一応、っていう所がミソ。うん、死んでも良かった気がするんだな。

鬱期だったのか何なのか、自分でもよく分からんがとりあえず死んでも良かった気がするのだよ。

このまま死んだらいいのにな、と朝っぱらから不健全なことを考えていたりしたよ。


嫌だなあ、こういう記録を残すのは。

まあしかし、こんなこともあったというのは、ある意味でいいかも知れない。

苦しかった記憶で救われる時もあるかも知れない。


朝からあんなに泣いたのは、物心がついてからは初めてかも知れない。

玄関を出て、暫く歩いて、いつものように破壊衝動がやってきて、この衝動をYラボまで持って行くのは危険だと思ったから、ひとまず持っていた紙袋を投げ飛ばした。もとい、叩き付けた。袋は当然コンクリの道路にぶち当たって、中身がばらばらと出てしまった訳だ。

携帯が飛び出していたから、そこだけは後悔したよ。壊れなかったから良かったけど。傷が増えた。


それからまた歩いて、バス停との間にある小さな公園まで来た所で、ああ、コレは駄目だと柵に座った。

涙が止まらないから仕方ない。このままバスに乗る訳にもいかない。

暫くそこで座って、俯いて泣いていた。ハンカチを忘れたから、鼻水がかめなくて辛かったな。


小坊のガキ共が列を成して来る頃に、丁度涙も収まったから助かった。

それからまたバス停へ歩いて、いつものバスはとっくに行っちまってたから、誰も居ないバス停のベンチに座った。

そしたら、何だかまた泣けてくる。これが自分の悪い癖だナ。

ひとつのシーン、その時の情景、その時感じた気持ち。それらを頭の中で何度も再生する癖がある。

だから、笑い話を聞いた後は何度でも笑える。ツボに入り易い、と言われるのは多分その所為。

つまり、泣ける場合にはちょっと困ったことになる訳だ。


遮断するしかないか、とiPodを取り出す。セレクトは『セプテンバーさん』。

あのまったりとしたメロディが偶に好きなんだよなあ。

それで漸く、少しだけ落ち着いた。けど、やっぱり完全ではなくて、バスの中でも泣いた。確実にバレていたと思うから、相当無駄な努力をしていた気がするけど、誤魔化すのに必死だった。


他人の前で泣くなんて。冗談じゃない。

馬鹿じゃないか、とずっと思ってたな。軽蔑さえしそうになる行為を自分がしていることに。

下らない。泣くなんて下らない。ましてや人前で。何て恥ずかしい。情けない奴。

馬鹿だから仕方ないか、と思った。こんな馬鹿な奴は早く居なくなればいいんだ。


駅に着いて、やっとこさ本を開く気になって、そこからは完全に遮断できた。

簡単だ、本を読むことに集中していればその他のことなんてどうでも良くなる。

流石にYラボまで引き摺っていく訳にはいかないから。そこまで連れて行くのが許されるのは、せいぜい中坊くらいだろうな。


最後の乗り換えの前に、窓の外を眺めた。

もう大丈夫。再生しなければ涙は出ない。思い出さないように、ちゃんとコントロールできる。

視界は殆どがぼやけていて何も見えなかった。裸眼だから当たり前だ。

紙袋を投げ飛ばした時に、入っていた眼鏡もどこかへ吹っ飛んでしまったらしい。鞄の中を確認したけど見つからなかった。ポケットにも入っていない。

道路のどこかへ吹っ飛んだのなら、探そうとするだけ無駄だ。だから諦めた。

自分の弱い視力だと、一旦視界を外れてしまっては、もう探すことはできない。


どうせ、車にでも潰されて終わりだろう。

さよなら、眼鏡。中学の時からの付き合いだった。今迄ありがとう。

相棒が泣いていた。そんな気がした。自分も泣きたかった。



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ハイ、ここまで。


上記の通り、ここんとこ不安定な日々を送っていましたが、今は大分落ち着いてます。うーん、ハズカシイくらいだ。

特に、人前で泣いたのは一体全体何年振りか。自分にとって、最低の行為のひとつ。

あ、別に他の人は良いんですよ。公共の場で泣いてようが喚いてようが別に構やしません。自分は嫌ってなだけ。


でも、何だかな。

結局、人は人にしか救えないのかな、と柄にもなく人間的なことを考えてみました。

相変わらず、動物の臓器の人間への移植は成功していない。

ペットの需要は増えていながら、保健所送りの数も増えている。ま、そりゃ入用が増えりゃ捨て用も増えるか。


他人という存在が居ること、その当たり前のことが人にとっては大事なのかな、と。

Yラボの皆さんと話していると、一瞬で日常に戻って来れる。

無理にでも、他人と会話すること、何気ない言葉を交わすこと、それって結構重要だ。

と、そんなことを学んだ気がするよ。



そんなこんなで、もう12月も3回目の週末です。

今日は大学の別校舎へ行き、教育実習の清算をした後、Yラボへ行き、そして帰りに眼鏡屋へ行って来ました。眼鏡のない生活に入って3日目、これは想像以上にしんどい。自業自得だから仕方ないが。

パソコン画面も、相当拡大しないと文字が見えない。

中間報告前だってのに、家に帰って来てからのデータ編集もままならない。


今日店に行って、即決で決めてきて、それでも引き渡しは明後日とな。(終了のお知らせ

我慢するしかないか。もう、裸眼じゃあっちの世界にも行けないんだ。それが何よりの苦痛。


ああ、沢山書きたいことがあるんだけどなあ。携帯のメモだけが増えていく。

追々書いていきますよ。そうそう、ライブにも行って来たんだった。このクソ忙しい時期に。

自分としてはいつも平坦な状態で居たいけど、どうやらどうしても波は立つようで。あんまし気が進むものではないけれど、そういうことも素直に書いていけたらいいな、と。

そんな風に思います。


きっと、いつか、そういった記憶が未来の自分の救いになる。

今迄、自分はあまりにそういう記憶、感情を疎かにしていた気がする。

そうなると、やっぱし、恋をするべきなのか?Yラボの大先輩に言われてしまった。確かに、恋する人は尊敬できる。


どうだろう。人を思い遣る気持ちが欲しいか、と訊かれると、そうでもない。

思い遣りって、そもそもそういうものじゃないか。根本的に間違えてるな。

自分は、他人を思い遣っているだろうか。