「HANNO...WHAT’S COOL 」 第9回(前半)
「CoderDojo Hanno」元ドージョー主 川鍋友宏氏
少子化や不景気の影響で人的資源が圧迫され、旧来の地域団体の多くは人材不足という慢性的な課題を抱え、今後立ち行かなくなるのでは…?そんな思いを抱えながら川鍋氏と行政の方々を交えて会食をする機会がありました。地域や子供たちへの深い愛を持ちながら、一方でそのような現状も冷静に見つめている。そんな川鍋さんにもっとたくさんのことを聞いてみたいと思い、後日取材を申し込みました。
川鍋さんご自身について
もともとは東京生まれなんです。西新宿の、今は高層ビルが建っているけれど、昔は何もなくて温泉が湧いていたようなところで生まれて育ちました。
小学校に上がるころ、親が川越に家を買って引っ越したんですけど、道路は未舗装、トイレは汲み取り式で、電話がなくて、近くの商店まで行って電話を借りたり、とか。
川越と言っても畑ばかりのところもありますよね
土埃がすごくてね。そういうところで小学生時代を過ごして、僕自身は楽しかったです。空き地で好きになんでもできるし。親は不動産屋に騙されたと言ってましたが(笑)。
そういうところで子供を育てるのがいいのかなっていう原体験をしました。
結婚した頃は板橋の賃貸マンションに住んでいました。板橋と北区の境目の、工場というか、戸建ての一階が作業場になっているような家が立ち並ぶあたりです。
板橋は工場が多いイメージですね
多いですね。町工場がたくさんあるところで、下町の雰囲気が良かったんですけど、道が細く、一方通行が多くて、営業車とかバンバン飛ばして走っているようなところで。いざ子供ができると「ここで育てるのは怖いな」と感じました。
どうせ引っ越すなら緑のある所がいいよねっていう。そう思っていろいろ家を探していて、飯能も上名栗のほうに行ったり、笑美亭に泊まったりしつつ。
反動がすごいですね
妻は広島出身なんですけど、美杉台みたいなところに住んでいました。丘の上のニュータウンで駅が遠い。妻の父からは周りの風景が地元と見分けがつかないって言われます(笑)。
僕は川越育ちで周りに雑木林がたくさんあったんですけど、こう凸凹はしてなかったので、山と川の近くで暮らすのに憧れていました。
川越は緑はあるけど、清流はないので。だから山はいいなって漠然と思っていて、ここに決めました。
第一候補が飯能
いや、他にも所沢の松ケ丘とか。高級住宅街ですけど一番古いあたりの家は格安で買えるので、直しながら住むのもいいかな、と思いましたが、あそこの中心街の人口減少具合はここの15年先をいってる感じ。これからの寂れ具合は心配でした。
美杉台ならあと10~15年くらいは大丈夫かな、と。4丁目の見晴らし公園のすぐ上の中古住宅を買いました。新しい街区に家を建てるのではなく、街の真ん中が良かった。
引っ越しを検討してた頃って田舎移住ブームが始まった頃で、そういう雑誌も相次いて創刊されて、若い人たちにも訴えかけるものがありました。
若い人たちが割安な中古住宅をリノベーションして住み始めれば、街の新陳代謝が促されて、人口バランスもうまい具合のところに収斂されていくだろうと。淡い希望をもっていましたが、美杉台で言うと6,7丁目にドーナツのように若い家族の家が建って。
街の中心もうまく代替わりしていかないと街自体が死んでしまう。そうすると周辺のドーナツの人も困りますよね。
なだらかに世代交代が進んで、美杉台というところが長く維持できるようになればいいなと当時は期待をして、ここにしようと思いました。
しかし現在の状況としては良くないと
ここに限った話ではないですね。入間や所沢だって同じような問題が。
でも緑があって水があって、都心にも電車1本で座って行けるという立地の良さ。そこをうまくアピールできればまだ違うと思います。
都心寄りの、平べったい畑を潰したニュータウンが衰退しているのとはちょっと事情が違って、飯能にはアピールする何かがあるじゃないですか。
・・・飯能が抱える問題に、「Code for」はどのような切り口で挑んでいくのか。以降の章では切り込んでいきたいと思います
Code forとは?
