を望んでるゲームがあるのに、それらがアニメ化されることはあまりないのですか?


Answer:
アニメ製作に関わっていて、鋭い判断力をもち、さまざまな要素とその影響を理解できる人しか、ゲームのアニメ化の不備を充分に説明できないと思います。大抵のゲームにはアニメ化を支えるほど長いストーリーをもっていないからだという説がありますが、私はその説とは意見が異なります。アニメの作りとクオリティに影響する、もっと現実的な要因があるのではないかと思います。


詳細に入る前に、パソコンゲームとテレビゲームの区別をつける必要があります。基本的に、PCアドベンチャーゲーム原作のアニメは、テレビゲーム原作のアニメよりずっと面白いように思えます。それがたとえ、月姫やグリーングリーンのような比較的作りが悪いアニメだとしても、ワイルドアームズ、龍虎の拳、F-Zeroのようなテレビゲーム原作のアニメよりは良い出来です。ヴィジュアルノベルのゲームの方がアニメ化しやすいのはおそらく物語が直線的だからです。テレビの格闘、アクションゲームはキャラの経歴、設定と、たまにある見せ場などがありますが、きちんと練られた物語の基礎がありません。ヴィジュアルノベルは物語上に隙間のない、完全な小説なのです。


格闘、アドベンチャー、アクション、RPGはストーリーをもってるにも関わらず、プレイを通じて個々のプレイヤーが操作する、決められた成長の道のりと一体になっています。実力と知識のあるシナリオライターならば、面白く刺激的な脚本を元のゲームの骨組みから作り出せると、私は信じているのですが、それにはそのゲームに対する愛と、ゲームに忠実なストーリーを作ろうとするやる気が必要です。ゲームに肉付けするライターは、ゲームのストーリーだけでなく、原作の雰囲気やキャラの性格を知っていなければなりません。私は、シナリオライターが原作の表面的な部分しか見ておらず、原作の雰囲気や詳細をよく知らないのではないかという印象を受ける、ゲーム発のアニメを沢山見てきました。


ゲーム原作のアニメは、普通は原作のファン向けにつくってます。原作のファンを納得させるために、製作側は大抵、アニメ化に際してなるべく原作から沢山のキャラを登場させるようにします。しかしあいにく、少ない話数のアニメだと、全ての配役を出演させ、統一した意味のあるストーリーを作る時間をなくしているのです。闘神伝と鉄拳は特に、過度な数のキャラの登場によって、ストーリーとキャラの成長を少なくしてしまってます。サムライスピリッツのTVスペシャルは沢山のキャラの登場(と低いアニメのクオリティ)でひどい出来に終わっています。しかし、サムライスピリッツⅡのOVAだと、キャラの登場を限りなく削り、一人のキャラのストーリーだけに焦点を合わせました。その結果、このアニメは前作と比べ著しく良い出来になりました。さらに、ゲーム発のアニメは、新しいストーリーになる場合が良くあります。。ファイナルファンタジーアンリミテッドは、完全なオリジナルストーリーでした。桜大戦のアニメは、続編までの間のギャップを埋めていました。アニメ原作のマンガは、たいてい忠実で直接的に訳されますが、ゲーム原作のアニメは同じようにはなりません。総括すると、ゲーム発のアニメは大抵、アニメのクオリティを大事にするよりも先に、ファンに受ける作りにすることに専念されています。多くのキャラと原作の設定を登場させ、ファンに既にあるキャラの新しい側面を見せることは立派な目的ではありますが、少なくとアメリカのファンは、原作に忠実なストーリーと雰囲気を選ぶのだと私は思います。


最後に、今まで多くのテレビゲーム原作のアニメがファンに向けて作り出され、利益は原作のファンのみに想定されていましたが、私には、作り手はアニメ化に際しての努力が殆どされてないように感じられました。多くのゲーム原作のアニメは、原作の知名度を利用して製品を、素早く安く作ることができるように思えます。これらの製品が多くの視聴者を想定していないのならば、あまり沢山お金をつぎ込む理由はありません。惜しむべき事ですが、この業界の性質の一つなのでしょう。