問題は、「200字論述新研究56(問題21・22)」で確認してください。

解説は、「200字論述新研究60(問題22を考える➊)」をご覧ください。

解説は、「200字論述新研究61(問題22を考える➋)」をご覧ください。

 

問題22 解説

 

軍国主義的教育から民主主義的教育へ

 

GHQはまず、1945年10月に教科書の不適当な記述の削除と軍国主義的な教員の追放(教職追放)を指示し、ついで修身・日本歴史・地理の授業を一時的に禁止した

こうして、思想的な偏りや非科学的な内容を含み、いわゆる「軍国少年」を大量に生みだしてきた戦時下の軍国主義的な教育の根絶が図られた。

 

さらに1946年にはアメリカ教育使節団が来日し、その勧告にもとづいて、民主主義的な教育理念を明示し、教育の機会均等・義務教育(9年)・男女共学などを規定した教育基本法六・三・三・四制の新学制を規定した学校教育法が制定された(いずれも1947年)。

 

教育委員会の設置

 

また1948年になると、地方公共団体の教育行政機関として教育委員会が設置された。

住民公選の委員から構成される公選制をとり、知事・市町村長のもつ教育に関する権限が移譲されるなど、教育委員会は、公正な民意と地方の実情に即して自主的かつ地方分権的な教育行政を展開することを意図した機関だった。

 

戦前の教育行政が官僚的・中央集権的だったことに対する反省も、こうした措置がとられた要因になったといってよいだろう。

 

なお、今回の問題では問わなかったが、教育委員会の公選制は、1956年に地方公共団体の首長による任命制に改められ、教育の世界における中央統制が強められたことも再確認しておきたい。

 

義務教育制度の変遷

 

問題22 解答

軍国主義的教育の根絶を図るGHQの指令により、教科書の不適当な記述の削除、教職追放、修身・日本歴史・地理の授業停止が実施された。さらに来日した米国教育使節団の下で、民主主義的教育理念を明示し、教育の機会均等・男女共学・義務教育9年制などを盛りこんだ教育基本法と六・三・三・四制の新学制を定めた学校教育法が制定され、また教育行政を自主的・地方分権的なものに転換するために公選による教育委員会が設置された。

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