こんにちは、伊織です。

最近ノスタルジーな夜が続くのでキーボードを叩きました。
人生って何かを考えてたら悲しくて虚しくて
それでも、もっと生きたいって思うのは何なんでしょうか。



過去にできない事ありますか?



幸いですが、私はあるにはあるけど
大きな不幸が今まであったかというと思い当たる事はなく、ある程度幸せにここまでこれたと思ってます。

小さな悲しみはそれなりにありました。
小さいけど?小さくなってきたけど過去にできない事たくさんあります。

みなさんは過去にできない事ありますか?

そうだ、あれはちょうど今のような季節。
大切な物を無くした気がしました。(失ったものが大切だったのかも(AquaTimez エデン))

それでも、仕事、学生なら学校、バイトや友人とのお出かけやら「日常」を平気なふりをしてすごさなきゃいけないのって凄い難しくて困難で悲しいよね。

私の痛みは私しかわからなくて、誰も分かりきれない、変わりになれない。
同じように、君の痛みを100わかってたつもりでも、それは100にはなれない気がする。ちゃんと向き合うけど。

それでも日常は変わらず私達に訪れる。
家族の変わらぬ言葉、夕焼け、楽しかったあのときと同じ匂い、上司の説教、お客さんからの注文

口に出しても、出さずも、
痛みなど関係ないって人々は言うんだよ。きっと。

きっと私も知らぬふりをしてしまった事がある気がする。ごめん。
この世界で何が正しいか、何が不正解かわからないけど
きっと変わった自分が、変わらぬ今日を、変わらぬふりして過ごすことの方が多数派なんだろう。

ある上司が言った
「そんなに引きずらないで過去にしろよ」
「いつか忘れるさ」
「うじうじするな」
「客には関係ない」

正しいか正しくないかは私にはわからないよ。
「後ろばかり見てたら明日が悲しむから 人は前に進むしかないんだよ(AquaTimez 小さな掌)」
この言葉に救われた自分もいたけどそれでも、
それでも引きずってる私がいて、
営業中、正午の北区の公園で1時間泣いた。
次のアポイントの5分前に無理やり泣き止まして営業した。時の流れに身を任せた。

前に進むこと、これは大切な事だとは思うけど、
今抱いている感情は大切にしたい。
そしてしてほしい。
無理に誤魔化すなんてできないよ。
好きな音楽聴いたって、走ったって、抱きしめられたって、悲しいときは悲しい。悲しいままに生きる。

それが何年、何十年あっても仕方ない。
小さな悲しみを消化せずに今立ってる自分もいる。
いや、消化したはずのものが湧いてくるときもある。

あの日、りえちゃんは言った
「時間とか周りの人は過去にしなさいって言うけど、私の中では終わってないんです。過去になってないんです。」
あれから何年たったかな。元気してるといいな。

上から数年たって歌をかけるようになって、
ベースのozzyちゃんのお家から帰るとき、
無音の車でこの言葉が浮かんだ。

過ぎ去るって書いて過去だけど、
過ぎ去れないで此処に残る過去を「過処」と呼ぼうって

わかんないけどさ、
笑顔だけが人生じゃないよ。全てじゃないよ。
普段我慢してる分、悲しいときは沢山泣いて、
悲しい闇を背負ってしばらく生きるのもいいと思う。
君のその経験がいつか誰かを、自分を救うときが来るはずだから。



もし今後、誰かに
「過去にしなさい」って
そんな心無いことを言われたら自信を持って言ってやれ
「そうですね、カコにしましたよ」
「過処にしてやったよ」
って。

そして、自分のタイミングで
過処を過去にすればいい。

そういう歌を歌っていきたいんだ。
私はあなたの味方でありたい。

ノーレミ 伊織