さて、本題に入りたいのですが、CoderDojoとCode for。この2つがごっちゃになってしまうと訳が分からなくなってしまうので、その関係性からお尋ねしたいと思います
名前は似てますが、出自が別なんですよ。
Code forをざっくり説明すると…ソフトウェアを作るのが得意な人が、地域の問題をソフトウェアの力で解決しようというムーブメントがアメリカ西海岸で起き、そのまとめ役としてCode for Americaという団体ができたんです。
Codeとは「コンピュータプログラム」あるいは「プログラムを作る」という意味です。
そこから世界中に広がって、Code for ○○っていう地域の名前をつけた活動がアクティブになってきました。
日本でもCode for Japanという団体があります。そして各地に、例えば金沢市のCode for Kanazawaとか、その地域の人たちが自発的に集まって、身近な問題を解決しようとする団体が出来ました。
組織的な何かじゃなくてムーブメントですね
そうですね。埼玉にもCode for SAITAMAがあって、でもどちらかというと東寄りで、大宮とか高崎線が走っている辺りが活動の中心なんですけど、僕はそれを西半分にも広げたいと考えています。
Code forというのはあくまで団体の名前であって、もともとは「シビックテック」というムーブメントなんですよ。
地域活動とソフトウェアの力の融合ですね。
それを団体として名前をつけて始めたのがCode for Americaの人たち。
でも必ずしもITだけが解決の道具じゃなくてもいい。いわゆる「ハック」なんです。
日本だと「ハッカー」って悪いイメージですが、もともとは創意工夫で生活を良くしようというのがハックで、それを実行するのがハッカーなんです。
ソフトウェアだけの話じゃなくて、IKEAハックという言葉もあります。イケアの家具をちょっと改造すればこんなことにも使えるよっていう人が「IKEA Hackers」というブログを立ち上げて、世界中の人たちが色々なアイディアを投稿しているページがあるんです。
ハックというのは今ある仕組みや、モノ、ヒトの制約なかで、何か改善して、さらにいいものにする、という意味なので、例えば飯能市役所の白須さんが取り組まれている「こもれびおこし」もハックだと思います。
他でやっていることを改良して、地域に落とし込むと
そうです。それを自分のものだけにしないで、オープンにするのもハックの精神なんです。それで、僕はソフトウェアが生業ですので、そちらから地域貢献できないかなあ、と考えているんです。
飯能とシビックテック
飯能でシビックテックを具体的にどう活用すればいいか、などがあれば教えてください
飯能のご当地アプリがあるじゃないですか。あれはどのくらいのユーザーがダウンロードして使っているか分かるはずなので、ここのコンテンツがこの時間帯によく見られているとかが分析できていれば、あれは強力な道具になっているはずです。
声なき市民の求めているものが分かるのでは。
市民に対するマーケティングですね
声の大きい人は大きいじゃないですか(笑)。
声の大きい人の言うことばかり聞いていると行政って回らないはずで、声を出さないサイレント・マジョリティが何を考えているのか、というのは行政の人たちは常に知りたいと思っているはず。それを知るためのツールとしては最高だと思います。
市役所の情報課の人たちがうまく活用していくれているはずです。
それから、Code for的には「ゴミなしアプリ」です。数字で「5374」ってググるといろんな自治体のアプリが出てきます。
今日その地域で何のゴミが捨てられるのかが分かるアプリで、多言語対応なんです。
例えば静岡あたりだとポルトガル語でも見られる。ポルトガル語しか話せない人でもきちんとゴミを出してくれている。移住してきた外国人が便利なだけじゃなくて、「あの人たちちゃんとしてない」と感じていた近隣住民の好感度も上って、みんながハッピーになれるのがいいですよね。
多言語化という側面も非常に重要ですね。
行政サービスが自分のよくわかる言語で提供されていると、「飯能だったら住みやすいかも」って、外国人からも他市の人からも、オープンな印象をもってもらえるじゃないですか。
作ったアプリ全てが大当たりで使ってもらえるわけではないと思うんですけど、外に出さないと始まらないので。どんどん作ってどんどん外に出していけばいいと思います。
CoderDojoで育った子供たちが近い将来、地域の役に立つアプリを作ったりとかもあるかもしれない。
Code for の活動をしている人たちと問題意識のある市民がコラボレイトするといいものができるんじゃないかと日本中で思われていて、そういう活動が飯能でもできるといいなと思っているのが僕です(笑)
行政側とうまく絡まないといけないですね。
必須ではないですが、絡んでくれたほうがより切実な問題が解決できるとは思います。
でもここの絡み方はすごく難しいじゃないですか。
今、アクティブに市民活動をされている人たちは年輩の人たちが多いので、若い人たちの問題まですくいあげられない。年輩の方たちの活動とは別に、地域の問題を解決しようとする若い人たちが立ち上がってきてくれるといいなと思います。
