私が時々見る、精神科医のユーチューブチャンネル。
短い時間で、簡潔に語るので、忙しい時でも見やすい。
その中にあった、この話。
基本的に、テレビは見なくていい。特に、ニュースと朝の情報番組が一番よくないと言っている。
しかし、一般的には「ニュースは見るべきもの。ニュースを見ないと、世の中の動きが分からない」と思われているのではないだろうか。
私もそう思っていた。くだらないバラエティ番組など見なくていい。でも、ニュースは見るべきだと思っていた。
でも、最近、テレビのニュースなど、一切見なくても、何も困ることはない、ということに気づいた。
まあ、困るとすれば、ちょっとした世間話についていけない、ということくらいだろうか。
テレビ、特に民放で流される内容は、何らかの(背後の)意図があって流されているものが、ほとんどだと思う。
テレビを見ることによって、私たちは知らず知らずのうちに、何らかの価値観の誘導を受けている。
だから、トイレットペーパーの買い占めなどの、意味不明な現象が巻き起こるのだ。
もっとも、現代は、スマホでグーグルやヤフー、アマゾンなどに個人情報を吸い上げられているから、もっと巧妙な、違った意味での誘導を受けてはいるのだろうが、スマホは、興味のある分野だけを取捨選択して見ることができる分、害悪は少ないような気がする。
私にとって、テレビを見ない一番のメリットは、劣等感が刺激されないことである。
最近は、特に民放のアナウンサーなどは、容姿で選んでいるのではないか? と思えるほど、美男美女が多い。私はそれに、非常な違和感と嫌悪感をおぼえる。
というか、テレビを見ていると「容姿」というものが、人間の一番の価値である! と、高らかに宣言されているような気がするのである。
まあ、これこそ、私の劣等感がなせる業なのだろうが。
実際、テレビというものによって、世界の価値観が操作されている。
たとえば、キムタクだって米倉涼子だって、福山雅治だって新垣結衣だって、実際には、我々と何も変わらない一人の人間に過ぎないはずだ。うんこをすれば鼻くそだってほじる。
そんな偶像を崇め奉って、身の回りの身近な人を軽んじている人は、たくさんいるのではないだろうか。
ビートたけしだってタモリだって、テレビを見たことのない人からすれば、ただのおっさんだ。
しかし、何も考えない人々は、有名人はすごい人だと、無条件で崇め奉る。もちろん、やっかんでこき下ろす人もいるけれども、やっかむということは、結局、うらやんでいるということだ。
あ、自分も結局は、羨んでいるのかな?
まあ、仕方ない。スマホもパソコンもない昭和の時代。ずっとテレビと新聞のみを情報源として生きてきたんだからね。
まあ、見たい番組だけ選んで見るというのが、一番良いと思う、今日この頃。