政府は16日、「日韓併合100年」を迎える8月に向け、韓国国民に過去の植民地支配へのお詫びの意を示す方向で検討に入った。(西日本新聞)


当時の清、ロシア、朝鮮の状況と日本の立場を見ないといけないと思います。
朝鮮の複雑な内政事情。


明治9年2月27日に調印された日鮮修交条規(江華島条約)の第一条は「朝鮮国は自主の邦にして日本国と平等の権を有せり」と謳い、朝鮮の独立自主を明言しています。

朝鮮が開国し、独立することは日本の国益にかなうことでしたし、朝鮮近代化の契機になるはずでした。
しかし、朝鮮近代化に対する清の忌避と朝鮮自身の事大主義がこの国の近代化を著しく遅らせる結果になってしまったのです。


日韓併合は『…韓民族にとってそれは慟天哭地すべき哀史であり、それを日本の“侵略”と受け止めるも蓋し自然な感情であろう。…傲然たる我が国当事者の前に、せめて国家の形式なりとも残されたしと哀願する韓帝の姿を想像する時、その祖国を愛惜する心情に血が激してくるのを如何ともし難い。そして我が国が、この隣邦に強硬武断の策を取らねばならなかったことを悲しむ。
だが同時に、日本のためにも弁ずる所なければならぬ。我が国は他国に先立って韓国を独立国家と認めたにも拘わらず、この国は独立し得なかった。その結果、我が国は二度、国運を賭して戦った。我が国は三たび戦うことを欲しなかったが故に、空名にしか過ぎない独立を取消し、この国を併合したのである。
優勝劣敗の苛酷な原則が支配する世界で、日本民族が生き残る途は他になかったのだ…。併合は痛恨の悲劇だったが、これによって初めて東亜の政局が安定したことも覆うべからざる事実なのであった。』(大東亜戦争への道)より