その立ち上がり方は今と昔は違うと思うんですよね。今だとゲーム感覚でゴミ拾いしたりとか。違う発想でそういう動き方が出てきているのかなって。
Code forのキックオフイベントでよくやるのはマッピングパーティ。
町歩きをして、例えば消火栓はここにある、みたいなMAPを作るとか。このお店は車イスでも出入りしやすいとか。
地図に載ってない情報を地図上に載せていくことで街の情報を充実させていこうと。市民の力で地図を充実させるわけです。
マッピングパーティと名乗ってますが、基本的にはお散歩ですよ。ガイドがいて、参加者が歩いていって、おいしいものを食べたりとか。
実際にマッピングの記録をとっているのはコアな人たちだけで、後の人たちは本当に物見遊山でグルメ巡りをしたりとか。それでも問題意識が芽生えたりするじゃないですか。
ここにトイレがあるけど段差があって、これ車イスの人絶対上がれないよねっていうところっていろんなところにあるんです。
みんな視点が違うので面白そうですね
車イスの人と一緒に歩いてみるとか、車イスに自分が乗ってみるとか。身障者の視点でマッピングパーティをしたり。
それは課題解決という視点ですけど、もう少しライトな感じで、外国人旅行者をウェルカムするためにはどうしたらいいかというのを考えながら歩いて。看板があるけど、日本語しか書いてないとか。そういうのをお団子片手に街を散歩しながら話すんです。
Code forの人たちはそんなイベントをオーガナイズするのが得意なので、そういう人たちに協力してもらって、街をよく知っている年輩の方々にガイドをやっていただくとか。コラボできればいいなと。
それで実際にマッピングするのは地元の高校生とかの若い人が関わっていけるのが理想だと思います。
それがきっかけで街に出るのがいいですね。マッピングマニアみたいな人もいるのかもしれないですけど
Googleマップって画面のハードコピーを置いたりしちゃいけないとか、利用規約が結構厳しくて。
OpenStreetMapと言われている、自分たちでマップを作っていくウェブサイトがあります。
以前、OpenStreetMapで飯能の地図をつぶさに作っていた人がいらっしゃったんですけど、引っ越されたみたいですね。
誰でも使えるんですか
誰でも使えます。誰でも情報を書き込めます。Googleマップと違い印刷して配ってもいい。
マッピングパーティーをしている人たちはOpenStreetMapを使ってますね。町歩きのイベントが定着している町のマップは異様に詳しいですよ。路地裏まで描いてある。
私も路地に関する活動に参加させてもらっていますが、自分独自の目線で書き込めると面白いですね
そうですよね。いろんなテーマで町歩きをするとおもしろいはずです。
たくさん情報が充実しているから見づらいというわけじゃなくて、ちゃんとメニューでフィルターをかけて、例えばヤマノススメに関係する情報だけ表示させるとか。
使う側も紙の地図に比べて便利ですね。
更新を怠らなければ常に最新の情報になっているわけです。
まずは町歩きのイベントをCode for SAITAMAの人たちに協力してもらって飯能でやるのがいいんじゃないかと思ってるんですけど。
コワーキングスペースの可能性
話は変わりますが、今後、山間部のほうでサテライトオフィスを誘致していこうという動きがありますね
僕は旧市立図書館のところをコワーキングスペースにしたらいいと思うんですけど。
若い人たちが集まるスペースが必要だと思っています。サテライトオフィスとかじゃなくもっとライトな形で、人が集まって意見交換ができるとか。
そういう人たちがお互いコラボしてビジネスに発展するような場所ですね。AKAI FACTORYオープンの時もお邪魔して、社長とお話したら、シェアオフィス的なイメージかと思ったらちょっと違ったみたいで。
でもあそこは今までにない形で飯能のよい所を伝える空間だと思いました。あそこでCoderDojoやったら面白そう、と密かに考えています。
コワーキングスペースを飯能でやるのは採算ベースに乗せるのが難しいだろうから、市の補助が必要かもしれません。もし市のほうでやる気があれば、ノウハウをもってる業者さんも関わってくれると思うんで、そうなるといいなと思います。
銀座通りのオープンサイト設計事務所さんは割とそんなイメージで事務所をたまに開放されたりしているのかな、と感じます
歴史のある商店街って閉鎖的な感じがしますが、双木さんのようなオープンな感覚をもった方が飯能銀座のど真ん中に事務所を構えているというのは、いい意味で驚きがあって。これから街中で何かしてみたいと思っている若い人たちの勇気にもなっていると思うんです。
市中に休眠施設がたくさんあるんだから、いろいろやったらいいですよね。
所沢だってフューチャーセンターができるでしょ。こっちには水と緑がある。飯能を選ぶ人だって少なくないはず。
まずは若い人の話を聞くチャンスを作りたいですね
僕が若い人って言うときに意識するのは「小中高校生くらいの人たち」ですね。
街をどうしていきたいかをその子たちに決めてもらえるような機会を、僕ら大人が積極的に作らないと、彼らが本当に地元を愛したりとかはできないと思うので。
(後半につづく)