言葉には力があると思う。
故に私も言葉にはたくさん救われたし、きっと小さいことかもしれないけど誰かを少し、少し救っても来たと思う。

今でこそ音楽を細々として、
そこに乗せる言葉は、誰かにとってはガラクタかもしれないけど私自身は書いては消して完成させて、歌って、半年たって、またしれっと直して。

まだまだ、夢のある話や、明るい歌はなかなかかけない。
だってこぼれてこないから。
内側の何かで秘めていた思いがある。
そうだなぁ、それは涙みたいなものなのかもしれない。
自然にこぼれて歌にしたいと思う。
もしかしたら歌になるためにこぼれたのかもしれない。

自己主張について。
集団でいるときや、少し距離がある間柄では
比較的人に譲る傾向がある。
希望を言って、相手の顔に、?とか、あ、ちょっとそれは、、、って思われるのが怖い。
もちろん立場上引っ張るときは引っ張るし、例外はあるけど。

怖いのもあるし、人の主張はなるべく尊重したい。
人が考えたこと、受け取った感情はその人の財産だと思うし、その人の個性なんだと思う。
だから真っ向に否定するのではなくて、聞いてみてわかろうとする。
その後、否定や変化を加えることはあるかもしれないけど、一度は受け入れたい。
と、心で思っている。

最近気づいたこと。
少し言葉を食べすぎた。飲みすぎた。

最近ふと一人の時間に思考を巡らす。
宇宙空間に砕けた隕石が彷徨うように、
言葉がさまよっては過ぎていく。
幸にも不幸にも記憶力はきっとある方だからだと思う。

この間通り過ぎた隕石は6年前の物だ。
叫びながら言われた言葉はただの凶器でしかない。
そこに愛があるなら別だ。教育でもいい。
ただエゴや自己満足、
防衛で吐き捨てられた言葉はただただ凶器だ。

たとえ凶器だとしても多分あの日飲み込んだ、
文字通り泣きながら飲み込んだ事もある。

故に今、巡り巡って覚えている言葉がついたり消えたりする。
ほとぼりがさめた言葉に対して
今更反論や、悲しみが出てくる。

何故そこまで言われるか。
自分のことを棚に上げて。
それは感情論でないのか。
本当に思っているのか。

そんな事を。
そんな無駄な事を思い巡らせることがある。

人と人なんて元々他人だから、
だからこそ何か起きた時は10対0の事なんてなくて、
それこそ過失割合がある世界だと思っている。
歩み寄るのが人だと思う。
それを試みても、受け入れてもらえない事がある。
まぁそれもそれで、私も悪いからって諦めることが多い。

もしかしたら綺麗事で、良いコちゃんして
逃げてきたのかもしれない。
怖がって戦わなかったのかもしれない。
結局は自分が悪いんだって
書いてる今ですら思ってる。

だけれども。
だからこそ次は。

もし裏切られる事があったり。
信じてた事。信用してた事。
誰かが傷つけられたとき。

自分がいつも大事にして、
温めてきた言葉とは全く反対の言葉。

冷たくて暴力的な言葉。
凶器のような言葉。
そんな言葉を全力で振りかざしてみようって。
言葉はどこまで力を持ってるのだろうって。
今まで言われてきたものの
最上級を込めて吐き捨てようと思う。



きっと、しないけど。
そんなダークな事を想像してた数日間でした。
空白の3日間、どうしてもパズルが埋まらない。

良いことも悪いことも、形にできたらって思った。
だからあえて書いた。

愛と闇を込めて。