5月あたりから休日は図書館へ行って涼みに…いや、地域の歴史的な書物を読んでいるのですが、詫間町が三豊市として合併する前に発行していた「広報たくま」のアーカイブも10cmくらいの1冊の本として置いてあります。
詫間町が昭和の大合併してから発行しているようなので、昭和三十年代からです。現在は「広報みとよ」が各家庭に配布されていますが、市の範囲が広域すぎて、近隣の話題が少なくあまり興味が湧かない。一方「広報たくま」は自治体としての詫間町の内容ばかりなので、それこそ生まれた赤ちゃんの名前とか、お亡くなりになった方の名前なども「自治会名」も一緒に掲載されています。
当時の詫間町は、松崎(まっさき)・詫間・大浜・荘内・粟島・志々島です。
ところで、広報たくまの中にミニ八十八箇所巡りの事が載ってありました。
貸し出し禁止だったので、ノートに文章を書いておいたので、文章だけを転載します。
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広報たくま
昭和58年3月号
体協かたつむりの会では、三月二十一日(春分の日)に、家族ハイキングを次の日程で行います。
⚪︎集合場所 町体育センター(8時30分)・本村中の宝林寺(9時)のどちらかへ集合
⚪︎コース 地図のとおりで、全コース20kmと半コース10km
⚪︎申込み 参加希望者は、三月十八日(金)までに教育委員会まで申し込んでください。☎︎⚫︎-⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎
このコースは、大正時代に「詫間八十八か所」としてつくられていましたが、本村宝友会の皆さんが草刈りや道つくりをして、「詫間八十八か所ハイキングコース」に新しく整備したものです。コースは、本村中(宝林寺)を出発し、本村上から野山を歩いて天満・須田(ここまでで半コース)、更に新浜から高谷をまわって浜田まで帰るという、景観のすばらしい20kmコースです。今後は、公民館のハイキングコースとしてみんなで維持管理していく予定です。家族で、または友達同士で、体力づくりに、自然とのふれあいの場としてさまざまな型で利用して下さい。
写真キャプション
コースを会員に説明する宝友会の真鍋⚫︎⚫︎さん
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写真と簡易地図はナシで。写真のキャプションの名前は伏せておきます。宝友会はすでに解散しています。
私が小学生の頃に2回くらい参加した記憶があるので、昭和58年以降も数回行われていたのでしょう。
以前紹介したとおり、誰も巡らなくなってから山の中の石仏は倒れていたり、周辺をイノシシが掘り返していたり、あるいは新しい道ができて移動していたり。八十八箇所巡り時代は復活しないまでも、石仏の所在やそこまでのルートの整備は何とか維持したいですね。
あと、図書館ではミニ八十八箇所巡りを調査した冊子も置いてありましたので、抜粋してちょっとだけ転載しておきます。
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うつしミニ・島四国霊場とその周辺
〈西讃(三豊市)レポート〉 まんのう町 近兼和雄著
…(略)…
ミニ霊場は、本村にある宝林寺を起点として南西にある博智山の裾から、北側にある塩生山の周囲を巡るように設置されている。二番の石仏がある七寶山善性院龍光寺境内には大正九年(1920)の銘のある「新四国」の記念碑が建つ。
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宝林寺には1番の石仏があり、善性院には2番・3番があります。その南西にある本村中荒神さんに4番と続いております。
この宝林寺・善性院・荒神さんの近くの坂道は、本村でかなり歴史のある道のようです。坂の下には城山があり、坂を登っていくと城場(じょば)という小字のところへ行き着きます。城場には砦のような場所があり城山はその出城だったのではないかと歴史本には書いてあります。
城場には1月11日に紹介したミニ八十八箇所の21番の石仏があったところです。石仏の前にある川(古城川とか城下川などと呼ぶようです)が城下の方まで流れているのです。
現在詫間の浜田地区から仁尾へ抜ける県道は平成になってから作られましたが、それまでは一車線道路の「詫間越え」という道がありました。というか今もありますが、この道ですら明治44年に作られたようです。それ以前は本当に”山道”を通って仁尾へ行っていたのでしょう。ちなみにこの詫間越えのちょっと南東に山道の鳴子峠があり高尾木山を挟んで加嶺峠となっております。加嶺峠も道路が無い頃は山道だったようです。